朝もみじ徒歩御寺への道すがら
広々と三千院のもみじ狩
静やかに朝の日蔭のもみじかな
朝の日に陰陽の美の黄葉かな
樹間より朝日もみじの浮かびをり
三千院もみじは淡きグラデーション
京都もみじ狩の二日目は、朝食前に霜の降りた大原の里を散策し、寂光院にも立ち寄りました。体は冷え切りましたが、温かい朝食でエネルギーを補充し、9時頃宿を出、徒歩で三千院に向かいました。大原の里は三千院も含め、黄色のもみじが多いような印象を受けました。
三千院のもみじの景は、午前中ということもあるのかもしれませんが、朝の日の当たるところと日蔭のところそれぞれに、静かで落ち着きのある美しさを感じました。
苦難へし御寺に静か黄葉もゆ
御仏の慈愛千年黄葉もゆ
天台宗の三門跡寺院(注)の一つである三千院は、広くて開放的で親しみやすいお寺のように感じました。「三千院」の寺名は1871年(明治4年)から使われ始めたとのことで、昔からのお名前と思っていた私には意外でした。波瀾万丈の道を歩まれたお寺さんのようで、開基は8世紀。その後各地を転々とし、寺名も変わり、明治4年に今日の「三千院」になったそうです。
(注)他の二つは青蓮院と妙法院
国宝の阿弥陀如来像は往生極楽院本堂に安置されています。仏像は比較的大きく立派なものですが、堂は小さく極めて開放的のように私には思えました。この像と堂とのある意味アンバランスのお蔭で、国宝の仏像が建物の中というよりお庭、又は自然の中におられるようで、とても身近に感じました。阿弥陀さんをしばし拝顔しながら、この千年、このお一人の阿弥陀さんに、数えきれない人間が願いや悩みを打ち明けながら今日に至る不思議さを思いました。慈愛溢れるお顔をされているこの阿弥陀さんはそもそも何なんだろう、とも思いました。
山茶花や明るく耐へむコロナ禍も
山茶花にも出会いました。この花の花言葉は「困難に打ち克つ」、「ひたむきさ」とのことです。生きるには厳しい冬に花を咲かせる山茶花です。日の当たるもみじを背景にした日蔭の白い山茶花には、「美しさ」と「逞しさ」を感じました。