かべ日記

日々感じたことを、ひたすら記録。
積み重なった言葉が何かを生み出す…はず!!

発話行為理論

2009-07-22 23:23:07 | 読書記録
画像の本を読んでいる。
その中に哲学者・オースチンが1962年に提唱した、「発話行為理論」が記載されていた。
これが「なるほど」と思える内容。今日の僕の身に起こった出来事を例に紹介する。

コミュニケーションの基礎となる発話(意思表出)を、オースチンは3つに分けて説明しているそうだ。

〈発話行為理論〉
①「発話行為」:話し手の発した言葉そのもの。
②「発話内行為」:話し手が本当に伝えたかったこと、話し手の意図。
③「発話媒介行為」:話し手の発話①を受けて、聞き手がとった行為。(発話により引き起こされた結果)

この3つを踏まえてオースチンは言う。
◆①と②は必ずしも一致しない。
◆②こそが話し手の真の意図(望むこと)。
◆①と②が一致しないと、話し手が求める結果とは違う③になる。
これを学校教育に置き換えれば、子どもの行為①から正しく②を捉えること、正しく捉えた②により効果的な③で応えていく行為(意味付け)が、自発的なコミュニケーションスキルを育むことになる、そういう内容だった。


今日、横浜のLoftで買い物をした時の話。現金の持ち合わせがなかった僕は、カードで支払い。
金額を確認してサインをする僕。
すると、

●店員:「訂正は出来ませんので、もう一度余白にお書きください。」
○僕:「は?」
●店員:「(明細を指差し)ここに、カード裏面記載通りにお書きください。」
○僕:「???」

僕は一瞬カード所有者かどうかを疑われているのかと思い、身分証明書を財布から出した。

すると店員は、
●店員:「ですから、もう一度書いてください。」


ここでようやくわかった。
どうやら僕のサインが汚すぎて読めないらしい。
なら最初からそう言えよと思い、腹がたった。


先の理論に照らすなら、
①店員「余白にもう一度書いてください。」
②店員「汚い字で読めねえからもう一度」
③僕「本人か疑われてる」から身分証明書提示。

全く店員の「発話内行為(意図)」が読めなかった。
もっと言い方あるだろうに…。
ストレートに「汚いからもう一度」と言われた方がまだよかった、そう思うのは僕だけですかね?


結論。コミュニケーションはお互いの歩み寄りが大切だわね。
しかし、歩み寄るには、関係ができてないと難しい。

…コミュニケーションって難しいな。
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よくもわるくも。

2009-07-21 22:42:54 | 日記
今日は、来週から始まる企業研修の事前打ち合わせ。
1時間ほどで終わるかなと思っていたが、担当者の熱の入ったお話をたっぷり3時間聞かされた。

考え方に全て共感できるかは別にして、その行動力と熱意には感銘。
いわゆる「福祉の人間」という発想が多かったが、自分が社会の新しい仕組み(器)を作っているんだ、何とかするんだ、という熱い気持はガンガン伝わってきた。
この熱意は見習わないとな。

大切なのは中身。
その実態はどんな様子なのか。
来週が楽しみだ。
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過程

2009-07-19 20:16:36 | 日記

(江ノ島にて)


僕は夕焼けが好きだ。
空の陰陽を見ると、なぜか落ち着く。
じっと見入ってしまう。

今日を見送り、明日に気持ちを切りかえはじめる一時。
そんな日々のプロセスを、しんみりと感じるからだろうか?
これって、子どもの成長を実感できた時の気持に似てるかな?


…いや。
単純に見た目が「キレイ」だからだな…。

それだけだな


光明寺にいた猫





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土台の中の化石

2009-07-17 23:00:59 | 日記
「今」は過去の積み重ね。
当たり前だが、この仕事での子どもとの関わりを通していつも感じていることだ。

中3の生徒の「今」は、中1~中2時代の担当教職員や保護者との関わりからの積み重ねであり、
その土台の上にこそ「今」の指導が成り立つ。
(もちろん、小学・幼稚園などそれ以前の積み重ねもだ)

子どもの教育は1人ではできない。どんなに優れた親・教師であっても。

子どもがこれまで関わってきた人たち、今現在も関わっている僕たち、これから先に関わるであろう人たち。
あらゆる人たちとの連携により子どもの指導が成り立つ。そして、その土台の上で子どもはその時々の課題に立ち向かっていく。

教育って地層みたいなものなのかもしれない。いや、人生そのものがそうなのかな。
皆、自分の地層をいろんな人たちの手を借りながら積み重ねている。

僕たち教師は、その中で化石燃料のようなもの。
しっかり子どもの人生を照らす灯りの肥やしにならなければね。


なんか、僕の油はドロドロとしてそう

燃費悪そうで申し訳ない気がするな…
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fooballista

2009-07-14 20:05:56 | Soccer & Futsal
「fooballista」の最新号が面白い。
テーマは戦術。サッカーの勝敗をわける重要な要素の1つであり、サッカーかぶれが多い日本人には最もウケるテーマだ。

そんな「かぶれ者」の1人である僕も、この手のテーマは大好き。
書店・売店でこの「戦術」という漢字二文字を見かけると、ついつい買ってしまう。
大抵の場合、監督目線で描かれているだけの雑誌が多く、素人な「かぶれ者」には自分のウンチクを増やすだけのものがほとんどだが、今回は違った。

戦術と監督だけでなく、戦術と選手との「相性」にも触れているのだ。
日本代表の松井を始め、なぜ選手が輝きを失ったのか(逆に輝きを増したのか)を、戦術という視点から客観的に記してくれている。
とかく、感情論・精神論に陥りがちな選手の好不調の原因を、論理的に分析。
だからこそ面白かった。

プロの選手といえど、仕事ではその職場との「相性」がある。
その相性が自分と合わなかったとき、原因を精神面だけに求めるのか、仕組みに目を向けるのかでは、その後の修正への取組み方が全く異なってくる。

う~ん、面白い
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