先日たまたまランチを食べに出かけた際に市内のマップを見ていて奇妙な名称を持つお地蔵様の史跡に目が留まりました。
その名も“味噌なめ地蔵尊”
縁起(写真クリックで拡大)
須玉町若神子の正覚寺の門に通じる道の横に、「味噌嘗地蔵」と呼ばれるお地蔵様があります。
このお地蔵様は、川中島の合戦の時に武田信玄が川中島にあったものを運んだものと伝えられています。お地蔵さまの体に縄をまきつけてひきずって来たのですが、正覚寺の前までくるとどうしても動かなくなってしまい、これはお地蔵様のおぼしめしに違いないと今の場所に安置されたといいます。お地蔵様の背中にあるいくつもの筋は縄の跡で、川中島からの道でついたものといわれています。
たいへん霊験のあるお地蔵様で、自分の体の病んでいる部分と同じ部分に味噌を塗って祈れば必ず治ると伝えられ、小さなお堂の中に鎮座するお地蔵さまの体のあちこちには今も新しい味噌が絶えません。
不思議な言い伝えを持つお地蔵さまは、今日も正覚寺に通じる道で、病に悩む人々の快復に力を貸してくれています。 (須玉町)「ふるさとやまなしの民話」山梨県連合婦人会 編集・発行 より
ここでの味噌を塗ると言った行為は、お寺などの本堂前にある常香炉で焚いた煙を病んでる部位に塗ると言う行為と同じく興味深い信仰ですが、意外にも同じ名の「味噌なめ地蔵」が各地に点在しているのを今回調べていて知りました。
※ 各地の味噌なめ地蔵をWeb調査で分かったものだけまとめてみました。(クリックして拡大)
ここで疑問。
「なぜ「味噌塗り」ではなく「味噌なめ」なのでしょうか?
それと…。なぜ「味噌?」
まず、「なめる」と言うならお地蔵さんが主体の行為となります。
調べた限り各地の風習は何処もその殆どは「自分の患っている同じ場所に味噌を塗る」と言うものでしたが、この一覧の中の奈良県大和郡山市の矢田寺に伝わる「味噌なめ地蔵縁起」に答えがありそうですので全文転載させて頂きます。
昔、ひとりの女人が、自宅でお味噌を作っていました。けれども、なかなかおいしく出来なくて困っていました。するとある夜のこと、夢の中に矢田寺の石地蔵菩薩が現れて「その味噌を食べさせてくれたらよい味にしてあげる」と告げたそうです。翌朝矢田寺へお参りをして、その石地蔵に味噌をお供えした上に更に地蔵の口にもべったりと味噌を塗りました。帰宅して早速自宅の味噌を嘗めてみると、それはそれはすごく味の良い味噌になっておりました。それから誰いうとなく「味噌嘗め地蔵」「味噌くい地蔵」といわれるようになったということです。(こちらより孫引き引用)
この縁起からすれば、つまりお地蔵さんからすれば「なめる」という行為となるわけです。また、群馬県沼田市の天桂寺の「味噌なめ地蔵」では「風邪をひいたり歯の痛む時、石像の頬や口のまわりに味噌を塗り祈願すれば治る」と言い伝えられていて口の周りに味噌を塗る風習があります。
そんなところから「塗る」ではなく「なめる」と言う名称になったのだと推測しています。
また、これも前述の孫引き引用させて頂いたサイトにもあるように「火傷に味噌を塗る」と言った民間療法は、長野県のほかにけっこう各地に残っており(子供の頃祖母が火傷した跡に味噌を塗るといいと言っていた記憶も)北杜市小淵沢の薬王寺に伝わる伝承の「火事の際にお地蔵様が身代わりとなって火傷しなくてすんだ」と言う伝えとも重なり「地蔵に味噌を塗る風習」が生まれたのではないかと思っています。
ちなみに山梨県に「味噌なめ地蔵」が多い理由に関してはやはり信玄公絡みの影響は少なからずあると思っています。
【マップ】
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