響けブログ

音楽コドモから「音楽コドナ」へちょっと進化。ドラムとバイオリンと小鼓を弾く、ヒビキの音楽遍歴。

お久しぶりです。

2015-12-27 | 東京の小学生&中高生


目標設定は利というよりも百害あり、という議論が近年アメリカで活発になっているようだ。ビジネスマンのみなさんは、ここ何十年来というもの、「数値目標」というお題目を聞かされ、それへ向かって歩んでこられたかもしれない。学生・生徒もみんなも「目標を持て」「何になりたい?」と事あるごとに言われてるんじゃないだろうか。

私自身、実は小さい時から「何になりたい?」という質問は、どこかおかしいんじゃないだろうか、と思って来た。気づいたのは小学生の卒業文集の時で、「何になりたい?」コラムのようなものに一言書くのだが、さんざん考えた挙げ句、仲の良い人々に囲まれて暮らしたい、といったことを書いたのをはっきり覚えている。その文面が「気が利いていない」ことには、ひどく憂鬱だったことも。

というのも、私には「野球選手」とか「宇宙飛行士」にあたるような答えがないでもなかったからだ。それは「評論家」というものだった。評論家といえば当時、政治評論家みたいなものを指すほうが一般的だったかもしれない。しかしむしろ私は、文芸評論家とか、劇や映画やバレエを批評するような人をイメージしていたのかもしれない。よく覚えていない。「評論家」というものがどういうものか、よくわかっていないことだけは、自分でもよくわかっていた。よくよく考えて、私がやりたいなあと思う職業は、ひょっとして社会で「評論家」と呼ばれているんじゃないか、と思っただけなのだった。

中学と高校が一体となった学校へ進学して、高校一年のときに担任の先生が私に、「ジャーナリスト」になってはどうかと言った。なるほど、と私は思った。だがジャーナリストには、何か決定的に欠けているものがある、と私は感じていた。ジャーナリズムでは、うそが歓迎されない。うそを支える想像力も珍重されない。私はレイ・ブラッドベリが好きだった。

そこから現在に至るまで100億年も経ったような気がするが、最近になって、正確に言うと2003年頃から、私は目標設定をするようになった。偶然にも、冒頭の議論はちょうどその頃からスタートしている。目標設定といってもだらだらしたものであって、組織がメンバーに要求する数値目標や、受験生の合格目標のようなものとはぜんぜん違うのだけれども、個人事業主になったので、毎年営業目標を立てることになった、というそれだけである。

一方卑近なところでは子どもが大きくなって、勉強の計画を立てたり、将来への夢(おっと、いつの間にか、こっちが「何になりたい?」と聞く番か?)だの志望校だのコース選択などをしなければならない時期になって、「目標」を持つことのやる気への効果は無視できないことを、改めて思い知らされる思いもする。「バイオリニスト」「医者」「サッカー選手」などを例に挙げては、将来を早くに決めることの優位を説いたりもしてみたり、それ自体、色川武大のウケウリであったり、親のほうもからきし右往左往だ。

実際、進路なり、進学なりについて、自分なりにこれほど考えた年はなかった。これを考えることこそが、もっとも重要なのだということが、今更ながら思われるが、それだけわかっていても手も足も出ないところがおもしろい。いま、子どもに言えることは、何になりたいかはわからなくてもいい。自分がどっちの"方角"へ行くのかは知れ、ということだ。将来のことを考えたり、長期的な考え方をしたりすることが、人間は、というかサルは苦手である。そして人間は大きな(great)サルだ。だから子どもたちは、無理ならば、何かになりたいなどとはったりを言わなくてよい。

それともう一つは、憶するならばやめればよい。言い換えれば、勇気を持って進めということだ。冒頭の議論では、目標設定によって(特に恐れの感情といった)負担が増え、100%成功しなければ失敗と見なされがちで、設定後は環境の変化を採り入れることができず、(企業内などで)対立を招くことなどが指摘されているが、「どっちの方角」という目標を持っても、勇気があれば、負担になることもないし、失敗もない。もっとも戦争の世の中であれば、勇気とは死を賭すことだと受け取られるから、私も勇気を持てとは言わない。私が勇気と呼んだのは、自分はその方角へ進むのだという確信が、自分で怖くないということに過ぎない。そう思って怖くないならば、多少思い通りの結果が付いてこなくても構わない。それはさまざまに変化しながら、いつか付いてくる。思い通りでないのは、自分のせいではなく、たとえば前の世代のせいだということもあるだろう。そして方角というのは、たいがい90度角といったイメージで構わない。その中にどんなパスが隠れているかは、分け入ってみなければ青い山だ。

Psychology Today | Why Setting Goals Can Do More Harm Than Good
In organizations, “stretch goals" can harm productivity
Posted Sep 08, 2014 by Ray Williams