秀山の俳句写真日記

日々の生活、旅先での出逢い・思いを俳句、写真、文にした徒然日記です

コロナ禍でも 五輪観戦 教育の ためと言ふこの 国の指導者

2021年08月22日 14時53分50秒 | 日記
コロナ禍でも 五輪観戦 教育の ためと言ふこの 国の指導者
茶道の神髄・・・、 和敬清寂
 
 
コロナウィルス感染拡大が止まりません。誰が感染してもおかしくない状況になりつつあるのかもしれませんが、自他衛を心がけ、気持ちだけでも明るく日々を過ごしたいと思っています。
 
今朝の毎日新聞朝刊の一面に、元特攻隊員であられた裏千家前家元の千玄室さんの記事と学校夏休み延期の記事が併存していました。
 
恥ずかしながら、この記事を読むまで私は知りませんでした。千さんが元特攻隊員であられたこと、その渦中にあられた時に特攻という国の決定に抑えられない怒りをお持ちであったこと、理由が分からずに特攻を免れたことに負い目を感じ、その後は茶道を通じて平和の尊さを国内、海外に訴え続けていること、・・・。
 
パラリンピックは無観客開催と決まりましたが、国の政府は学校観戦は地方自治体に判断任せ。
 
東京都知事の小池氏は都の感染者数が5千人前後で推移していた数日前でも、学校観戦は「共生社会の実現に向けた教育的要素が大きい」と強調した由。入院できずに亡くなられていく方々が増えている状況下のでの教育効果と命を守ることとを秤にかけての判断結果がこれとは・・・。
 
今日の朝刊の二つの記事を見まして、戦争、コロナ禍等の国家非常事態における指導者の決定の重大性を改めて思いました。
民主国では、国の形、政治指導者の選択は国民の選挙結果です。今日の横浜市長選で、横浜市民はどのような判断を下すのでしょうか・・・
 
ところで「和敬清寂」とは、先の記事によりますと「茶道の神髄となる精神」で、「たがいに勧め合う(和)、身分に関係なく尊敬し合う(敬)、清らかな気持ちを持つ(清)、そして、動じない(寂)」、英語ではharmony, respect, beauty, keep your mindとのことです。
初めて知りました。とても意味の深い、良い言葉だと思いました。

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あの雲に乗って行きたや夏籠

2021年08月19日 12時25分23秒 | 日記
あの雲に乗って行きたや夏籠
ヴェランダの読書涼しや古へ
        古:いにしへ
 
赤ちゃんまで入院できずに亡くなられたとの悲しい事態が発生しました。
こういう事態にこそ国、行政の出番のはずが・・・
誰が感染してもおかしくない状況になったのかもしれません。
今まで以上に自他衛を心がけたいと思っています。
籠らざるを得ない状況に置かれていますが、気持ちだけでも明るくできたらとも思います。

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白村江の 教訓学ぶ 敗戦忌 

2021年08月16日 11時14分30秒 | 日記

白村江の 教訓学ぶ 敗戦忌

      白村江:はくすきのえ

1945年8月14日 日本、降伏要求文書「ポツダム宣言」受諾を通告・・・
2021年8月15日終戦記念日の挨拶
天皇:
・・・過去を顧み、深い反省の上に立って、再び戦争の惨禍が繰り返されぬことを切に願い、・・・
菅首相:
・・・戦争の惨禍を、二度と繰り返さない、・・・
 
 私は、日本史上の変革の契機というと主に19世紀の黒船来航、20世紀の太平洋戦争の敗北を思い浮かべていました。しかしながら、8月12日毎日新聞朝刊の「オピニオン激動の世界を読む」で五百旗頭真氏が書かれた{「日本、歴史から学ぶとき」、「攻めず攻められぬ関係」}記事を読み、「白村江の戦い」にも現代に活かせる貴重な教訓があったことを初めて知りました。大学受験用歴史勉強を反省しました。
 記事によれば、「最初の終戦記念日の前日、天皇は3人の元首相と吉田茂首相以下を招集して、懇談の機会をもうけた。『昭和天皇実録』によれば、天皇は冒頭、『かつて白村江の戦いでの敗戦を機に改革が行われ、日本文化発展の転機になった例を挙げ、今後の日本の進むべき道』を問うた」とのことです。
 白村江の戦いとは、斉明天皇と中大兄皇子が、百済再興勢力からの支援要請に応えて数万の大軍を朝鮮半島に派遣し、663年8月、白村江で唐・新羅連合軍に大敗を期したというものです。
 早速、図書館で白村江の戦いに関する本を数冊借り、斜め読みしました。中大兄皇子(671年に天智天皇)はこの戦いを機に(一説によれば戦い自体を利用して)、以下のように国の形を根本的に変革したとのことです。
① 豪族群雄割拠状態の日本国内を中央集権化
② 唐の来襲に備える国防体制の構築(対馬から大和までの各所に水城(みずき、土塁)と城の建設、のろし通信網の構築、防人の制度化、近江遷都、等々)
③ 唐と新羅との緊張関係、並びに「海という壁を利して、中国との間に攻めず攻められぬ関係を保ち、交易と交流のみを基本とした(五百旗頭氏)」、
④ 唐文明の高さを率直に認め、積極的に学び、唐制度を範とした律令国家を建設
 五百旗頭氏は記事の最後で、「周辺国の大軍拡と支配拡大意思」がある今日的状況の中で、「攻めず攻められない関係をいかに築くか」を「白村江以降の歴史に照らして考えるべき激動のさなかに我々はあるのではなかろうか」と問い掛けられています。
 私は更に、コロナ戦での敗北が濃厚となった今、政府は根拠希薄な楽観論に基づいてきたこれまでの対応を率直に「反省」し、仕切り直しをする誠実さと勇気を持ってほしいと思います。今回のコロナ戦争で原爆投下で降伏受諾に追い込まれたような愚は是非とも避けたい。東京は今、緊急治療を必要とする人が入院できずに苦しんでいるとの事例が増えています。
 国の形との関係では、これからのウィルスとの共生という観点からも、かつて真剣に議論されていた「首都圏一極集中の解消」と「地方の活性化」に真剣に取り組むべきではなかろうか。オリンピックで増大する航空需要にこたえるためにという名目で新設された人口が密集する東京都心上空を通過する航空路は、今も必要か?首都圏直下型地震が発生したら東京はもちろんの事、日本全体はどうなるのか?
 変革が迫れている日本に相応しい政治家、指導者を生み、後押しするのも民主国の民の責任、と徒然思うこの頃です。

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コロナ禍の 五輪をはるや 蝉時雨

2021年08月10日 13時58分19秒 | 日記
コロナ禍の 五輪をはるや 蝉時雨
 
コロナ禍五輪
閉じ翌日は
原爆忌
来たる選挙の
票の重きか
 
 
 今、新聞やテレビを見ていますと、1984年に出版された名著「失敗の本質 日本軍の組織論的研究」が読み直されている気がします。私も現役時代に何回も読み直し、一軒家からマンションに移った際に持ってきた数少ない本の一つです。今、書棚を見て、確か、だいぶ前に息子に貸して、まだ帰ってこないのかな、私の記憶違いかもしれないが、と思いました。これからの日本を担う若い方に是非読んでほしい本の一冊です。
 今の米中関係を見ていますと、日本が米国等の経済制裁に堪えられず、短期戦の展望しか持たずに戦争に突入した悲惨な歴史が思い浮かびます。
 ここまで深刻化してしまったコロナ禍への現在の日本の政治指導者と官僚の対応を見ていると、太平洋戦争で露呈した日本の国家指導者の
「兵站無視、情報の軽視、科学的見識の軽視、終局の仕方ヴィジョンをもたない根拠のない無責任な楽観論、結果に対する責任意識の希薄、国家第一と言いながら実際は自己自身と所属組織(省、海軍、陸軍等々)の保身を第一とする思考・行動様式、これ等の集約結果となる大局的な見地からの国家戦略観の欠如」
等々を目の当たりにしている思いに駆られています。
 太平洋戦争で塗炭の苦しみを味わったのは結局は、国民でした。
 今回のコロナウィルスとの戦争で、国の対応が後手後手になっている状況にもかかわらず、日本の感染率と死亡率が他国に比べ、まだ、低いのは、日本国民の高い衛生意識、自分のみならず他者をも思う心の在り様と高い社会的倫理観のお蔭と改めて思います。
 一方、日本の歴史を振り返りますと、大きな流れの中にいる日本人は、大きな外圧がないと国家の方向転換の舵を切れないとの心性にあるようにも思います。
 コロナウィルスとの戦争の最中に行われる来たる総選挙で、国民はどのような国家指導者にこれからの日本の運営を委ねるのでしょうか?
 私は、熟慮を重ねて一票を投じなければと思っています。

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波静か 夕焼け淡く 利尻富士

2021年08月06日 23時50分30秒 | 旅行
海へだて 冷で献杯 利尻富士
   冷:ひや、冷や酒、 海鮮処カフカ
 
波静か 夕焼け淡く 利尻富士
夕焼けや 澄みし浅瀬も 底の静けく
      香深港よりしばし南に歩きて
 
 
 
 礼文島に16時に着いてから宿に寝に戻るまでの3時間、ずっと利尻富士に魅せられていました。本当に端正、優美な姿で、本家の富士山とは異なる意味で、日本一、という思いです。
「カフカ」を出たのが18時前でまだ明るかったので、香深港の防波堤とテトラポットが視界に入らずに利尻富士を観れるところまで一人南に歩いていきました。とても静かで、利尻富士と空が夕焼けて少しづつ赤みを帯びて行きます。時折、海猫が一羽、二羽海原に浮かび沈み、又は利尻富士を横切っていきます。
 私の他誰もおらず、海岸道路脇に腰を下ろし、澄み切った浅瀬の底の岩とさざ波を眺めていました。
 
ウミネコと目でご挨拶礼文島
 
 
 ところで、私の住んでいる江東区にはカモメがたくさんいます。礼文島に着いてからもカモメかなと思いつつも、体が少し大きい感じがしましたのでインターネットで調べましたら、私が見たのは海猫でした。カモメとウミネコの違いについてインターネット曰く;「外見上の一番の特徴は、カモメのくちばしが黄色一色であるのに対し、ウミネコは黄色いくちばしの先端に黒帯と赤班があること」。海猫さんの写真を添付します。鳴き声も海猫は猫のように鳴くとのこと。
 
 

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