那谷寺を後にして次に向かったのは、現在もその用途が良くわかっていない謎の石柱が立つ少々マニアックな史跡「石の木塚」へと移動します。
県道25号(金沢美川小松線)「松本」交差点より海側へ少し入った住宅街の一画がちょっとした広場となっていて、その中央に謎の石柱が規則正しく5本立っています。
ここは、1本の石柱を中心に規則正しく四方にほぼ東西南北の位置に立っているだけの史跡です。(左奥側:北方向 右手前:南方向)
上の写真の反対側より撮影 (左奥側:南方向 右手前:北方向)
石質は流紋岩凝灰岩で、中央の立石は調査でかつて267㎝あった事が判明しているそうです。(現在の高さはざっと見て150㎝ほどですので、近くに瓦礫でもあったのでしょうか?)
また、その用途ですが何らかの意図があってここに設置した事はあきらかですが、では何の目的で建てられたのでしょうか?
平成5年(1993年)に中央の石柱付近を試掘調査をしたそうですが10世紀後半~11世紀頃の土器が見つかったそうです。
11世紀と言うと平安時代半ばくらいの時期となりますが、現在の見解では、場所柄海が近い事と当時この地には主要な街道が通っていたことから、この5つの石柱は古代の交通に関連する要衝としての標石ではないかとの見解に現在は落ち着いているそうです。
石に木塚案内(写真クリックで拡大)
ここで、特に気になったのはそれぞれの石柱に見られた盃状穴 です。
中央の立石には、何かの目的で開けられた窪みが見られました。(ここの要衝の標号名?上の部分がアーチ形なので仏像か何かが彫られていた?)
また、ここにも面白い伝承や浦島太郎の伝説があり興味深いです。
【マップ】
道標なんですね。行き先を石仏などに彫るのがポピュラーですが、岩を建てるとは!
次回も楽しみにしてます。
全国各地にある浦島伝説ですが、伝承から試掘調査をしたところ、土器がみつかりそこから造られた年代も推定できたという経緯がありますので、あながち「伝説だから」と、全否定する前に出自先や経緯などの裏付けを取ることも重要な例ですね。