響けブログ

音楽コドモから「音楽コドナ」へちょっと進化。ドラムとバイオリンと小鼓を弾く、ヒビキの音楽遍歴。

ヒビキ、恵比寿でSuicaペンギンに遭遇。

2008-09-30 | コレクション
ヒビキはもともと電車が好きなうえにペンギンが好きで、というわけで、必然的に、典型的にSuicaが好きで、Suicaペンギンが好きである。

いつもせっせとSuicaのカードを作っているし↓ もちろん実際に子供用スイカを持ってもいる。(コドモ用スイカは穴も空いていないし、親的にはなくさないように管理するのがなかなかたいへんだ。)
Suica card

私たちはときどき用があって恵比寿へ行くのだが(ガーデンプレイスからはそれていく)、恵比寿駅ビルはJRのビルであることもあってか、そういえばスイカペンギンの空気でふくらんでるタイプのここでも使えますPOPも、かなり早い時期から駅中のうどんや前に設置されていたような気がする。

そこで先日、その恵比寿駅ビル通路に、ウワサのSuicaペンギンが出ていたのである。ただ最初それを発見したときは、よくある新しいカードの勧誘という趣で、JRの社員だろう方々が何人か、せっかく来てくださったペンギンさんを取り巻いて、写真などいーですよ、どーぞ、という感じにキャンペーンを展開していたのだった。(ペンギンは原画そっくりに、たいへんよくできていた)

ペンギンのあまりの完成度に圧倒されてか(そんなわけないか)、道行く人もあまり簡単にはべたべたとペンギンには触れず(そうか、恵比寿という客層か)、ヒビキの前に写真を撮っていたのは、つつましやかな大人のグループだった。ピースサインなんか、出してね。

というわけで、なんとなくヒビキの順番が回ってきたのだったが、ヒビキ、ちょっともじもじして、でも雰囲気的に「行け」な感じを察して、ペンギンの方へ↓
スイカペンギン@恵比寿

そしてさらに↓
スイカペンギン@恵比寿

Suicaペンギンが大歓迎してくれました。(ちなみに、スイカペンギンはfree hugではありませんが)……しかも、その後5分もしないうちにもう一度その通路を通ると、ペンギンは見あたらず、ふだんの人通りに。ほんの一瞬の邂逅であった。

秋の収穫祭2──これがたまごナスというもの。

2008-09-29 | 科学と科学者
前回の秋の収穫祭1(綿花)の続き。

たまごなす
↑初夏の双葉のころ。

たまごなすとは一体何なのか、実は私も知らない。前回の綿花に引き比べても、その知らなさは圧倒的である。それほどまでに知らないのに、収穫だけはできる運びである。これが教材というのは不思議である。実ればいいのだろうか? 太陽を浴び、水をやれば植物が育つという経験は悪いことではないけれど、別段科学ではない。つまりそのくらいはひと夏じゅう朝夕水をやらなくたってわかるし、でどうして実るのか、なんでたまごナスなのか、という教育ソフトウェアの内容は別段伝わってこない。

だけどとにかくその「タマゴナス」という名前は──少なくとも私にとって──強力な磁場を持っていた。私にとってその語感に一番近いものは、正直なところ「タンスにゴン」である。いや「ガラパゴス」かもしれない。もしかすると「あたまごなし」かもしれない。作曲家の「グラナドス」、ローマはトラヤヌス帝時代の代表的建築家の出身地で今や一大バラの産地で名高い「ダマスカス」……言葉にすればするほどいまいちぴったりとは来ないのだが、要するに妙な語感なのだ。さして近くないじゃん、と思われるかもしれない。だけれども「タマゴ」と「ナス」間の遠さに比しては、それでも十分近い。

教材には食べられないと書いてあったが、だいたい「タマゴ」と「ナス」である。どう料理しろというのだ。

ところがそこですべてを解決するぞとばかりに現れるのが、一枚の写真、すなわちこの植物には、「タマゴ」のような白い「ナス」が実るという、その収穫物の写真である。

で、とにかくこれが実りました。ほんとに。育てるプロセスは、もうまったく茄子です。花は紫で、葉脈などに「ナス紺」は現れないが、その色の問題以外はぜんぶ茄子。加えて確かにふつうの茄子よりもすこし卵っぽくきつい曲線でまるまると実ります。

たまごなす

で? と言われると、これがほんとに困るんです。実っただけ、でもって撮っただけ!という次第で。

※花の頃の写真をアップしていました。リンクはこちら↓
[「バイバイ、うるさいママ」と言ってヒビキは出かけていった。]
2008-08-06


夫のライブハウス巡礼と、とあるギタリストとの出会い。

2008-09-28 | コレクション
ニューヨーク、グリニッジビレッジ界隈
↑ガイド役はフリーペーパーの「Village Voice」誌でした。ニューヨーク、グリニッジビレッジ界隈、2000年4月撮影。photo by keiji

2000年の4月に出かけたニューヨーク旅行の話、まだまだ続いていますが、ライブハウスのことは、私自身は行かず夫だけ行ったものもあるので、ごく手短に、写真中心にお届けしたいと思います。

ニューヨーク伝説のライブハウスCBGB
Sun 9 April. ニューヨーク、伝説のライブハウス、パンクの殿堂、CBGB


ところで、このライブはとにかく日本人しかいなかった。日本人だと思うけれども、旅行客なのか、ある期間滞在しているのか、あるいは何か知り合いのつてでもあった日系なのかといった見当は特になく、彼らが日本語を喋っていたという記憶もない。パンクですしね、愛想のないのが取り柄な場所柄なので。

ニューヨーク、irijium
続いては、Mon 10 April.「irijium」というライブスポットでのLES PAUL TRIOのステージ。

ニューヨーク、irijium
ライブの様子はこんなんだったそうです。

ところでそのレスポールのライブで夫が知り合ったギタリストのライブがあるというので、しかもまだ滞在中の日程ということがわかり、そういうわけで出かけましょうということになったのが、2000年4月のニューヨーク旅行ライブハウス巡礼の〆となった。そもそもアマチュアのステージであるアポロシアターを除けば、結局は彼らが最もマイナーなグループであり、お客さんも知り合い関係の人々が占めているようなライブ──しかしそこには、クラシックイタチのニューヨーク滞在中最大の“音楽的”発見がひそんでいたのである。(つづく)

[ニューヨーク2000年滞在記、WTCツインタワーがあった頃。]
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秋の収穫祭1──綿花ができました。

2008-09-28 | 科学と科学者
綿花ができました

コドモの市販の教材で、「科学」テーマというから購読しているのだが、教材はほとんど「生物」のもので、いささかうんざりしている。生物は生き物を育てて観察するので、生き物の面倒を見ることをぜんぜんしない音楽コドモは、とにかく一度たりとも植物には水をやらないし、パッケージのままほおって置いたりするし、もうこれ蟻いないから捨ててもいい?と訊くとあっさり「いいよ」と言ったりする(蟻の巣作りを観察しようというキットなのですね、これが。私のコドモのころからあったよ。)

でもって、学校の朝顔から始まって、ことしは夏中綿花ともうひとつたまごなすという変わった植物の世話をいたしました。かくいう私も生まれて初めて、毎日水をやるということを体験して、いろいろ発見がありましたが、あまりに(園芸・農業知識の)レベルが低き話なので、省略。

たまごなすというのは妙にごろがよいので、そのこともあって、私自身がやけに期待してしまったりして、いやはや今年はずいぶん植物を「育てた」気がする。こういうことを書くと、いかに私が「育てる」のがヘタかを暴露している気がする。

でもって「綿花」というのもですね、アメリカ建国の歴史とかに出てきますが、実物というのを見たことがないし、いやたぶんあると思うのだけれども、ふつうに植物として育って、それがある日突然ポップコーンみたいに綿花になる、というところを目撃してはいないので、リアリティに欠けているのが気になっていた植物のひとつであった。「コットン」というのは身近なのにね。

綿花が実る
というわけでこれがコットンのもとの、綿花なんですよ、みなさん。
もとの植物はこんな感じで、はじける直前まで硬いです。また羊の毛がごっそりとれるのと対照的に、綿花は摘むのがたいへんそうだなあ、と思っていたのですが、こうしてみると、一つの実でかなりぎっしり詰まっています。

Blue Note New Yorkで、ジャズ市場について考えた。

2008-09-27 | ジャズ
ニューヨークの街角で
↑ニューヨークの街角で。 2000年4月撮影。photo by keiji

ジャズだ、ニューヨークだ、というわけで、2000年のニューヨーク旅行で、ジャズのライブハウスへ行ってみることにした私たちであるが……という前回の続き。

これまでのジャズクラブもそうだったのだが、特にブルーノートでは、さぞ日本人がいるだろうという予想に反し、日本人なんぞはぜんぜんいなくて、そのうえ日本人じゃないおそらくアメリカ人さえまばらにしかいなかった。

いったいジャズの市場というのはどうなっているんだろう? と、必然的に私たちは思わざるを得なかった。そして特に驚いたのがブルーノートなのだ。

要するに、私たちは、その日にブルーノートの午後に行われた演奏に、あまり好感が持てなかった。客席は閑散としており、けだるく、ほとんど憂鬱でさえあった。

そんな中で突然気づいたのだが……ブルーノートはニューヨークをはじめ、世界に4つの店があります。それは──東京、大阪、名古屋、そして福岡……なんとすべて日本ではないか。(ちなみに2008年現在大阪、福岡は閉店、一方ヨーロッパはイタリアのミラノでは営業しているようだ)

これが意味するところはすなわち、日本は世界でも有数のジャズ市場のある地域だということだろう。しかし、それにしても、世界にジャズを聴こうという人は滅多にいないのだろうか?

ところでその後、2008年の今年になってから、私たちは2回ほどblue note tokyoへ行った。2000年のニューヨークでのblue note体験に比して、それは救われるような体験だった。ひとつは小曽根真率いるノーネームホース、もうひとつはヒビキがすっかり大好きになってしまったシーラEだったのだが……こうなったら、あえて言おう「ブルーノートは東京に限る!」と。

その小曽根氏が言っている──

子供は大人に比べて知識が少ないから、そこで出ている音がどれぐらい魅力的な音か、どれだけ本気か、人間のエネルギーレベルでそのまま感じています。大人は知識がある分、有名な人だからとか、高いお金を払ったからとかで良しとしてしまうことがある。
ヤマハ音遊人「小曽根真インタビュー」より

この言葉がクラシックイタチには昨今、殊の外、いろんな局面で思いだされる。ジャズは、そういうつまらない大人の遊びではない。かといって、大人の大まじめかというと、そうでもないような気がする。だのに大人は、「知識がある分、有名な人だからとか、高いお金を払ったからとかで良しとしてしまうことがある」。本当に私もそう思います、小曽根さん。

[ニューヨーク2000年滞在記、WTCツインタワーがあった頃。]
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今見ても、ひどい写真だ。若いのはいいけれど。

2008-09-26 | ジャズ

↑ニューヨーク、バードランド前で。 2000年4月撮影。photo by keiji

ジャズだ、ニューヨークだ、というわけで、2000年のニューヨーク旅行で、私たちはジャズのライブハウスへ行ってみることにした。

Fri 7 April Birdland
Sat 8 April Sweet Basil
Sun 9 April Blue Note

私たちがまずでかけていったのはジャズクラブの老舗、Birdlandだった。出演はPizzarelliの、Johnではなくお父さんの方、と夫に教わってでかけたのだが、これはたいへんよいステージなのに加え、食事もできるスタイルで、夜の部のテーブルにはロウソクが置かれていて、満員じゃないから2ステージ目もみてっていい、という話でかなりアットホームな雰囲気だったのを憶えている。各テーブルで聴いているお客さんも往年のファンという感じで、アメリカの別の地域からニューヨークへ観光に来ている老年夫婦なんだろうな、と思われるカップルが多かった。

ニューヨークのスィートベイジル

翌日でかけたのは、グリニッジビレッジ界隈の、画学生が似合いそうなエリアにあるSweet Basilである。Sweet Basilは閉店した、という記事をどこかで読んだような気がしていたが、どうもサイトを見ると「sweet rhythm」という店になったようだ。建物の形や、Bleecker Streetとの位置関係が記憶と符合する。店内の写真も改装されてはいるが、ステージの配置やピアノの大きさなどが私がみたものに、よく似ている。


↑Google Street Viewより、2008年のニューヨーク、グリニッジビレッジのsweet rhythm。

ちなみに2000年のスイートベイジルでは、新鮮な野菜を使った料理が特徴で、明るく自由な雰囲気が、たいへんに居心地がよかったのを憶えている。別に満席ってわけじゃないけれど、そこそこの人が気軽に集まっていて、店の前には樹木もあって。日本でいえばどうかな、恵比寿の骨董品街みたいな感じだろうか。

そんでまあ、翌日はブルーノートへ行ってみましょうかね、ということになったんだと思う。

[ニューヨーク2000年滞在記、WTCツインタワーがあった頃。]
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ジョン・レノンとセントラル・パークのりすたち。

2008-09-25 | コレクション
ニューヨーク、セントラル・パーク
↑ニューヨーク、セントラル・パーク内のストロベリーフィールズにあるイマジンの碑。2000年4月撮影 photo by keiji

東京の中心は空洞だとか言ったのは確かロラン・バルトだったと思うのだけれど、そういうことをきちんと裏を取らずに書くと、あとでひどい恥をかかないともかぎらない。

まあいいか。というのも私が言いたいのは空洞かどうかではなくて、都市のまんなかに緑地帯があるということ。東京には皇居が、ニューヨークにはセントラル・パークが。もちろん違いもある。たとえば皇居はまるく、セントラル・パークは四角い、というように。

その四角いセントラル・パークの西を縦に走っているのが、デューク・エリントンの演奏で有名な「Take The A Train」である。wikiによれば、当時(1940s)Aトレインはブルックリンとハーレムという2大黒人居住地区を、特急の軌道で結ぶ電車であったという。現在は何本もあるニューヨークの鉄道の中でも長いもののひとつなのだそうだ。

そのAトレインをまたいで向かいのブロックのひとつに、1980年ジョン・レノンが撃たれたダコタハウスがある。観光客はセントラル・パーク内のストロベリー・フィールズというエリアにある「imagine」という碑を経て、ダコタハウス前を行ったり来たりして、そういう人々に対して静かに、しかし堅牢な警戒を払っているガードマンと、時にひと言ふた言交わして、やはり静かにそこを立ち去っていく。イマジンの碑を訪れる人も、ガードマンが立っているのも、それが毎日のことだ。


↑ニューヨーク、セントラル・パークにて。2000年4月撮影 photo by keiji リスはかわいらしいけれども、案外大きい。

[ニューヨーク2000年滞在記、WTCツインタワーがあった頃。]
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アポロシアターの座席はグルーヴする。

2008-09-24 | コレクション
アポロシアター
↑ニューヨーク、Upper Manhattanのハーレム地区にあるアポロシアター。2000年4月撮影 photo by keiji

このところ、大昔の2000年にニューヨークへ行きましたという話をもたもたと書いているのですが、書いているうちにもニューヨークではいろいろな出来事が起こるので、あっちこっちとふらつきつつ、今回はやっと、前々回に予告したアポロシアターのお話。

これは私たちが唯一現地の日本人のアテンド付きツアーで行ったライブで、というのもハーレムにあるというので、かなりびくびくものだったのである。しかしながら私たちが乗ったバスはセントラルパークを抜け、まずはソウル・フードのようなのを食べて、とてもオープンな感じの黒人の教会の人々に歓待を受け、みんなでまたぞろぞろとバスに乗って、やっとアポロシアターに着くというような段取りであった。今振り返ると、ツアーのように他人任せだと、余計に状況がわからないのでかえってびくびくするのだと思う。

というわけでやっとこさアポロシアターへ。座席配置の雰囲気は半蔵門国立劇場の大ホール(歌舞伎のホールですね)、しつらえは今はなき、古い方の池袋文芸座というという感じだったと記憶する。そもそもこのアポロシアター、現役の何かの「殿堂」というわけではなくて、今や「歴史的な建造物」扱いで、毎週水曜日の「アマチュアナイト」というのが主な興業という次第なのだ。ロビーのあたりとかがなんとなく優雅に作られていたのが大時代的だと思ったような記憶もある。

だがこのさびれたホールの記憶は、ニューヨークの想い出の中でもかなり印象深いもののひとつだから、旅というのはどこでなにを拾うかわからないものである。

夫はこう書いている。
アマチュアナイトはアメリカののど自慢みたいなモノだった。確かにレベルは高いのかもしれないが、やはり素人の芸の域は出ていない。残念ながら感心するほどうまい歌はなかった。(中略)むしろ「みもの」だったのは客席のノリの凄さで、応援に来ている客たちが、とにかく大騒ぎする。立ち上がって両手を上げて、もうギャーギャーと楽しそうに騒ぎまくる。これが黒人独特のノリとバネがあって、見ていてもとても楽しい。ちょっとしたダンスにもグルーヴがあるし、司会もMCもスタンダップコメディのノリでガンガン紹介していくのだが、それもまるでラップのようにリズミックだ。いかに黒人がリズムのセンスに優れているかを思い知らされた気がする。(それに比べて一般の白人はリズムのセンスが悪いように思った。下手すると日本人のほうが彼らよりリズム感はいいのではないだろうか?)

そうそう、おかげで私も思いだす。いや東京でもいい、池袋文芸座の赤い座席を憶えているだろうか? バネが左右違った強度になっていて見るからにいびつになっており、立つと勢いよく椅子が跳ね上がってぎしぎしと音を立てる。

アポロシアターの座席は、あれの大がかりなものだ。

別に満席という訳ではないのだが、私たちの前にはずらりと一列黒人の観光客がずっしり──とにかくみんな80キロや90キロはありそうな人々なのだ──腰掛けているのだが、その巨体のまんまとんでもない切れ味で、歌い踊りまくるのである。私たちの前にある一列になった座席そのものが、もはやウェイブと化して、リズムにあわせてうねりまくる(比喩ではありません)。そして何度も、この一列の椅子は、この陽気なお客さんたちを乗せたまま、バッタリこちらへ倒れてくるのではないか?──そんな心配をしている間にも、彼らはただ踊り続けるのであった。

そして旅の記録によれば、その後に、昨日書いたエンパイアステートビルへ行ったらしい。

夫は記している。
漆黒のビロードに宝石をぶちまけたような、贅沢な夜景だった。その数え切れない宝石のような灯を見ながら、マンハッタンという狭い島には、一体いくつの世界が並列して存在しているのだろうと、ふと思った。

私のなかにレム・コールハースというリファレンス・ブックがあったとすれば、夫の中には村上龍があったのかもしれない。

アポロシアター
↑Google Street Viewより、2008年のニューヨーク、アポロシアター。

[ニューヨーク2000年滞在記、WTCツインタワーがあった頃。]
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ほぼ日のステッカーを今年もゲット!

2008-09-23 | ドラム・パーカッション
ほぼ日のステッカー
↑ほぼ日アンケート2008特製ステッカー。『週刊リョーシカ!』の撮影で集まっていたマトリョーシカたちと一緒に、パシャッと写してみましたよ。

今年も、というからには昨年も当たったのですよ。
昨年の記事はこちら↓
[響けブログ] 2007-07/-01 ほぼ日のリズミムたちが……

ヒビキにとっては、今年のアンケートのテーマは写真で、しかも知らない有名人の話(ミュージシャンなら詳しい)なので、ほとんど興味がなく、たぶんステッカーを見せても「ほっぼ、ほっぼ、ほぼ~」と2007年のテーマソングを口ずさむだけだろうことは目に見えている。

今日は祝日だったので、かなり混んでいたけれどもスタジオへGO! すなわちビッキーズの練習でございました。ヒビキ、すごい気合い。大人のほうが気合い負けで、スタジオの予約を入れるという成り行き。実は先だっての日曜日には先月行き損なった陳さんの赤坂四川飯店へ行ったのだが、ヒマさえあれば譜面を楽しく読んでいるヒビキであった。

曲の話で、夫がそこはスネアだよね、なんと軽く言おうものなら、真顔で「ハイハットだよ」と言い返すマジぶり。

こうなるとクラシックイタチにはしょせん太刀打ちできぬワールドなので、別のリベンジを考えたのですよ。……ええとその話は、とりあえずニューヨーク・シリーズが終わってから、お届けしたいと考えております。

いつも閲覧ありがとうございます。

village voice、広告と無料の未来。

2008-09-23 | コレクション
ニューヨーク
↑photo by keiji

2000年の4月にニューヨークへ行って、最も衝撃的だったことのひとつが、village voice誌が無料であることだった。無料で、しかも街中のキオスクみたいな売店と隣り合った中に、歩道の脇の交通安全の横断用黄旗入れのようなボックスに入っていることで、道行く人に配られていくのだ。

そのような情報誌がFreeである、ということが、情報を得るのにはお金がかかるだろうと踏んでいた旅行者にはまったくもって最短の近道だったのに加え、考えてみれば情報代で誰が儲かるのかというと、そういうツーリスト相手に情報代を儲ける専門の人であって、それ以外は誰も儲かりはしない。だから情報なんかタダでくれたってかまわなくて、来て欲しい人と行きたい人の交差点というわけで、交差点に置いてあるという、単純明快さに驚いたのだ。今やいろんなサービスがフリーでもあたりまえだが、意外にもここ最近の話なのである。ちなみに『R25』の創刊は2004年の7月というから、それから4年後のことになる。

ヴィレッジ・ボイスには、ニューヨークで今行われている舞台やライブや美術館情報がきっちりと詰まっていた。だから文字通りライブハウスめぐりのようだった私たちのニューヨーク旅行は、すべてこのヴィレッジ・ボイスで組み立てたのである。夫のメモからライブへ行った記録を抜き出すと以下のようになる。

Mon 3 April Crosby Stills Nash & Young
Wed 5 April Apollo Theater
Fri 7 April Birdland
Sat 8 April Sweet Basil
Sun 9 April Blue Note, CBGB
Mon 10 April irridium Grove Club

このうちApollo Theaterだけは、現地の日本人ガイドからチケットを買ってオプションツアーのようなかたちで出かけた。確か料金は2倍以上したと思う。それでも、どうやってアポロシアターまで行くのか、という問題があったので、やむを得ないところもあったのである。つまり、アポロシアターはアッパーマンハッタン、黒人ばかりが住むエリアにあったからである。

ニューヨーク、ブロードウェイ
↑Google Street Viewより、2008年のニューヨーク、ブロードウェイ。ニューヨークの交差点近くに配置されているゴミ箱たち。ヴィレッジ・ボイス誌もちょうどこんなふうに歩道の脇に雨が入らないようなフタ付きで設置されていた。

[ニューヨーク2000年滞在記、WTCツインタワーがあった頃。]
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September 21st, Wall Street. 2008ニューヨークの、また別の話題。

2008-09-22 | コレクション
「ぶらぶらと、Wall Streetを歩いた。」
などと書いたのが20日で、その翌日に、Wall Streetで最後まで生き残っていた独立系証券会社2社が通常の銀行に転換して、連銀(の統括組織で、bankではなくてboardということらしい)の管理下に入ることになり、ウォール街が実質様変わりしたようである。

ゴールドマンとモルガン・スタンレー、ウォール街モデル捨てる
http://www.nikkei.co.jp/news/kaigai/media/djCJW6710.html


米ゴールドマンとモルガン・スタンレー、FRBの規制下に
http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPJAPAN-33867120080922

Empire State Buildingから、ニューヨークの夜景。

2008-09-22 | コレクション
エンパイアステートビルディング
エンパイアステートビルディング。2000年4月撮影 photo by keiji

ニューヨークへ行って、私が一番あきれたことは──そういえば英語がどの程度通じなかったかということは、まったく何も、かけらも、憶えていない──自分がニューヨークという街を東京との類推で考えているらしいことだった。

たとえばウォール街は兜町だし、東方の海上へ突き出た自由の女神はお台場である。しかもこのことがもう何というか、初めて見る風景を目にした瞬間に、私は自動的にそう思うのである。でもってこの段でいくと、エンパイアステートビルは、さしずめ、池袋サンシャインということになるのであった。

エンパイアステートビルは、ニューヨークという街を見渡すことができる展望台があって、そこへテナントとして入っているビジネスピープルたちを除いて、いわゆる一般の観光客には、展望台以外のお目当てはない。展望台へ上るには確かいくらか払って、そこそこの列に並んで、やはりエレベータで屋上へ向かう。まさに池袋サンシャインである。でもって、屋上は風が強い。

いや、エンパイアステートビルの展望台は、思った以上に暴風圏であった。しかも雪が降ったぐらいだから、気温も低い。体感温度は間違いなく零下である。自分の体温が実にリアルに次々に吹き飛ばされていく。

それでも容赦なく次々に新しい風がやってきて、ちょっとずつ、体温を奪っていく。自分の存在感がどんどん零度に近づいていく。

エンパイアステートビルディング
↑Google Street Viewより、2008年のニューヨーク、エンパイアステートビルディング

錯乱のニューヨーク (ちくま学芸文庫)
レム コールハース
筑摩書房

詳細へ
このぶんだとアムステルダムへ行ったら、今度はニューヨークとのアナロジーで、ということになるのかもしれない。


[ニューヨーク2000年滞在記、WTCツインタワーがあった頃。]
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今週のビッキーズ。

2008-09-21 | ドラム・パーカッション
先週のドラムでは、できないところがあってとっても悔しかったヒビキ、今週はそのせいかやや失敗警戒気味であったが、恒例のサタデーレッスンも無事終了、というわけでその後がビッキーズの練習にスタジオへGOというスケジュールであった。



ドラムレッスンで先生が「次の曲何にする?」と、ざくざくと譜面を広げると、「あ、サテンドールだ」とか言いながら嬉々として眺め、なんのことはなくスティービー・ワンダーの「You are the sunshine of my heart」にすることに。先生がピックアップした6曲ぐらいのうち5曲ぐらい知っているというのが、なんとなくさすがな感じがする。なぜなら楽器のレッスン生というのは一般に、意外にも曲を知らない人が多いからである。
「この曲だと、きっとすぐできちゃうよ」と先生が言うのだが、ヒビキはそういうのはぜんぜん平気なので、うんうんと言いながら、譜面を手にしたまま、にこにこしている。

そういえばたまたま入手した宮地楽器の『music in life9-10月号(秋号)』は、フリーペーパーだが、インタビューがすごい。巻頭の清塚信也インタビューに加え、ヒビキの行ったblue note tokyoのノーネームホースのライブで、小曽根真さんと飛び入りピアノデュオ(連弾)を弾いたソルトこと塩谷哲(さとる)さんのインタビューもすばらしい。

塩谷さんの家にある楽器は?
ピアノ、クロマティク・ハーモニカ、バイオリン、ギター

ピアニストを目指すには?
心底音楽が好きなこと。音楽への情熱。先人達へのリスペクト。練習は実はその手段です。

言い得て、過不足がない。

そうそう、クラシックイタチは最近気づいたのだが、「頭よく」と「効率よく」というパラメータを外してみる。「頭よく」には個人的な限界があるし、「効率よく」にはどうせ物理的な限界があるのである。こびりついてるから外すのはなかなか難しいが、うまくいくと案外、見通しのいい道に出たりするのである。

ビッキーズ、練習開始。

2008-09-20 | 出演!
 録音係の子ペンギン

10月のやらまいか音楽フェスティバルin浜松出演へ向けて、ビッキーズの練習が始まった。っつーか、あと1ヵ月ないじゃんという、すでにそういう状況である。

助っ人のベーシストも決まって、曲目も決まりつつあり、ってほんとになんにも決まってなかったんですよ。やっぱりねえ、ジャズうさぎのアプローチは、一般的じゃないですよ。

 ジャズうさぎ

というわけでスタジオへ入ると、いつもお荷物のクラシックイタチは、以下のようなことが「生来的に」できるヒビキくんにいつもお世話になっている次第である。しかしなぜできるんでしょうか?

・ひとの演奏を聴いている
・曲のリズム感(前のめりなのか、疾走感はあるのかなど)を掴んだ演奏ができる
・音楽や演奏を組み立てていくスタジオでの態度がよい

先週は第一回目の練習だったのだが、特にヒビキのいう「イザンチラブリ」こと、スティービー・ワンダーの「Isn't she lovely」が壊滅しました(笑)。

今日は助っ人の天才Sさんが参加してくれる予定。

ぶらぶらと、Wall Streetを歩いた。

2008-09-20 | コレクション

ウォール街。2000年4月撮影 photo by keiji

観光客がウォール街へ行っても、別に何が観られるわけでもないのだけれど、せっかくニューヨークへ来たのだから、まあ行ってみようということになったのだと思う。証券取引所の前の道は思ったより狭く、少しくねっていて、その坂を下りたところで──坂というほどの勾配はなかったかもしれない──私たちはカフェに入った。

天井は高く、あまり新しくない内装で、どことなくアットホームな店だった。時間がはずれていて、席に腰掛けている人もまばらで、店員さんたちもひまそうにしていた。そんなに広い店ではない。ガラス張りの向こうがウォール街に面していた。


↑Google Street Viewより、2008年のニューヨーク、ウォール街周辺

2008年のウォール街は、ところどころ工事をしていて、車が進入できない道や、トンネルのようになっているところもあり、いかにも再開発中という感じだ。

たまたま結果的にそうなっただけなのだが、東京証券取引所の建物を見たのは、ニューヨークからさらに6、7年もあとだった。ここが世界の経済を左右する場所なのか、というちょっと意外な感じ、つまり予想よりなんだか地味な感じは、妙にウォール街に似ているのだった。

[ニューヨーク2000年滞在記、WTCツインタワーがあった頃。]
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