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☆↓☆ひろし爺のデジブックNet=門司港周辺の名所旧跡めぐり=☆↓☆
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☆↓☆YouTube動画=北九州市門司観光案内=☆↓☆
☆門司城について!
『豊前志』などの記述によれば、元暦2年(1185年)に平知盛が家臣の紀井通資に命じて築いたという。建長7年(1255年)に藤原親房が豊前代官職として入城し、門司氏を名乗るようになった。戦国時代には当城をめぐる攻防が続き、永享2年(1430年)に秋月春種と原田信朝が大内氏を攻めて当城を落とした。天文23年(1554年)に小早川隆景が大友氏から城を奪取し、仁保隆康が城代となった。永禄4年(1561年)には戸次鑑連、田原親堅、臼杵鑑速ら大友義鎮の軍勢・数万人が門司城を攻めた(門司城の戦い)が、毛利氏はこれを撃退している。やがて大友氏との戦いが激化して毛利氏は九州から撤退したが、門司城は引き続き勢力下に置いた。慶長5年(1600年)に細川忠興が豊前国に入ると、城を修築して長岡勘解由を城代におき、元和3年(1617年)に廃城となった。
それではまた!・・・