ガボットがだいたい弾けてきたので、
「次回は2のほうも見てきてください」
と、先生がご自分が使っていらした楽譜を
貸してくださった。
先生の楽譜はきれいで、書き込みがぜんぜんない。
破ったりしそうなんで辞退しようと思ったが、
新しい譜面なんかもう見たくてしょーがないヒビキが
いーじゃん、と言って離さず、結局お借りすることになった。
その翌々日が昨日で、バイオリンを弾く親バカ母妹がやってきて
ヒビキのバイオリン練習に一緒につきあってくれた。
バイオリン妹は、理論物理学者であるが、
バイオリンを弾く物理学者という組み合わせでぴんと来たら
それはアインシュタインである。
話は戻って。
「今のコドモって、だめなものはだめ、というふうに育てられない。
まるで大人のようにいやなことはしないんだよね」
「びっきーの場合、音楽性があるから、
かえってバイオリンの技術習得をさまたげている面もある」
「たとえば音楽的にこういう音は出したくない、聴きたくないから
できないところは小さく弾いたりしちゃうんだよね」
かくいう妹は、昔、コドモの頃はそれほど上手い子ではなかったが
今も続けているだけあって、家で弾いてくれると
分数バイオリンでも音がしっかりしている。
先日練習用にヤマハ・サイレント・バイオリンを買ったばかりだ。
「高いほうと安いほうがあるけど、高いほうがおすすめ」
とのこと。
ヒビキのいいところは、練習方法などを自分で開発して
自主練を続けられるところ。
コドモにして、楽器が弾けるようになる方法というものを
すでに得ているのだ。
複数の楽器をやることによる副産物という面もきっとあるだろうけど。
しかしコドモだけあって、経験値の圧倒的不足は深刻である。
最近……「わかってる」「カンタンだよ」という発言が目立つのだが
こんなのモロ、経験値不足の証左である。
だが本人にしてみれば、どうするべきか「わかってる」
そしてそれが自分には「カンタンだよ」という考えなのだ。
じゃあ、ほんとにできるのかというと、
すごくできることもあり、もちろんそうでもないこともあり。
そこでしょうがないので
「語るな、歌え」
と、親バカ達は最近反論することにしている。
どんどん弾いてるときは、すかさずほめる、以上。
家元(ってこれは語ったり歌ったりの家元です)も言っている。
ほめる方法というのは、
「こうすればいい」ということを教えるから、
無数のやってはいけないことを憶える手間がいらない。
糸井重里「ダーリンコラム」より