幻の姫谷焼

幻の姫谷焼を現代に再生

毛利元康

2018-07-21 12:44:42 | 日記
姫谷焼はだれが始めたにかわからなかった。
備後国神辺城主 毛利元康(毛利元就八男)1591年から1600年神辺城主
元康は元禄・慶長の役の時に朝鮮出兵している。
その時に、朝鮮の陶工を連れて帰り、備後国に焼き物を始めたのが姫谷焼の始まりです。 
姫谷焼は毛利藩の御用窯であります。
1600年に関ケ原の戦いで毛利は破れ、神辺城を撤退した。
毛利家の御用窯であった姫谷焼を、毛利家と深い関係のある西本願寺が引きついたと思われる。
窯跡の土地の所有が浄土真宗本願寺派正福寺であります。
正福寺が支援をしていたものと思われます。