秀山の俳句写真日記

日々の生活、旅先での出逢い・思いを俳句、写真、文にした徒然日記です

白村江の 教訓学ぶ 敗戦忌 

2021年08月16日 11時14分30秒 | 日記

白村江の 教訓学ぶ 敗戦忌

      白村江:はくすきのえ

1945年8月14日 日本、降伏要求文書「ポツダム宣言」受諾を通告・・・
2021年8月15日終戦記念日の挨拶
天皇:
・・・過去を顧み、深い反省の上に立って、再び戦争の惨禍が繰り返されぬことを切に願い、・・・
菅首相:
・・・戦争の惨禍を、二度と繰り返さない、・・・
 
 私は、日本史上の変革の契機というと主に19世紀の黒船来航、20世紀の太平洋戦争の敗北を思い浮かべていました。しかしながら、8月12日毎日新聞朝刊の「オピニオン激動の世界を読む」で五百旗頭真氏が書かれた{「日本、歴史から学ぶとき」、「攻めず攻められぬ関係」}記事を読み、「白村江の戦い」にも現代に活かせる貴重な教訓があったことを初めて知りました。大学受験用歴史勉強を反省しました。
 記事によれば、「最初の終戦記念日の前日、天皇は3人の元首相と吉田茂首相以下を招集して、懇談の機会をもうけた。『昭和天皇実録』によれば、天皇は冒頭、『かつて白村江の戦いでの敗戦を機に改革が行われ、日本文化発展の転機になった例を挙げ、今後の日本の進むべき道』を問うた」とのことです。
 白村江の戦いとは、斉明天皇と中大兄皇子が、百済再興勢力からの支援要請に応えて数万の大軍を朝鮮半島に派遣し、663年8月、白村江で唐・新羅連合軍に大敗を期したというものです。
 早速、図書館で白村江の戦いに関する本を数冊借り、斜め読みしました。中大兄皇子(671年に天智天皇)はこの戦いを機に(一説によれば戦い自体を利用して)、以下のように国の形を根本的に変革したとのことです。
① 豪族群雄割拠状態の日本国内を中央集権化
② 唐の来襲に備える国防体制の構築(対馬から大和までの各所に水城(みずき、土塁)と城の建設、のろし通信網の構築、防人の制度化、近江遷都、等々)
③ 唐と新羅との緊張関係、並びに「海という壁を利して、中国との間に攻めず攻められぬ関係を保ち、交易と交流のみを基本とした(五百旗頭氏)」、
④ 唐文明の高さを率直に認め、積極的に学び、唐制度を範とした律令国家を建設
 五百旗頭氏は記事の最後で、「周辺国の大軍拡と支配拡大意思」がある今日的状況の中で、「攻めず攻められない関係をいかに築くか」を「白村江以降の歴史に照らして考えるべき激動のさなかに我々はあるのではなかろうか」と問い掛けられています。
 私は更に、コロナ戦での敗北が濃厚となった今、政府は根拠希薄な楽観論に基づいてきたこれまでの対応を率直に「反省」し、仕切り直しをする誠実さと勇気を持ってほしいと思います。今回のコロナ戦争で原爆投下で降伏受諾に追い込まれたような愚は是非とも避けたい。東京は今、緊急治療を必要とする人が入院できずに苦しんでいるとの事例が増えています。
 国の形との関係では、これからのウィルスとの共生という観点からも、かつて真剣に議論されていた「首都圏一極集中の解消」と「地方の活性化」に真剣に取り組むべきではなかろうか。オリンピックで増大する航空需要にこたえるためにという名目で新設された人口が密集する東京都心上空を通過する航空路は、今も必要か?首都圏直下型地震が発生したら東京はもちろんの事、日本全体はどうなるのか?
 変革が迫れている日本に相応しい政治家、指導者を生み、後押しするのも民主国の民の責任、と徒然思うこの頃です。

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