(3)古代ローマ世界 1 ローマの建国
・広義には、古代ローマは建国神話による前753年のローマ建国から1453年の東ローマ帝国(ビザンツ帝国)滅亡までの2206年となる。
・一般的にはローマ建国から476年の西ローマ帝国滅亡までを古代ローマと考える。
・通常はこの期間を、王政、共和政、帝政の3つの時代に分ける。
・神話によれば、ロムルスが前753年にテヴェレ河畔のパラティヌスの丘にローマを建国した。
・王政、共和政をへてイタリア全土を制圧する。
・前27年、オクタヴィアヌスがプリンケプス(元首)に就任して以後が帝政時代。
・初期には5賢帝による「ローマの平和(パクス・ロマーナ)」の時代があり、トラヤヌス帝は帝国の最大版図を実現した。
・3世紀の軍人皇帝時代には政治が混乱したが、ディオクレティアヌス帝が帝国を再建し、専制君主政が成立した。
・コンスタンティヌス帝は313年、キリスト教を公認し、330年新首都コンスタンティノープルに遷都。
・テオドシウス帝の死後、395年に帝国は東西に分裂し、西ローマ帝国は476年に滅びた。
〈ローマ建国神話〉
・前753年という年代は前1世紀の学者が占星術をもとに割り出した数字であって、前8世紀のパラティヌスの丘には貧弱な集落しかなかった。
・考古学的には、都市ローマの出現は前6世紀前半と推測されている。
〈エトルリア人〉
・ローマ人はエトルリア人の技術を吸収したのち、彼らを滅ぼし、エトルリア文明を抹殺しようとした。
・ローマという名称も、エトルリア語で川を意味する「ルーモン」から転じたと考えられる。
・ロムルスその人がエトルリア人だったという説もある。
・エトルリア人は、ラテン族、サビーニ族より前に、テヴェレ河の岸に小さな町を作っていた。
・エトルリア人がローマを建国した。(そこをローマと呼んだかどうかはわからない)
・エトルリアの最後の王タルクイニウスが倒れると、ローマ人が優位に立ち、ローマ人はエトルリアのすべてを抹殺しようとし、歴史も改変した。
・今日エトルリア文明の痕跡は絶無に近い。
・広義には、古代ローマは建国神話による前753年のローマ建国から1453年の東ローマ帝国(ビザンツ帝国)滅亡までの2206年となる。
・一般的にはローマ建国から476年の西ローマ帝国滅亡までを古代ローマと考える。
・通常はこの期間を、王政、共和政、帝政の3つの時代に分ける。
・神話によれば、ロムルスが前753年にテヴェレ河畔のパラティヌスの丘にローマを建国した。
・王政、共和政をへてイタリア全土を制圧する。
・前27年、オクタヴィアヌスがプリンケプス(元首)に就任して以後が帝政時代。
・初期には5賢帝による「ローマの平和(パクス・ロマーナ)」の時代があり、トラヤヌス帝は帝国の最大版図を実現した。
・3世紀の軍人皇帝時代には政治が混乱したが、ディオクレティアヌス帝が帝国を再建し、専制君主政が成立した。
・コンスタンティヌス帝は313年、キリスト教を公認し、330年新首都コンスタンティノープルに遷都。
・テオドシウス帝の死後、395年に帝国は東西に分裂し、西ローマ帝国は476年に滅びた。
〈ローマ建国神話〉
・前753年という年代は前1世紀の学者が占星術をもとに割り出した数字であって、前8世紀のパラティヌスの丘には貧弱な集落しかなかった。
・考古学的には、都市ローマの出現は前6世紀前半と推測されている。
〈エトルリア人〉
・ローマ人はエトルリア人の技術を吸収したのち、彼らを滅ぼし、エトルリア文明を抹殺しようとした。
・ローマという名称も、エトルリア語で川を意味する「ルーモン」から転じたと考えられる。
・ロムルスその人がエトルリア人だったという説もある。
・エトルリア人は、ラテン族、サビーニ族より前に、テヴェレ河の岸に小さな町を作っていた。
・エトルリア人がローマを建国した。(そこをローマと呼んだかどうかはわからない)
・エトルリアの最後の王タルクイニウスが倒れると、ローマ人が優位に立ち、ローマ人はエトルリアのすべてを抹殺しようとし、歴史も改変した。
・今日エトルリア文明の痕跡は絶無に近い。