最近の子供たちがなりたいものの中に「ゲーム・クリエータ」というのがあがっているのは、なんとなく知っていた。それから派生したのだろうか「ゲーム音楽を作る仕事をしたい」というコドモ(というか高校生とか、そういう範囲で)も増えているようである。
ところで、今思ったのだが、自分もやはり高校生のときはなんとなく自分はコドモだと思っていた。すると、コドモ/オトナ という2区分が、よくないような気がするのだ。ほらさ青年部みたいな場合の青年とかいった呼び方のようにですね──高校生みたいな「所属」を言う言い方でなく、年齢でポジションを指定するもので、teenagerのように外から枠をはめるようなものでないもの──オトナじゃない(選挙権ないし)かもしれないけど、コドモでもない、という時期の名前を作ってあげるのはいいことなのでは、と思った。ま、名前というのも、便宜ですけどね。
さて、ところが先日、ヒビキがひたすらゲームの話をしているのをふと聞いたら、なんとヒビキはそのゲームについて、こういう音楽にしたらいいとか、こういう効果音を使ったら、こういうゲームができる、という話をしているのである。
ゲーム音楽ときいても……ミっミファソ ド ラっレドシラシソ
みたいなことしかイメージできないオールドなアタマには、話についていくのが大変。
しかし、しかし。そこで私ははた!と膝を打ったのであります。
そうなのだ。私が小学校のころには、土曜日にラジオで歌謡曲のベストテンを聴いていた。ずっと聴いていたワケじゃないけど、なんとなくそういう記憶があるし、夜にはテレビで歌番組をやっていた。だから音楽というのは、そういう流行歌のことだった。クラシックを除いては。ところがヒビキは──家にテレビがないからというのも、もはや強い理由ではなくて──いや、今のコドモにとっては、一番長く聞かされる音楽がゲーム音楽だということなのだ。だから「音楽が好きだから、ゲーム音楽をつくりたい」というのは、とても「自然」なことなのかもしれないのである。
しかもヒビキは最近、Macで気軽に音楽制作しているので、「ゲームを音楽をつくる」というのは、具体的にリアリティがあるものであるに違いない。
なるほどね。コドモたちはゲーム音楽クリエータを目指すのか。と、みょーに納得したのであった。
ん? ひょっとすると、日曜日だったかもしれないなあ。