書は、いつでもだれでも書ける。
記録はすぐメモる。
手紙はその時の思いをつづる。
結果的のそういうものが書の名品になっていることは多い。
はたまた、作品を作ろう(書こう)として作り(書き)、名品にしたものもある。
書は日頃、修練し、その上で、その時の状況で何かを書く。 というような事が多い。
また、書は上手さではない。
時に、子どもが書いたのにも驚く。
書は、その内容をただ書くことを要求されることがある。
そこでは、それにまつわることを瞬時に判断し、その期待に応えようとする。
そして他に、今はあたり前のようにいわれる表現としての書がある。
表現として大事なものは何か。
うけるセンスか。
誰も考え付かないようなことか。
時代が変わっても、表現として大事なことは、心に何があるかではないだろうか。
言葉と書線、墨色……、いくつかのことをジグソーパズルのように組み合わせていく。
そうしたなかの思いが形を作っていく。
その思いはしっかりした生き方が作る。
また、深い想いから生れ出ることもある。
想っていても、ありきたりの表現になることはままある。
だったら想わなくても、ハチャメチャに書いた方が、目新しいかもしれない。
そういうレベルがほとんどでありながら、また書を書く停滞気味の現世である。
それでも、意(こころ)を尽くせ。
遥かむかし、「君ヲ想ウ」とシルクスクリーンにしたことがある。
誰にも見せられない作品であった。
そのシーンは今も続いて、いつか作品になるか?
凡作にするかしないかは、生き方なのだろう。
書の善し悪しは、おおかた生き方で決まる。
書く前に生き方を見つめろ!
このご時世、存在感をアピールする輩も多いが、
また、ちまたには存在感のない書が多すぎる。
記録はすぐメモる。
手紙はその時の思いをつづる。
結果的のそういうものが書の名品になっていることは多い。
はたまた、作品を作ろう(書こう)として作り(書き)、名品にしたものもある。
書は日頃、修練し、その上で、その時の状況で何かを書く。 というような事が多い。
また、書は上手さではない。
時に、子どもが書いたのにも驚く。
書は、その内容をただ書くことを要求されることがある。
そこでは、それにまつわることを瞬時に判断し、その期待に応えようとする。
そして他に、今はあたり前のようにいわれる表現としての書がある。
表現として大事なものは何か。
うけるセンスか。
誰も考え付かないようなことか。
時代が変わっても、表現として大事なことは、心に何があるかではないだろうか。
言葉と書線、墨色……、いくつかのことをジグソーパズルのように組み合わせていく。
そうしたなかの思いが形を作っていく。
その思いはしっかりした生き方が作る。
また、深い想いから生れ出ることもある。
想っていても、ありきたりの表現になることはままある。
だったら想わなくても、ハチャメチャに書いた方が、目新しいかもしれない。
そういうレベルがほとんどでありながら、また書を書く停滞気味の現世である。
それでも、意(こころ)を尽くせ。
遥かむかし、「君ヲ想ウ」とシルクスクリーンにしたことがある。
誰にも見せられない作品であった。
そのシーンは今も続いて、いつか作品になるか?
凡作にするかしないかは、生き方なのだろう。
書の善し悪しは、おおかた生き方で決まる。
書く前に生き方を見つめろ!
このご時世、存在感をアピールする輩も多いが、
また、ちまたには存在感のない書が多すぎる。
コメントありがとうございます。
最近は自己アピールだけの存在感のある書も気になりますが…。
へらぶな、からの、へら、ですか。
釣り人は、仙人みたいですよね。
ゆっくりみられませんでしたが、さっと、ブログ拝見。
また、よろしく、です。
「ちまたには存在感の無い書が多すぎる」
なるほど!”と思いました。此れから楽しく読ませてもらいます。ありがとうございました。