響けブログ

音楽コドモから「音楽コドナ」へちょっと進化。ドラムとバイオリンと小鼓を弾く、ヒビキの音楽遍歴。

ズーラシアンブラス@文京シビック、すべての未就学児に音楽を。

2008-11-30 | ライブハウスへ行こう!
ズーラシアンブラス、文京シビックホール

土曜日、後楽園にある文京シビックホールへズーラシアンブラスを聴きにGO! 文京シビックは何度か行ったことがあるのだが、今回は小ホールということで、実はこの小ホールというのは初めてだった。ところが場所はわかっていたのだが、事前に夫がホームページで調べて3時開演だというのでそのつもりで出たら、実際には2時開演で、前半を飛ばしてしまう大失態。

入場するや、満席の会場はなんかもう保育園のような様相で、今しも中休みに突入しようという頃合いであった。

そこでまずズーラシアンブラスのグッズ販売を見学。弦うさぎのぬいさんたちはさすがお顔の特に目のつくりが秀逸であったが、縫いつけられたフェルトの弦楽器が若干ギターに見えなくもない。(ま、いいか)

アッという間に休憩が終わって、後半はうさぎさんたちの弦楽四重奏から。弦うさぎさんは思ったよりも顔が大きくなくて、とてもかわいいお顔であった。楽器ごとに色が変えられていて、特にチェロのキャラクター演技が抜群。これに原色のドレスなので、会場のコドモたちが静まらないのも当然だが、やっぱりプロはえらい! するっと演奏が始まると独自の世界をつくっていく。

しかし会場はさすが未就学児が多い状況なので、そういう音楽的なことではやっぱりなかなか収まらない。音楽会としてはノイズのレベルが尋常ではないので、ヒビキなんかはびっくりしてしまっている。そうすると音楽家はあまり脅かさないような演奏になっていき、というように音量の悪循環に陥ることにもなり、弦楽アンサンブルには、なんだかとても考えさせられた。

つまり、コドモとオトナとでは、音楽というか音へのリアクションが違うように思ったのである。コドモはやはりまだ原始的な部分というか野性な部分を残していて、たとえばコドモによって、相手がウォーと言えばウォーと応えてしまうこともあるし、ワッと泣いてしまうこともある。どうも、コドモへの説得力という意味で、やっぱりはるかにブラスのほうが達成しやすいような気がしたのである。

またズーラシアンブラスと弦うさぎが一緒に弾く曲もあったのだが、これは音量的に弦はほとんど聞こえません。PAがあればPAのトラブルかと思うだろう。ホッキョクグマ(チューバ)やスマトラトラ(トロンボーン)がそれと気付いて音量を調節していたりとみなさん視界の悪いなかたいへんなんだけれども、でもね、オーケストラを思い出してみてもバイオリンはあれだけの人数だからねえ。1台や2台ではやっぱりどうしようもないと思いました。

で、肝心のズーラシアンブラスについては──次回、引き続き書きたいと思います。

[ ズーラシアンブラスと弦うさぎ@文京シビックホール ]
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子供部屋、改善命令っ!

2008-11-29 | コレクション
きたないでしょ、これじゃあ。


先日イケアへ行った。買ってきたのはこちら。帰ってきてからしばらく「ああ、イケアの提案をすっかり受け入れるのもいいなあ」と思ってイケアのホームページを眺めていた。

気付くと途方もない時間が過ぎていた。

わかったことは、自分が片付けがヘタだということだ。夫が片付けが異常に苦手なので、その影に隠れて、気付かなかったのだ──なんと。しかしイケアの提案というのはそれはどうしたってそのままでは家に収まらない。ここは考えどころなのである。つまり家具屋の提案があまりに広い部屋を想定しているとかそういうことではなくて、今自分が必要なものと、イケアの提案の接点を見出さなければいけないという意味である。

そういうのって、意外と苦手な人が多いんじゃないかな。そこで「整理術」みたいな本が流行るわけ、なんじゃないかな。

イケアっていうのはいろんな意味で面白い。そういえばイケアのホームページではお問い合せを「Annaに質問」というシステムで受け付けてくれるのだが、これもなかなか面白いのである。詳しくは↓

科学と広告のブログ
2008-11-26
イケアのAnnaに質問してみた。



でもってキッズに関してもいろんな魅力的な提案があるので、ここはひとつ年内目標に改善計画発令っ! でございます。

最近のコドモはくろい踊りもおてのもの。キッズダンス発表会。

2008-11-28 | おんがく


いやあ、最近の女の子たちはかっこいいです。ま、まり先生がかっこいいんだけどね。

もちろんコドモにはいろんなスジのコドモがいて、もう小学校6年生ともなればモデルさんみたいな子もいるし、タレント事務所でスクールメイツ的ダンシングはやってます、みたいなツボを押さえた子もいるし、たぶん小さいときに何年かクラシックバレエをやったことがある、みたいな子もいそうである。

だが親の世代というかクラシックイタチや、今回初見学のジャズうさぎにとってリマーカブルなのは、はなっからヒップホップな──ジャズうさぎ曰く「香取慎吾くんのような」──ダンスをする何人かの女の子たちだ。その子たちは──別にヒップホップだからというわけじゃないんだろうけど──発表会に親なんか見に来ない。来るのは友達である。仲良しなのにたぶん抽選で一人だけ落ちちゃったんだろう。でも同じアクセサリーの色違いをして、応援に駆けつけている。

まり先生がちょっと踊ってくれるとこれがまたかっこいい。コドモたちはこのまり先生のさすがな踊りのどこかをちょこっとずつ、ねずみが囓るように自分の体の中へ持っていき、その成分を活かして踊るのだ。コドモの個性や資質やいろいろな教養に応じてとってこれる成分はいろいろだが、彼女たちがそれでもともと持っている能力を伸ばしたのは明らかである。

彼女たち──というのは、昨日よく見たら、コドモたちのうち男の子は2人しかいなかったのである。男の子たち、こういう機会を逃さないほうがいいよー。

ロボットのまじ情報処理、インプロビゼーションはいかが?

2008-11-27 | おんがく
今日の話はワイヤードに載っていたこれ↓
音楽的人工知能:人に合わせて即興演奏ができるロボットの動画

この「響けブログ」では時々、ミュージシャンがアンサンブルをするときに他の人の音を聴いて、言ってみればそれを解析して次の音を紡いでいく作業を「情報処理」と呼んできた。

以前からそう思っていたのだけれど、夫のトランペットの師・原朋直先生が「すごいスピードのまま全員でいろは坂のカーブにさしかかり、減速せずに曲がる」と喩えながらも、それは「要するに情報処理が速いんです」とおっしゃっていたので、ああやっぱりそうなんだな、と思って(自信を持って!)使うことにしたのである。

一方、先日お会いしたハチさん(佐藤“ハチ”恭彦(b)さん)に、原氏のパートナーのユキアリマサさん(P)が難しくてわかんないよー、と述べたところ「考えちゃだめ、数えちゃだめ」と言ってらしたが本当だろう。考えてどうにかなるくらいならとっくに考えているに違いない。

話が七転八倒して恐縮なのだけれども、最近私はロボットについて知る機会があって、これも以前からそう思っていたことでますますクリアになったことがあって、つまり、いわゆる情報処理(比喩でなくマジの情報処理ですね)というのと人間の考える手順というのは、ことごとく行き方が違うのである。

そこで最近は、機械がいつまでも「エラーです、やり直してください」ではしょうもないだろうということで、人間はこうやってるんだからそういうやり方に近い方法でやったらどうだろうという冴えたやり方が続々と登場してきているという流れである。ニュースをつまみ食いしていると、昨今、それがますます顕著になっているように思う。

というながーい前段ですみません。やっとジョージア工科大学音楽工学センターの『Robotic Musicianship Group』の動画の話へ帰ってきました。で、さっそく記事を読むとやり方は合っていると思うんだけど……音楽には、あんまり仰天しなかったです。音楽好きのみなさま、どう思われます? ちなみに動画はこちら↓

Robotic Musicianship jam session - Eastern
http://jp.youtube.com/watch?v=5DYOqSTmGDA


イケアの家具を組み立てた。

2008-11-26 | コレクション


クラシックイタチこと私の母は握力11とか14で、出かける時には「眼鏡が重いから持っていかない」という人なのだが、その母がイケア港北に行くために車を出して付き合ってくれて、言った。
「家具を組み立てるのって、おもしろいわよね」

イケア → 組み立てがたいへんらしい という発想は旧勢力である(笑)。

イケアにはお互いにやりたいことをちゃんとやろうというコンセプトが感じられる。たとえば配送という事業を拡大すれば、営業機会としては大きいわけだから儲かるだろう。だがそれはやりたくないのだ。ついでに、そういうのを望むお客さんも淘汰される。

店内でも、店員さんに寸法を聞くと、きちんと図を描いて考えてくれて
「その辺の長さなら……、三角形の法則で計算できますよね」
と、天井を見上げた。それを言うなら三平方の定理であるが、そういうところは間違っているほうがかえってスジがいいくらいのものである。(偏見!)こういう店員さんに出逢うと家具というデザイン、それがイケアだと思えてくる。私たちが一番手をつけやすい、「どうしてもここにひとつ棚がほしい」と「壁一面のシステム収納を注文したい」の中間地点から、その両側へ広がるようにインテリアを改革してくれるんじゃないかと期待してしまう。

「組み立て? いーですよ、やりましょう。」
というわけで、椅子を5脚買ってきました。SIXTEN(イケアのホームページでの紹介はこちら)という商品。パッケージを開くとこんな感じ。パーツは少ないし、楽々でございますよ。(力は要ります)


所要時間は5脚平均でだいたい20分/1脚ぐらいですかね。まずは座面にバツのかたちに脚をとりつける。ポイントは背を付ける穴には平滑な面とへこんだ面があるのだが、平滑な面がビス、へこんだ面がネジ側にしたいので、背に近いほうを平滑面にするよう、取説には書いてある。


パッケージに含まれていないが、必要な工具はこれ。家に道具箱のひとつもない、という方は、たしかソーイングセットみたいなものも売ってましたよ。村上春樹の小説に(これ、私案外気に入っちゃってるんだけど)妹の、理系の彼氏が来訪するなりあなたの近所に何件工具屋があったから、ちょっと行って買ってくるというくだりがあるのだが、あれですよ、あれ。工具箱を持ってるというのは、ひとつの教養であります。


背をつける。細工がよくできています。スチールだしね、ぜんぜん縒れないです。誰でもぴたっと合いますよ。


さらに、2脚目から採用した方法がこれ、両側から締め付けるようにするとスムーズです。


写真ではわかりにくいですが、椅子の布張りのテクスチュアがよくて、フォアグラなんかを食べるのにも向いています。(椅子は6490円なのでね、フォアグラのほうが高そうですが。)というわけで全工程で、1時間半ぐらい。長いですか? そうかなあ。長い会議よりはまし(笑)ではないですかね。

SoulSwitch vol.8 クリヤ・マコトmeets 土屋賢二へ行った。

2008-11-25 | ライブハウスへ行こう!


原宿EX'REALMというところで、おもしろいライブがあるというのでヒビキと行ってきた。表参道はクリスマス一色。さて、出演者は次の通り。

クリヤ・マコト(p)
土屋賢二(p)
佐藤“ハチ”恭彦(b)
夏目純(dr)

クリヤ・マコト氏といえば、夫のトランペットの師でもある原朋直氏、ズーラシアンブラスでもおなじみの中川英二郎氏ともゆかり深いジャズ・ピアニストで、作編曲家。ベースのハチこと佐藤恭彦さんは、ユキアリマサ(原朋直氏のパートナーピアニストでもある)氏のバンドや村上ポンタ秀一さんとのプレイでもお馴染みのウッドベースの名手。夏目純さんは、なにしろラテンがすごい、とっても音のきれいなドラマー(私見ですが、「夏目純」って、ドラマーの手本のようなお名前だと思いませんか?)。

ちなみにクリヤ・マコト氏をライブで聴いたのは初めてだったのだが、非常に理知的で、ことごとく「計算が合っている」という印象を受けた。

でもってこのようなミュージシャンをバックに土屋先生が生ピを弾かれるという趣向である。「本番では一割ぐらいしか実力を発揮できない」とおっしゃっていたが、半ば毒舌に聞こえるようにとの配慮であろうが、舞台に登場するなり客席側の右手が震えていてお気の毒なほどであったので、あながち冗談にも思えなかった。逆に言えば決して技術の問題ではない、むしろ気持ち上のちょっとのことで5倍はよくなるように思った。

お酒の出るブルーノートより、ある意味オトナな催しに、ヒビキは野球を蹴って──というか雨で中止──駆けつけたのだが、いや、今回はちゃんと起きて聴いてました。

やればできる、できるはず、の身体術。

2008-11-24 | コレクション
バレエ

クラシックバレエも今週は最終戦、じゃなかったついに最後のレッスンを迎える。なぜ最後になってしまうのかというと、これは地方自治体の体育館が主催する定期クラスで、3カ月ごとの募集であり、その都度参加者が抽選となるためだ。もちろん出席した人々はみんな応募したらしいのであるけれど、全員応募すれば、新規の申込者が一人でも増えれば誰かが落選という運びになるのは必至である。

そういえばヒビキが2年生になってみたらクラスの担任の先生が20代で、父母会のような機会に40代ずらりの父母と対峙したときに、おとな(というか年寄りサイド?)って「狡猾」だなあ、ということを実感したのだが、私の中のこの「狡猾」が、毒蛇の鎌首をもたげるのを、またも目撃した。

レッスンがあと2回、1回となると、これがなんと今までそれなりにやっていた柔軟なんかをさっぱりやらなくなるのである。なぜやらないかというと、痛いからだ。どんなに過酷な柔軟性も、見たこともない角度のポーズも、別にもうしばらくレッスンがないと思うと、勢いよく遠のくのである。今思うととんでもないことに自分は「いつかは」そういうポーズが可能だと思っていたのであって、「できる・できるはず」と思っていると、確かにかなりのところまでいけるというのも事実である。ところが遠のいたココロでは、体はびくともしない。(痛いからやーだー、とアタマがストップをかけている……)

先生が残念そうに、「次のレッスンまで1ヵ月以上空くんですよ」と言っていたことが思い出される。

「姿勢を美しく」だの「肩が凝らないかも」と言ったって──それに好きでやってるはずだって──人はやっぱりそれがいやおうなく役立つ場があるとないではぜんぜん態度が違うのである。そういった場は別に与えられなくても、自分で作ったってもちろんいい。たとえば中野区の中央図書館の建物とホールの建物の間にはちょっとした、鏡張りでもあるような通路があって、そこにはたくさんの若いダンサーたちが集まってよく練習している。たとえばそんなふうに、自分たちで作ることだってできるわけである。要するに──「本番」ですよね。

ヒビキも今週は聴く機会が2つ(これで野球が2つとんだ)、そして新しい本番も迫っている。

SFは音楽に限る。

2008-11-23 | おんがく
紅葉

最近ジャズうさぎこと夫が、YMO(というかオーディオスポンジというか、スケッチショーというか)を絶賛してやまない。ちなみにジャズうさぎ、などと書くと、ジャズの「名盤」を「レコードプレーヤ」で聴きまくっている気むずかしいおやじ、というイメージになっちゃいそうだが、ぜんぜん別物。夫の音楽的ルーツについてはこちらを参照ください。手短にはブラス(tp)&ロックバンド(楽器はギター、ジャンルはニューウェーブ)出身。

というきっかけで、あまり片付いているとはいえない、白っぽいウチの空間は、土曜日の朝、ライディーンなんかで満たされてたりするわけである。するとヒビキも反応しないではおらず(ヒビキはなにしろ2才ごろからかな、オーディオスポンジのファン)、(演奏に使われているのが)「これトイピアノだよね」と言ってトイピアノをわっさわっさ運んできて、「レミファ、ファソファミ、ミレドラレ」と弾いている。

かつて矢野顕子は、クラフトワークを「心のふるさと」と称したが、いまや私にとってもYMO(or HAS or HASYMO or Sketch Show)はココロのふるさとだよなあ、と思う。 ふるさとのなのに新しい、この耳をぴんと立ててしまうような時空感覚は、もしかして……SF?

実は先日「SF(サイエンス・フィクション)とは何だろうか?」を書いたものの、なんかどうもしっくりこないというかSFというものの核になるおもしろさが掴まっていないという気がしていたのが、もしかすると秋刀魚のような具合に、SFは目黒で、じゃなくって音楽に見つかるのがかっこいいかもしれない、と思ったのでした。

なんのこっちゃ。

野球か、演奏か、それが問題だ。

2008-11-22 | 出演!


12月の日曜日に野球の試合に出るという話が起こり、そうなると地域の小学校の父母というのは伝統的な組織力を発動して、どなたかがお世話をしてくださり、たちまちに校庭開放、練習日のご案内という運びとなったのには、とても驚いたのだったが、そうやって着地してみてから、よくよく考えると、これは自由演奏会の日程とも重なっているのであった。

まあヒビキが「自由演奏会へいくか」と言うのだから行くし、これで野球ができなくなるわけでもなし、だいたい最近のコドモは野球なら野球ひとすじってこともなくて、親もいろいろやらせてみて、そのうちにまあ何かひとつ続くものがあればよし、なければ勉強してね、というのが一般的だ。ただなんか親的には野球はよかったのかな、とも思う。

しかもそれが自由演奏会のことに限らない。その練習日というのが全部ドラムのレッスンとかぶっているのである。大人が考えることは似たようなものであるせいか、はたまた、単にたまたまかもしれないが、練習日のうち祝日だけがかろうじていけるかとおもいきや、それも知り合いのライブと重なっており、時間的に微妙。つまり、とぼけた親が申込みはしたけれど、要するにヒビキが野球をやる日程はすでになかったのだ。

そのことを、私はむしろ深刻に夫に話した。とぼけていて失敗だったという話はしかし、夫にかかると単にとぼけの進行が1段階進むに過ぎなかったりする。
「じゃあやっぱり、これからはびっきーずの練習時間をしっかりとっていかなくちゃいけないなあ」

とほ。そういえば、「トホホ科学」というのを書いています。野球と演奏ならぬ、「科学と広告のブログ」にて。お暇な時に。
「科学と広告のブログ」
http://sciencecopywriter.blogspot.com/


ルビッチの『生きるべきか死ぬべきか』DVD版
なんと1,500円だそう。
amazonの詳細へ

クラシックイタチのクラシックバレエ、それから。

2008-11-21 | バイオリン・レッスン
クラシックバレエ

昨日はヒビキのダンスのレッスンを教えてくれているかっこいいM先生にお会いした。そしたら「クラシックバレエ」やってるんですってね!と言われるではないか。くわっつ。

ヒビキが言ったのだそうである。

そういえば昨日ヒビキはバイオリンのレッスンでもあって、ユーモレスクが終了。早かったなあユーモレスク。ヒビキがなぜかとても好きな曲だったので、さっさと終わってしまったのだ。実はこのメロディ、ジャズうさぎも好きなんだよねえ。

いやしかし、話を戻しますとですね、そのあとM先生とエアロビとかJ-POPSのダンスのクラスの話にうつり、なんと大人も教えているということがわかったのだが、そうなると、結構そっちも踊りたい気はする。そういうのはいったいどういうんだろう、と思うと……クラシックイタチにはたぶん練習法とか上達とかいったことは、クラシックという畑でやらないと、わからないし、自信がつかないんだな、これが。そうやってエクササイズを積んで、何か別の文化的なジャンルへトライするというのが、いつの間にか方法になっているのだ。

ピアノでそうやったように。

しかしヒビキのクラスのキッズたちは違う。中には堅い踊りのコドモもいるが、最初からどうしてというくらいバネがあって、表情もゆるく笑っていて、とてもヒップホップなコドモもいるのだ。どうなんだろう、ひょっとして音楽もそんなふうに上手くなってるコドモたちが生まれつつあるんだろうか?

上達は楽しい、の魔力。

2008-11-20 | ピアノ
学校見学

このところクラシックイタチこと私は、クラシックバレエを少々習っておるのだが、そのプロセスで、かつてクラシックピアノを習っていた時の「レッスンとは何だったのか」に、改めて気付かされることが多い。

かつてタレントの清水國明さんが「好きなことと得意なことは違う」と言った。仕事でも人はわりと得意なことをやりがちで、得意なことはやれば人よりできるし、うまくいく気がするけれども、よーく考えると別にたいして好きじゃなかったりするのである。そりゃキライじゃないよ、と開き直っちゃったりしても、「好きなこと」は誰にもあるもんじゃないところが、むしろ「得意」と違うのだ。「得意」なんて、探せばある。開き直っちゃった人は、たぶん、自分が好きなことがまだよく意識されていないのである。

クラシックバレエで帰りがけによく話をする方がいらして、自分は「生まれてこの方からだが硬かった」と。今このようなレッスンを受けていて「とても楽しいです」と言った。得意じゃないものを、一万光年も遅れて始めたことは、さぞ好きなことであろう。私も、生まれてこの方からだが硬かった。少しでも「クラシックバレエ」ができるようになることは、たいへんうれしい。少しでも柔軟性がアップしてはいないかどうか、毎日チェックしてしまう。好きでやれたら、夢で逢えたらである。

そしてここでも簡単に、つまり「上達してるからいいんだ」というふうに安住しがちだが、もちろんそういう付き合い方もあるけれども、自分が好きなことで何かの役に立つということは、好きなことを続けていくうえでプラスである。私はとりあえず今日習ったことを家族に教えて柔軟性のあげかたという情報伝達してるんだけど、こんなのはまあ、はた迷惑の部類である。

そういう積み上げ型の発想をしていると、いつまでも「表現」が見えてこない。だが、表現は自覚的に行ったほうがよい。いや、「表現からしか入らない」ぐらいの気骨が必要だ。その意味ではクラシックイタチのクラシックバレエは撤退、クラシックピアノは瀕死である。

言ってみれば音楽そのもの、踊りそのものは、「上達」とは何の関係もない。だからほんとうは、レッスンの課程というのは、「ついでに必要な上達がついてくる、達成される」というのがきっといいのかな、と思う。それでもあることが出来ていなければなんともならんことはあるのだが、そこは我慢のしどころなんだということがお互いわかっているだけで、だいぶ違うよな、である。やっぱり何事も──おいおい、最近年寄り臭いのである──自分が何をやろうとしているのか、ばかりが頼りである。

なんてまあ、朝っぱらから、ですが。

※写真は“工夫大魔王”ヒビキの「ひかる色のセバーくん」(って何かは不明)。最近の小学校の図画工作は、このような透明のビニールにカラフルなものを入れて光あるところに吊した(あれ?もしかしてそれで「ひかる色」なのかなあ?)らおもしろい、というところを独自に発想するのが大事だと私は思うけれども、そういう技術的なアイデアをぼんぼんコドモに与えてしまって、そのアイデアがあまりに大きいので、コドモはみーんな似たよーなもんを作るというのが流行りのようです。そんななかでヒビキのは、モールでねじり上げたり、題を工夫したりしてるのが光ってたよ!

玉川上水へ工場見学に行った。

2008-11-19 | コレクション
森永乳業工場見学

先日、小学校のみなさんと、工場見学へ行った。牛乳の工場で、牛乳のパックや乳飲料、紅茶やヨーグルトなどを作っている工場だ。産地から生乳が運ばれてきて、検査してタンクに詰め、そこからステンレスのパイプを通って殺菌・加工され、さらにさまざまなパイプを通って製品になっていく。

ただし工場の上部に通路のようなものがあって、俯瞰でしか見ることが出来ず、作業員の目線では見学できないのと、見学コースがなんだかずいぶん短いことが残念であった。ふだんは小学3年生と5年生が社会科見学に来るのが主体だという。

ところでこの企画、クラスのお母さんたちが発案してくれたもので、午前も早くから近くの──400mトラックのある──公園に集合し、さんざん遊んでから工場へ、というものだった。

公園は、区内より何度か低い気温のせいか、鮮やかに紅葉していた。黄色い葉っぱの間から虹色の日射しが降り注ぐ中を、ちなみに、400m走ってみた。高校の受験時代1キロ約5分だったから1周換算2分だが、今は2分半という結果だった。よくも悪くもない、と思った。

森永乳業工場見学
牛(生きてません)が迎えてくれる、森永乳業(株)多摩サイト工場

ビッキーズが出てくる「ビキベース」

2008-11-18 | コレクション
ビキベース

ドラえもんが出てきて野球をする『ドラベース』というマンガがあって、ドラえもん好き、野球好きのヒビキにはまったくもって好都合というわけでよく読んでいるのだが、読む傍らにはアウトプット、「ビキベース」というものをヒビキが大事にしている自由帳、ミニスケッチ帳にいろいろと書き込んでいる。

ひょっとみたら、細かいです。ヒビキは写実よりも抽象が得意で、文字を書くのが好き、という事情から、マンガもこうなる。うむむ、編集の原点?

早くも「つんく♂さん」効果 !?

2008-11-17 | ドラム・パーカッション
**今回、たぶん投稿600回記念号! 閲覧ありがとうございます**



効果、という言い方をよくしてしまうのだけれども、偉大な人というのは、周りにうっすらと影響を与えずにはおかない。また先生と呼ばれる人というのは、得てして教えるというでもないのに結果的に周りに「教えて」しまう。そういうものなんだなあと最近感じる。我ながら、年寄りじみている。だけどつんく♂さんのリズム論を読んで以来、頭が勝手に街のBGMに反応して「1、2、3」と数えてしまう。それだけで、おかげでリズムになにやら自信がつくようである。自信があるだけではまた別の困ったちゃんだが、いちおうこれは進歩してるんだと思う。

さて、ここから先、「頭を使う」というコトバを以下の意味において使う。

頭を使う = 鈍くさい、センスなし

数を数えるというのはひとつの「頭を使う」である。自然とできないから、頭を使ってやるのである。土曜日は久しぶりにビッキーズの練習をしたのだが、キーボードを弾いていて、ああ私はまだ音楽のほうがましだ、音楽ならばまだ頭を使わない時もある、と思ったのだった。

仮想敵はもちろんクラシックバレエである。クラシックバレエは片時も頭を使わぬ時はない。そうは言っても身体性について頭で考えられることは限られている。だからやっぱり頭はかなりヒマになる。それでも頭、頭、頭である。クラシックイタチのクラシックバレエは、頭を経由せずできることはひとつもない。

ところで先日のクラシックバレエに、思わぬギャラリーがやってきた。その鏡張りの部屋に忘れ物をしちゃって取りに来ました、というスレンダーな小学生の女の子2人組である。と、大人が真面目にクラシックバレエをやっているので、「見ていってもいいですか?」というわけで、しばらく見て帰ることになったのだ。

まあ、黙っては見ていない。一緒にいろいろやってみてははしゃいでいる。女の子たちはやはり別のダンスのクラスに来ている子のようで、体がしなるようにやわらかい。マネしてやってみると、全然違う筋を示してしまうのだが、身体の持つ能力は高いし、ポテンシャルなんぞはたいへん魅力的なものを持っている。だが真似は常に逸脱し、違うことをやったりふざけたりして、そうそう簡単にはたちゆかない。おもしろいなと思った。

要するにコドモのレッスンの場合は、文化的なものをその若い体に植え込むのがレッスンなのかもしれない、と私は思ったのだ。逆に大人のレッスンとは、有り余るほど文化的なもんはあり(バレエはかくかくしかじかの点が素敵、というように)、だからこそ来ているのであって、それにちょこっと片足で浸かるみたいなことなのかもしれない。さらにコドモのレッスンでは、その体の使い道を教えてくれるものでもあるだろう。それをこのように使えば、このような内容を表現でき、このような感動を与えることができる、というように。

そう考えると確かに、元手の体の資産は少ないものなあ。植え込もうという方法論では、確かにそれだけでは、たちゆきそうにない。そのうちできるようにする、というまあヨガのような気長な気構えか、それとも何か別の気晴らしを考えないと、である。大人のレッスン、と気軽に言うけれども、今回については、方法論的にはなんだかとてつもなく別のものなのでは? と思ったのであった。

マカロンと、野球と、動物園と。

2008-11-16 | 動物園ニュース
今日は荻窪にある杉並区中央図書館へ、川端裕人さんの講演を聞きに行ってきました。ヒビキは「あのさ、悪いけど1階で待っててね」というクラシックイタチ(私です)のひとことで、図書館の中をなんと2時間もぶらぶらしてもらいました。さすがに最後の10分ぐらいには講演会場のホールへ現れて、「途中だったから後ろに立ってた」んだそう。

ちなみに川端裕人さんといえば響けブログ的には『動物園にできること』という、動物園(業)界に多大なる影響~エンリッチメントから、旭川動物園から、ノアの方舟計画から、ズーラシアまで、と思う~を与えたルポを書かれた方であり、その『動物園にできること』は、なにか動物園について本を読もうというなら、その一冊を買うことをぜひお勧めする次第。動物園の状況が一望できます。もうかなり古いものではあるのですが、すでに代表作の風格があり、しかもその先があることも予感させる、そういう意味でも楽しい読み物です。

ハッピーセットのおまけ野球
でもって帰りがけには、ヒビキが「書架のうしろに隠しておいた」という野球の本を借りて雨の中をぽつぽつ駅まで歩いて帰ってきたのだが、駅でマクドナルドに寄ったらハッピーセット!ということになり、これがまたこのたびは野球なのである。そこからはもうたちまちにして野球、野球、野球! という流れに。

マカロン

一方、先だってリプトンのペットボトルに伝統的な洋菓子のかたちをしたストラップのおまけがついていて(写真の左がそのにせもの)、その「ピンクのマカロン」をヒビキは非常に気に入っていたので、ふと「マカロンを売っているお店はどこだっけ?」と、まさにちょうどマカロンのお店の前で思い出すので、まあマカロンが何かをわからずにマカロンというのもまずかろうと思ってマカロンを買い(写真の右がそのほんもの)、やっと家へ帰ったのであった。

家へ帰ってもヒビキは相変わらず野球中継まくりなのであるが、マカロンのほうもすぐに食べてみて、「どうだった?」と聞くと──「5対1」との答え。あまりのゼン問答にさすがに二人でもって笑いましたが。