続いて、六所皇大神宮を後にしてさらに10キロほど南下し国道125号と県道53号線(つくば千代田線)を左折した大形鹿島神社へ向かいます。
一の鳥居と桜 訪れたのは、2006年4月でした。
参道入口には、仏塔、石塔などが建ち並んでいます。
加工しようとして放置された石など辺りは、巨石が無造作に置かれています。
石段の参道を登って行くと…。
傍らに摩崖仏もいらっしゃいました。
二の鳥居を潜ると拝殿前広場となります。
一段高い背後の覆屋の中には本殿が鎮座しています。
全体像を写しきれないので本殿の全面だけですが彩色に彩られた彫刻が見事です。
江戸中期の建築ですが保存状態が極めてよく宮大工や彫刻、塗師などの実名が分かっている貴重なものだそうです。
祭祀:武甕槌神
由緒:
由緒案内(写真クリックで拡大)
この一文で興味深いのは「ヤマトタケルが東征のおり、飲み水を求めてこの地に立ち寄り その時この地の人が尊に随従して甲斐国に至り、神宝をもらい受けて祭ったのが始まり」の下りです。
甲斐国に至って神宝をもらい受けたとの事ですが、 伝承が物語る御神体は石なんだそうで、ではどんな石なのか?と、申しますと今は撤去されて無い様ですが手がかりの案内が訪れた時は掲げられていました。
御本(神)体は「黒曜石」とあります。黒曜石と言えば縄文の時代からの遺物であり縄文王国山梨から神宝として持ち帰っていても、けしておかしくはなく、先日記事にした甲斐国のヤマトタケル伝承と関連していてなかなか興味深い一社です。
また、本殿の裏手は巨石の一部を加工して覆い屋の壁としており、わざわざこのような手のかかる場所に建てたのかが不思議です。
境内周辺は、至るところで岩盤が露出しています。
鹿島神社の裏山に伝わるヤマトタケル伝承に纏わる巨石があるとの事で続けて登ってみました。
【岩崎山の巨石群】
「つくばの昔話」と言う民話集に 「ヤマトタケルと岩崎山」というくだりがあります。(「大和武尊と剣井戸」と、として紹介されている書籍もあり)
ヤマトタケルが遠征中、大形あたりを舟で通過しようとしていた時、兵士たちが喉の渇きを訴えたので、近くの島に上陸して水を探したそうです。
岩だらけのその島には水の湧く泉がなかったので、ヤマトタケルが剣で岩を切ったところ、水が湧き出て、兵士たちも喉を潤した。
と言った民話です。(古代、ここつくば市大形のこの辺りは、海(湖)だったと伝わっています。)
その湧き出た泉は「剣井戸」と呼ばれ、その島が「岩崎山」だと言われています。(岩を裂いた→イワサキ→岩崎という繋がりでしょうか。)
山中の何処かにある「剣井戸」を探し求めました。
この辺りの巨石は、硬い斑レイ岩です。
岩屋ぽい巨石
謂れ等は特にありませんが辺り一帯巨石だらけです。
「剣井戸は、今は枯れてしまった」と言う様な情報がありましたが結局具体的な場所までは分からずじまいでした。
(撮影:2002-6・2006-4)
お断り:2006年当時の情報となります。当時とは異なる事が想定されますので訪れる際には、事前に調べて頂き記事は参考程度とお考え下さい。
お断り:2006年当時の情報となります。当時とは異なる事が想定されますので訪れる際には、事前に調べて頂き記事は参考程度とお考え下さい。
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