少年時代の部活動
小学校時代には野球をやっていました。
中学校に入って、野球をやりたかったのですが、私は足が遅いので野球は断念しました。
人気の軟式テニス部入部
中学に入学して、軟式テニス部に入部しました。人気の部活で、女性が多くいて楽しそうだったからです。
2~3カ月の間軟式テニスの練習をしていたのですが、同級生の男子が冷やかしたり、自分でも女性と一緒に練習するのも軟弱な気がしていて継続するかどうか悩みました。
その頃、隣のクラスのボス的存在の男子生徒が私に喧嘩を売ってきました。私も応戦して結果は私が勝ちました。それを聞きつけたのが当時の柔道部主将でした。
当時、私は身長が166センチ位あり(現在も同じ身長で、その後伸びませんでした)体格が良かったということ、ボス的男子生徒に勝ったのを聞いて勧誘に来たのだと思います。
勧誘を受けて柔道部に入部しました。柔道部は、クラスの1室が道場でした。段取りや受け身の練習を一生懸命しました。
柔道の練習で1番きつかったのは、兎飛びで運動場を一周することでした。それでも辞めずに練習しました。
中学2年生になった時に、親の転勤により都城の小松原中学校から宮﨑の宮崎中学校に転校することになりました。
当時、その通学途中に宮﨑刑務所(現在は吉松刑務所に移転)がありました。刑務所の檻の外では、模範の受刑者らが農作業をしたり、刑務官の家の補修をしたりしていました。
刑務所には、刑務官が体を鍛えるための柔道場がありました。私はそこの柔道場に通って練習をしました。刑務官の猛者の中に私より背の低い人がいましたが、さすがに強くてコテンパーに投げられました。
国鉄の親の鹿児島市の転勤に伴って、高校は私立ラサール学園に入学しました。
入学試験で行ったときに、学園の運動場の前は白砂の海で、錦江湾や桜島が眺められ、そこで昼食を取ったことが思い出されます。
現在は、埋め立てがなされていて、道路や建物が立ち並んでいます。昔の風情がなくなったのは寂しい気持ちです。
高校でも柔道部の部活をしました。余り盛んな部活ではなかったです。学園の宣教師のザビエル先生も一緒に練習をしました。柔道の経験はなさそうでしたが、体が大きく力が強いので私の柔道は通用しませんでした。柔道は技といいますが、バカでかい人には技も通用しないと思いました。
中学校高校と柔道の練習をしてきました。昇段試験を受けてないのですが、実力的には、黒帯の初、2段ぐらいはあったかと思います。
今振り返って思えば、柔道を初めてから身長が166㎝から伸びませんでした。兎飛びなどで足を酷使し、背負い投げ重い人を担いだりした影響かなと思ったりします。
軟式テニスをやったり、バスケットをしたら身長も5㎝以上は伸びていたかなと少し後悔しています。
しかし、柔道をしたことで足腰が鍛えられ、がっしりとした体格になった利点もあります。
練習の後のぜんざいは美味しそうです。
良い思い出・体験ですね。
コメントありがとうございます😊
ぜんざいは今でも好きで、今日も昼飯代わりに餅を入れて食べました。
昔の思い出です。