響けブログ

音楽コドモから「音楽コドナ」へちょっと進化。ドラムとバイオリンと小鼓を弾く、ヒビキの音楽遍歴。

電子ピアノはピアノと違って。

2008-07-31 | ピアノ
とある朝、ヤマハP200は、とあるひとつの音が出なくなった。ある音というのはひとつ低い「ラ」である。カンのいい方は、気づいていらっしゃるように、これはかなりやらしい音、つまりよく使いそうな鍵である。

しかも、発表会曲のボッケリーニのメヌエットはバイオリン初級王道のシャープ3つ、ということはイ長調、すなわち「ラ」(A)が主音なのである。

しょうがないのでオクターブ振替たり、適当に弾いたりしていたが、キーを押したのに音が出ないと、どうも指を痛めるようである。だんだん指も痛くなってきたので、トランスポーズ機能を使って鍵盤の高さをずらしてみたが、今度はどうも音色が違ってしまって、細かいこととはいえ、高いような低いようなへんな音になる。

というわけでさっそく修理に来てもらうことになった。


本体をがばっと開けると、電源部と、キーボード回りのふたつの部分がある。キーボードの回りにが基盤が並んでいて、この回路に水が入ったらしいのが故障の原因だそうだ。プリントの回路とはいえスペースにはかなり余裕があるので、錆びているところがこことわかる大きさである。

中にあったたくさんのゴミも取り除いて、すっかりきれいになったP200。きれいになって弾いてみると、なんとなくだいぶキーのタッチが軽くなったように思われ、弱音もだいぶ弾きやすく、段階的ながくんと音量が下がるようなこともなくなったように感じられた。プログラム的にそうなるとはとうてい思えないんだけど、なにかのちょっとした具合がそのように印象させるのだと思う。人間の道具としては(あるいは脳としては)、「電子」ピアノはキャリアが短いのである。

しかし、そんなこともつかのま、クラシックイタチ、こんどは右手薬指の爪の真横を怪我してしまった。これが意外と痛くて結構パソコンのキーボードを打つのもいや、という感じ。まいったな、なのである。

「だいじょうぶ?」
と言ってくれるヒビキのバイオリンは、さっき練習したところ、もはや行き方も間違えなくなっていた。(なぬー、いつの間に!)これまでは一度だって、全部行き方が合っていたことなんかなかったヒビキだが、奴は着実に本番へと向かっているらしい。

なになに、これってもしかしてシナリオ通り?

[しんぱいな発表会]
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ミュージシャンは天使である。

2008-07-30 | おんがく
前回の話はつづくよ、ばかりで恐縮です。

その前回は──クラシックの作曲家を神聖化し、その自分の解釈と自分の実際の演奏を限りなく近づけようという試みは、結局のところあまり大した挑戦ではないのではないか、ということを書いた。

しかしこれがひとたびアンサンブルになったり、演奏を通じて観客と通じ合おうと思ったとたんに、事態は一変する。まず演奏者の向きが反対になる。神秘な過去へ向かうのではなく、現在のパートナーや観客のいる前方へと開かれる。そしてミュージシャンは、音楽という神秘を伝えるメディアになる。これは非常に特殊な役割を担った者であり、本人もきっとそれを強く意識せざるを得ないだろう。──そこでふと思ったのだが、ヒビキが自分や他の人を「プロ」だとか、「プロじゃない」とか言う時、そこでイメージされているのはこのことかもしれなかった。このような役回りは「プロ」というような何か特殊なミッションを担う印象があるに違いないからだ。

突然ですが、たとえばウィントン・マルサリスがすご~い時、あれはもうあちら側の人に違いないとうっかり思うけれども、彼らがすごいのはあちら側にいるからじゃない、こちら側にいるからなんだ、なんていうことも、ここからわかりますね。

[しんぱいな発表会]
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ないものねだりの音楽に。

2008-07-30 | ピアノ
そこ(前回)まできてから、クラシックイタチは最前からの「ミラーリング」問題について、もう一度考えてみたいと思った。

現実の音楽を聴かないで、譜面の向こうを見ようというのは、いったいどういう態度なんだろう?

クラシック音楽というのは、その本質に近づこうというときに、ある種の神聖さをまとっている。ある種の神聖さというのは、音楽そのものがバロックのように宗教音楽なので、本来が神聖なものである場合もあるし、偉大なる作曲家へ近づこうというアプローチが持っているはずだという印象でそうなっていることもある。たぶん後者が多いだろうな。

いずれにしても、これは明らかに「過去」を向いた、作曲家の意図という名の私の意図を実現しようという「自己完結した」世界だと思われる。この世界とはいったい何だろう?

もし演奏レベルの問題を問わなければ、これは独りクラシックイタチの問題ではない、きっと。むしろ演奏のレベルとしてはかなり高い人でも、この問題を抱えていると想像できる。だが待てよ、とクラシックイタチは思うのだ──それはひょっとすると心地いいセーフティーゾーンなのではないか? つまりこれは作曲家との対話というフィクションによるモノローグであって、するとこれは誰にも責めることができない。そしてその姿は、神に仕える姿、宗教的な作業に似ていなくもないではないか、と。

だとすれば、そこで追究されているものは、実はとても空虚であり、虚空であり、要するにないものねだりであるに違いない。だって、その神聖で素晴らしいものは、鏡であり、鏡に映った自分の姿であって、もちろんそれを誰かがうんといって褒めてくれればいいけれど、たぶんそれができるのも独り自分であろうから。

[しんぱいな発表会]
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ここから先は、もう努力目標です。

2008-07-29 | ピアノ
いつの間にか、ヒビキの音楽日記ではなくて、クラシックイタチの音楽日記と化している昨今、今日も閲覧ありがとうございます。

さて、なんだかんだ言っても、本番が迫っております。というわけで、ごちゃごちゃ書いてないで、やれることを考えよう。バイオリンの先生の教え3「いまできる精一杯をやろう」であります。

で、そういうときはリストアップ! である。
1 演奏中、演奏に集中する時間を増やそう
2 演奏中、他人(バイオリン)の演奏を聴こう

リストというのは、リストアップするだけで効果がある、と言われるが……ほんとうだ。おお、なぜ私は集中しないのか?──そう、集中しないのは、ヒマだからだ! 

なぜヒマなんだろうか?──そう、他人の演奏を聴いていないからだ! 聴かないでおいて「弾く」だけやってる。ということは──必死に他人の演奏を聴けばいいのでは?

そこで練習にバイオリンパート、すなわちメロを歌いながら弾くというメニューを採り入れてみた。これが実は以前から苦手なことは自分でも知っていたが、実際に歌ってみると予想をさらに上回って歌えないのである。

声の音域が狭いという問題もある。だがだいたいリズムだってちゃんとしたところで入れない。そもそもバッハのインベンションで複音楽できなかったし、バンドでコーラスだけ歌うというそれができない。

突然だが、清水ミチコは言っている。
「ピアノを弾きながら話しをするってことが、矢野(顕子)にはとっても自然なんですけど、ものまねの人はいっぱいいっぱいみたいです」──清水ミチコ、矢野顕子「相合傘」(細野晴臣作)の弾き語りの物まねより

歌いながら伴奏を弾くというのは、「それどころじゃない」という類の難しさなんである、私やそして清水ミチコさんが言うように。

ただ少しでもやってみてわかったことは、伴奏のピアノは右手も左手も伴奏だということである。──というあったりまえの事実。クラシックイタチ、なんとなく右手はメロディだと誤解してたのだ。

今回の間違いは、我ながらあまりにひどい例だが、ともかく間違いに気づけば、直すこともできる。こういうふうに頭の理解でつぶしていけるのが、大人の音楽レッスンの醍醐味と言えるかもしれない。(負け惜しみかもしれないけど)

ピヤノアキコ。~the best of solo piano songs~ (SACD-Hybrid)

エピックレコードジャパン
「相合傘」を収録
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[しんぱいな発表会]
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歌舞伎「義経千本桜」を親子で観賞

2008-07-28 | 邦楽(伝統芸能)

今年もまた、国立劇場へ観劇へ行ってきました。今年の演目は、かなり有名なものに属すると思われる「義経千本桜」のなかの四段目にあたる通称「四の切」、河連法眼館の場。

歌舞伎の「かいせつ」というのは──役者さんの台詞による解説はもちろん、パンフレットのたぐいも──すばらしくて、ここで私がしのごの言うよりも、ぜひ実地にご覧頂いたほうがいいと思う。けれども、まあひと言で言うと、キツネが出てくる話です。義経と静御前と、キツネに化けた家来(キツネと家来の一人二役)の話。

コドモが多いのと、ふだんあまり歌舞伎を見慣れない人が多い客層であるためだろうけど、ベルが鳴ってもまだまだざわつく会場に、オープニングの舞台は、早朝のような「2001年宇宙の旅」のようなほんのりかすんだ青い光のみ、という演出。

実は前半は「歌舞伎のみかた」という実演入りの解説で、歌舞伎の舞台装置や各パートの役割などを説明したり、後半にはじまる本当のお芝居の社会背景や物語の流れを伝えたりして、その導入や解題の役割も果たしている。青い光のあとは、鉄の骨格を露わにした回り舞台が低いウィーンという音ともに高低しながら回転し、そのひとつに伏せっていたキツネが花道でふと姿を消すと、すぐ隣からナレーターの役者さん──澤村宗之助さんという人だそうだ──が現れるという、趣向であった。

いや、これだけでも大迫力。だが、昨年は初めてだったので、印象が強かったためか、今年はそれほどにも感じなかった。現金なものである。それから昨年は悲劇で、今回はハッピーエンド、昨年は町人もので、今回は頼朝ー義経という武士の身分がはっきりしてかつポピュラーなストーリーとあって、さほど注意深くある必要がなかったせいかもしれない。

そのしゃべりを聞いていて、ちょっと発見があった。そうかいわゆる芸能であるとか、テレビの話し方とかいったもののしゃべり方のお手本はここにあるのである。冗談のタイプも、間合いの取り方も、お客様との距離感も、スター性も、舞台裏の見せ方も閉じ方も、そうか、これが本家本元なんだな。

[親子で楽しむ歌舞伎教室「義経千本桜」]
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その時クラシックイタチは、ひらりと身をかわして。

2008-07-28 | バイオリン・レッスン
しかし、書くことは、不思議だ。

クラシックイタチこと私は、コドモのヒビキの発表会でバイオリン伴奏をやることになり、集中してバイオリンを聴きながら、その音楽が持つ時間をともに疾走しなければならないことに、つまり伴奏という役割にあらためて気づくことになった──のだった。

が、そうとなれば、ほんの一瞬、ああこのような「時」か、というようにひらめく瞬間がないこともない。「一瞬なら」ですよ、いやほんとに、負け惜しみじゃなく。

そこで「よし、この状態が続けばいいんだな」というように、ひらめきつづけるようなイメージでいると、ところがこれはたいがいが間違いの道で、ま、ほとんど幻想です。

音楽が演奏できている時間というのは、ハッとしてドキッとし続けるようなものではなくて、もっとナチュラルな状態である。このナチュラルに音楽的であるような時間がどれだけ長いか、というのがすなわち音楽的な資質というか資産といったものであり、その身につき方である。バイオリンの先生は、バイオリンを弾いていなくても音楽的であるし、シーラEはそれが何代にもわたってファミリーから友達の面々にいたるまでそうだろうし、まだお会いしたことはない清塚信也さんだって音楽的であるがゆえに常人を逸している違いない。

だから、一瞬、あ、こんな時の流れなのかももしかして、と思ったぐらいではどうにもならないことくらい、クラシックイタチだってわかっているのである。

しかし一方で、その瞬間に立ち止まり、その名前のない風景に見入ってしまったクラシックイタチよ、おまえはすでに音楽的ではない。思い起こせばわかるのだが、彼らは絶対にその音楽的なナチュラルさにリアクションしない。なぜならそれは対象ではなく、主体だから。つまり音楽がそこにあるのではなくて、私が音楽だから。

しかし万が一そのナチュラルに音楽的な私があり得るとしたら、と心ひかれぬでもない。なんといっても音楽は憧れであり、密の味であり、銀の皿なのだ。しかしクラシックイタチはどうもそこで反射的に身をかわしたらしい。そっちへ行けば書けなくなるかも、と先んじて。

熱情~Appassionata
清塚信也
WARNER MUSIC JAPAN(WP)(M)

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はじめてのやのあきこ
矢野顕子,井上陽水,糸井重里,MIYA,岸田繁
「架空の星座」を収録

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[しんぱいな発表会]
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アンサンブルはどこへ行ったのか?

2008-07-27 | バイオリン・レッスン
さすがに大人は答えを持っている。夫は言う。
「バイオリンのどこが弾けていないかなんかどうでもいい」
「ピアノはただ、バイオリンがいちばんよく聴こえるように弾けばいい」

その通りだ。しかしこれは案外簡単ではない。
というのも、音楽を演奏する時間の、その「なにを楽しむか」が根本から違っているからだ。

突然ですが、沼澤尚は言っている。
──(自分がバックをやっている)アーティストの背中を見て、最高にかっこいいと思う。
 そのドラムを叩いているオレって最高にかっこいい。そう思いながら叩く──と。

これがたぶん、ほとんど同じ話だ、と私は思う。音楽を演奏する時間の、その「なにを楽しむか」。沼澤尚は、その醍醐味について語っているのだ。

ああ、その醍醐味から、かくも遠く離れて。

クラシックイタチは、いったいなにをやっているのだろうか、というと、おそらく、譜面の中にいる自分とのミラーリングといったあたりじゃないかと思う。つまり、クラシックには作曲者というものがいるが、その曲について自分なりの解釈というものがあって、それは譜面の中に読まれるものである。ミラーリングとは、そのあるべき曲(の姿)を、自分の手が実現していくというイメージである。バイオリンはバイオリンでそのように再現していただき、ピアノはピアノで……と、コトバにすると自分でも意外なほど陳腐だが、だけど実際には、そう思って弾いているというのが近い。そして、その再現が楽しいのだ。

しかし、そこまでわかっているのならば、対策というものだってありそうなものである。

ピアニズミックス
塩谷哲,沼澤尚,松原秀樹,浅野祥之,大儀見元,森俊之
ビクターエンタテインメント

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[しんぱいな発表会]
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その先のストーリーへ、って。

2008-07-26 | バイオリン・レッスン
このところ発表会前夜までの経緯を、つたなく連ねているのが、これまで地道な練習によって「弾けるようになってきた」クラシックイタチのピアノと、すいすい気楽に行くヒビキのバイオリンの話。そして、みなさんにもそろそろ、この大逆転劇のシナリオが、見えてきたんじゃないかと思う。

驚くべきことに、ピアノとバイオリンの合奏の録音をバイオリンの先生に聴いてもらって以降、ヒビキはあっという間に演奏がよくなった。ピアノとバイオリンで弾いていて、おかしいと思っていたことがはっきりしたのかもしれない。そして自分がどう弾けばいいのかがわかったのかもしれない。詳しいことは、クラシックイタチには、わからない。クラシックイタチには、もはや、余裕があんまり残されてはいないのだ。

ここから先の展開には悪い予感がする。
ヒビキは、これから本番へ向けてどんどん確からしさを身にまとっていくだろう。すなわちどんどん自分を出して弾けばいいのだというふうに。
一方私は、これからどんどん自信を喪失していくのだ。どのようにしたら出過ぎず──すなわち人の演奏を聴きながら──弾けばいいのかがわからずに。

このままいくと最悪の本番は、何が何だかわからずに終わるというような事態であろう。どうしてそうなるのかは、当の自分がよくわかる。これまでの演奏でもなんどかあったように、まずは演奏に集中できないのだ。その時間を音楽と一緒に疾走しないのだ。演奏しながら、私は実にいろんなことを想い出す。コドモの頃に住んでいた家の窓の外の景色だの、草むらで玉虫を見つけたときの背中のひかりだの、あるいはまた、かつて発表会でステージに立ったときに楽譜に落ちていた黄色のひかりだの。

「信じられない。集中する以外、やることないのに」
と夫は言う。私に言わせれば、彼はその時間を私物化しすぎるが、それも私よりは「まし」である。いずれにしても発表会は刻々と近づいている。

しかし、書くことは、不思議だ。

FAMILY
スガシカオ

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[しんぱいな発表会]
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がんばれ、バイオリン!

2008-07-25 | バイオリン・レッスン
とはいえ、いちおう先生のアドバイスの中の「ピアノはできるだけ音量を下げて」は心がけて弾いた録音を持って、バイオリン・レッスンで、いよいよ聴いてもらうことになった。

先生は通しで聴いて、録音の状況を訊ね、このくらいの音量ならば大丈夫、ということになって、無事所定の宿題は達成。しかし、やはり特に右手がうるさいと感じられたようだった。

とはいえ、ピアノは弾けていると、先生はほめてくださった。でバイオリンはどうかな、というと、「ヒビキくん、練習しないと、まずいんじゃない?」

そうなのだ、ここでひとくさりバイオリンの状況について。

その頃まで、ヒビキは確かにこれでいいのかというくらい、ちゃんと弾けていなかったし、行き方(繰り返しとかダ・カーポとか)もいつも絶対どこか大間違いで、そのたびにテンポが揺れたりとあまり美点がなかった。ヒビキ得意のリズムもよくないし、ブロックごとに変わるイメージもそれぞれの世界が作れない。テーマへ戻ってきても温かい安堵感がひろがることはないし、終止形もたっぷりとしていない。だいたい、トリルは全部弾けていなかったし、弾き始めのあたまの部分もなめらかに入れたためしはなかった。強弱の起伏があるところも中途半端だし、音程も不正確。いやもう、きりがない。

先生が、ヒビキにはっぱをかけたのは、明らかに当然であった。そう、それはとっても印象的な瞬間だったのだ。というのはつまり、クラシックイタチがほめられる、最後の瞬間だったに違いないと、今となっては思われるのだ。

[しんぱいな発表会]
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バイオリンの先生がピアノを見てくださることになって。

2008-07-24 | バイオリン・レッスン
エプタザールのベーゼンドルファーを弾くことになって、あまりにもクラシックイタチがあわてふためいていたことを憶えていてくださったバイオリンの先生が、ピアノのほうはどうですか? とアドバイスをくださった。そして、本番も近いことだし、一度ピアノ伴奏も聴いてあげましょう、と言ってくださった。それが10日ぐらい前のことだ。

先生のアドバイスをまとめると、大きく以下のようになる。
1 録音して聴いてみること
2 ピアノはできるだけ音量を下げて
3 「いまできる精一杯をやろう」
4 本番を楽しめ

最近、クラシックイタチにもようやくわかってきたのは、音楽については──他のこともたぶんそうなのだろうと思うけど──無骨なまでに、ただ言うとおりにすぐやるのが最短・最速、つまりベストだってこと。

そういうわけで、私はさっそく、グランドピアノのあるレンタルスタジオを借りて、ヒビキと一緒に演奏を録音することにした。スタジオのピアノは、タッチも敏感で音ものびやか、調律も万端と申し分なかったため、「音量を下げて」という部分は、P200よりもかえって弾きやすいくらいだった。が、久しぶりのグランドで気持ちが高揚するは、ペダルというものもどういうものだったかすっかり忘れているはで、こういう練習はやっぱりやっておいてよかったとつくづく思われた。

スタジオは30分しか借りなかったので、ともかく何度か弾いたものを録音し、ピアノがこのように素晴らしければ別に問題ないなとの内心を抱えて、私たちは家へ帰ってきた。と、ところがその録音を聴いて、軽くヒビキが「ピアノうるさい」と言い、クラシックイタチもとうとう把握しはじめたのは、ひと言でいうと「ヒビキが私に合わせている」というその状況である。

これはもはや、伴奏だから音量を下げて、という以前の問題である。エッセンスを欠く、ということは、ことほどさようにすべての順序があべこべになる。ピアノがバイオリンについていっていないのであれば、音楽になっていない、弾ける弾けないなど問題ではない。

さて今度は夫がその録音を聴くと、大筋の印象は、ピアノがバイオリンを煽っているのが見苦しいとのこと。「教育的指導はいーから」これに続くのがすなわち、強いより弱いほうが「まし」、ピアノがリードするようだったら行き方違って弾くほうが「まし」&テンポが遅れるほうが「まし」、それからバイオリンより絶対前に出るな(ほんの少しは遅れて当然)。

なぜそのようなことが起こるのかは、たったひとつの理由から来ている──ヒビキの演奏を聴いていないから。だからなのだ。

[しんぱいな発表会]
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練習こそ、じしんの源ではあるのだが。

2008-07-23 | バイオリン・レッスン
ヒビキのエプタザールでの発表会のバイオリンのほうの曲目はボッケリーニのメヌエットである。この伴奏の譜面が思ったより難しい(私はヒビキがベートーベンのメヌエットを選ぶと思ったのだ)ので、ショックを受けたのが──ブログを見るとこのポストの頃と思われるから──5月に入ってはいたらしい。

それでクラシックイタチはどうしたかというと、家のヤマハP200で、毎日練習という方向へ進んだのである。

根が真面目なのはクラシックイタチのクラシックイタチたるゆえんである。

かれこれ2ヵ月ほど練習すると、意外なことに、弾けなかった装飾音符も、ばたばたしたテンポも、うたにならないメロディー部も、つまり「とにかくここが弾けていない」というようなところはだんだんなくなってきた。

それでもまだまだ不安で、「弾けるとはいえない」状態が長く続き、そのうちとりあえず弾けるようにはなったと思えるようになってきた。

「そういうことは各自でやってもらって」とヒビキや夫の顔には書いてあるが、本人としては内心大進歩なのである。こういうしっかりしたメソッドと、それをちゃんと踏めば誰でもちゃんと上達できる、これがクラシックのいいところじゃーあーりませんか。

しかし、このクラシックイタチの行いのすべては、悲しいことに、エッセンスを欠いている。

バイオリンに限っていうと、ヒビキが発表会へ向けてやっていた、先生に指導してもらっていたことは、本番という期限があるので、大問題から片付ける、という現実味のある方法だった。演奏が「音楽として成り立つ」ために、そして自己ベストの演奏ができるようにするために、つまり、いかなる演奏レベルであれ、核心をついて弾くために、どうしたらいいかをやっていたのだ。

通し練習とか、部分練習とかは、要するにその目的の手段に相当するのに対して、クラシックイタチはその手段だけをただやっていたのである。

もちろんやらないよりはましなんだけれども。そしてクラシックイタチは、この「まし」ということを言われ続けることになるのである。

[しんぱいな発表会]
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ピアノとバイオリン、なぜか大逆転!

2008-07-22 | バイオリン・レッスン
エプタザールの発表会へ向けて、どういう準備状況になっているかについては、すでにこの響けブログに書いたのであるが、その後どのように経緯しているのかについて、報告しようと思う。

が、しかし、この話、相当に根が深い。

けれども音楽のヒトビトは「そう?」とか「べつにィ~」とか、おっしゃるのに違いない。いやもう、絶対そう言うだろう。

音楽の才能というのは、現在=本番というものに、過去や未来とばっさり切り離して、それだけに集中できる能力と、きっと関係がある。

それだけじゃん、演ればいいのよ。

しかしねえ、そういう境地というのは、クラシックイタチごときにはなかなか至れぬし、一方ヒビキなんぞはなぜ生まれながらにそういう境地なのは、神様だって知らん顔だ。

というわけで、例によって、本番直前、私だけがまず~い雰囲気になっている昨今について、書こうと思う次第である。というわけでまた明日、つづきます。

[しんぱいな発表会]
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WELCOME BACK
ミディ
「しんぱいな運動会」を収録
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闘病中の忌野清志郎さんは、Youtubeで観よう!聴こう!

2008-07-21 | YouTube
忌野清志郎さんのホームページは「地味変」という名前である。なんてことは音楽ファンのみなさんには、とんと、知ったることと思うのだが。

夫が出かけることになっていた2008/07/21の、エコフェスでもある「ap bank fes '08」@つま恋(静岡県掛川市)への清志郎出演がキャンセルになった。

そこで検索でたどってみると、ホームページに清志郎からのメッセージが掲載されていたのである。これもまたニュースで流れているとおり、ガン再発につき、当面のライブスケジュールはキャンセルとのこと。

ただ、今ふりかえると、事の深刻さは、「徹子の部屋」での当惑ぶりでも伝わるし、私が最も印象深いのは、以下のクリップだ。
忌野清志郎 矢野顕子 ー ひとつだけ
@忌野清志郎 35周年SPECIAL LIVE 新ナニワサリバンショー

それから、さっき見つけた、Timersでのライブで、ラブミーテンダーを日本語の別趣旨歌詞にしたバラードをたっぷりと。
タイマーズ ラブミーテンダー・ナニイッテンダー
Love Me Tender -The Timers-
どちらも同じものだと思います。音質的・画質的にも違いは感じられない。

それからなんといっても、このベストアルバム。
清志郎がソロになってからのすべての曲からセレクションしたものだそうだ。
忌野清志郎ベスト「入門編」

UNIVERSAL MUSIC K.K(P)(M)

amazonの該当ページへ

1. AROUND THE CORNER/曲がり角のところで(忌野清志郎「RAZOR SHARP」'87)
2. サンシャイン・ラブ(忌野清志郎 Little Screaming Revue「Rainbow Caf」'98)
3. 毎日がブランニューデイ(忌野清志郎「夢助」'06)
4. JUMP(忌野清志郎「GOD」'05)
5. ROCK ME BABY(忌野清志郎「GOD」'05)
6. 3部作(イ)人類の深刻な問題(ロ)ブーム ブーム(ハ)ビンジョー(THE TIMERS「ザ・タイマーズ」'89)
7. E-JAN(忌野清志郎「E-JAN」シングル '87)
8. はたらく人々(DANGER「DANGERII」'85)
9. い・け・な・いルージュマジック(忌野清志郎+坂本龍一シングル '82)
10. パパの歌(忌野清志郎「abcd」'93)
11. かくれんぼ(忌野清志郎&Char「県立地球防衛軍サントラ」'86)
12. お弁当箱(忌野清志郎&2・3'S「Music From POWER HOUSE」'93)
13. プリプリ・ベイビー(忌野清志郎「夏の十字架」'00)
14. 口笛(忌野清志郎「MAGIC」'94)
15. Sweet Lovin'(忌野清志郎「RUFFY TUFFY」'99)
16. Baby何もかも(忌野清志郎「KING」'03)
17. ラクに行こうぜ(忌野清志郎「JUMP」'04)
18. 約束(忌野清志郎「KING」'03)

本番秒読み! 夏のエプタザール

2008-07-20 | ドラム・パーカッション
さて、ことしの夏から秋にかけて、ヒビキは2ステージである。

ひとつはいわゆる発表会で、ドラム恒例(というかヒビキ以外はバイオリンかピアノかフルートとかなんだけど)狛江エプタザールでのスネアの演奏、および初めてのバイオリン披露であります。これが目下取り組むところなのだが(本人は「プール!」とか言ってて至って平然……)、もうひとつ、その発表会では演奏できなかったポピュラー曲を別の機会にということで、浜松の「やらまいかフェスティバル」という催しに応募。こちらはたしか秋に開催される予定。

昨今、にわかに活気づいているアマチュアの音楽シーンとはいえ、力のあるバンドを集めるのに全国で予選をして、やっと全国大会というのがふつうなのに、浜松という町は、こういう市内のイベントで、たとえばアマチュアではなかなか集めにくいビッグバンドのようなものも含めて、163団体も出演するのだそうだ。(応募総数は211団体・個人とのこと)

先日のはままつジャズフェスですっかり浜松の特にブラスの底力を見せつけられた夫、本日はその打合せに、わざわざ浜松へ出かけてくれているところだ。……というわけでもろもろ決定はこれから。ちなみに「ビッキーズ(Bickeys)」という団体名でエントリーしてるのがひびきのバンドです。

エントリーリストはこちら↓
http://www.yaramaika-mfes.com/info/shutuensya.html

コドモって、おもしろいなあ。

2008-07-19 | コレクション
ヒビキが行っている学童クラブで、月に1度、地域のお習字のおばあさんが、コドモたちに好きな2文字を書かせてくれる、お習字の催しがある。ヒビキは1年の時からこのお習字が気に入っていて、これまでもいろんな2文字(「たき」とか「くるま」とか)を書いてきたのだった。(そのいくつかはこの響けブログにも画像を載せています)

これがいいのは──教える方はたいへんなんだけど──自分が書きたい字が書けるという、これに尽きると思う。コドモたち、がぜんモチベーションアップ! 毎回申込みがいっぱいになるらしい。

で今回がこれ。ほとんど徹夜明けの夫が、文字を理解するのにまるまる1秒かかった2文字だ。眠い頭では、どうしても「五月」に見えたんだそう。しかし脳のどこかが「NO」を発して、時間がかかったようなのだ。



いや、もう、絶対大人には思いつかない二文字。
次回の2文字が、またまた楽しみであったりします。