(2)古代ギリシア世界 3 ポリスの時代 2
〔4〕アテネ
〈1〉ソロンの改革(前594)
・自分の農地の収穫物の6分の1を毎年納める農民たちは、ヘクテモロイ(6分の1)と呼ばれた。
・身体を抵当に入れて借財し返済できない者は、奴隷に転落した。
・ソロンは債務の帳消しを実施し、奴隷となっていたアテナイ人を救済した。
・以後、身体を抵当とする借財を禁止した。
・市民は財産額によって、500メディムノイ級、騎士級、農民級、労務者級の4等級に分けられ、政治に参加する度合いが出自ではなく財産によって決まることになった。(財産政治)
・第3等級までに参政権や官職を割り当て、第4等級には民会への参加と裁判にあずかる権利のみを与えた。
・ソロンは民衆法廷の充実をはかり、不法行為を第三者が訴追できる手続きを定めた。
〈2〉ペイシストラトスの僭主政
・ソロンの改革後、「海岸の人々」「平野の人々」「山地の人々」の3つの党派の対立が表面化してきた。
・前561年、「山地の人々」を率いていたペイシストラトスが僭主の座についた。
★僭主
・僭主とは、非合法的に独裁者の地位についた者のことで、本来は否定的な意味合いはなかった。
・僭主は必ずしも暴力的な政治をしたわけではない。
・ペイシストラトスは農事奨励と貧農援助を政策の中心とした。
・5%あるいは10%の地租を課してアテネの財政力を高めた。
・パンアテナイア祭を国が主催する祭儀に高め、この祭りに運動、音楽、吟唱の競技会を加えてギリシア各地から参加者がやってくるようにはかった。
・ペイシストラトスは「イリアス」「オデュッセイア」の詩編を編集させたともいう。
・ペイシストラトスの死後、2人の息子ヒッピアスとヒッパルコスの代になると暴政が始まった。
・スパルタが軍隊を派遣して介入し、アテネの民衆が呼応して僭主政は崩壊した。
〈3〉クレイステネスの改革(前508)
・前508年、クレイステネスはアルコン(執政官)となった。
・クレイステネスの改革によってアテネの民主制の基礎が築かれた。
・従来の4部族制を改めて、地域別による10部族制を導入した。
・各部族の下部組織であるデーモス(村落)がポリスの最小行政単位となった。
・市民は改革時に居住していたデーモスに戸籍を持つ。
・市民の男子は18歳時に父と同じデーモスでの資格審査を受け、市民登録を受ける。
・各デーモスはデーモス員総会を持つ自治体である。
・各市民は、公式には名前の後に所属区名を添えて呼ばれた。
・改革以後、住所を変えても所属デーモスは代々変わることはなかった。
・500人からなる評議会を新設して、主要な行政を担当した。(500人評議会)
★500人評議会
・評議会員の任期は1年で重任は禁じられ、再任も一生に1度だけ可能だった。
★陶片追放
・僭主出現防止のため行われた秘密投票
・僭主となるおそれのある人物の名前を市民が陶器のかけらに書いて投票し、1人で6000票以上を得たなかで最多数票の者(全投票数6000以上のなかで最多数票の者という説もある)が10年間国外追放される。
・財産や市民権は保持されるので裁判や刑罰の類ではない。
・現実に適用された例は、前488年から前416年までの10例ほどで、それ以降は制度のみ存続した。
〔4〕アテネ
〈1〉ソロンの改革(前594)
・自分の農地の収穫物の6分の1を毎年納める農民たちは、ヘクテモロイ(6分の1)と呼ばれた。
・身体を抵当に入れて借財し返済できない者は、奴隷に転落した。
・ソロンは債務の帳消しを実施し、奴隷となっていたアテナイ人を救済した。
・以後、身体を抵当とする借財を禁止した。
・市民は財産額によって、500メディムノイ級、騎士級、農民級、労務者級の4等級に分けられ、政治に参加する度合いが出自ではなく財産によって決まることになった。(財産政治)
・第3等級までに参政権や官職を割り当て、第4等級には民会への参加と裁判にあずかる権利のみを与えた。
・ソロンは民衆法廷の充実をはかり、不法行為を第三者が訴追できる手続きを定めた。
〈2〉ペイシストラトスの僭主政
・ソロンの改革後、「海岸の人々」「平野の人々」「山地の人々」の3つの党派の対立が表面化してきた。
・前561年、「山地の人々」を率いていたペイシストラトスが僭主の座についた。
★僭主
・僭主とは、非合法的に独裁者の地位についた者のことで、本来は否定的な意味合いはなかった。
・僭主は必ずしも暴力的な政治をしたわけではない。
・ペイシストラトスは農事奨励と貧農援助を政策の中心とした。
・5%あるいは10%の地租を課してアテネの財政力を高めた。
・パンアテナイア祭を国が主催する祭儀に高め、この祭りに運動、音楽、吟唱の競技会を加えてギリシア各地から参加者がやってくるようにはかった。
・ペイシストラトスは「イリアス」「オデュッセイア」の詩編を編集させたともいう。
・ペイシストラトスの死後、2人の息子ヒッピアスとヒッパルコスの代になると暴政が始まった。
・スパルタが軍隊を派遣して介入し、アテネの民衆が呼応して僭主政は崩壊した。
〈3〉クレイステネスの改革(前508)
・前508年、クレイステネスはアルコン(執政官)となった。
・クレイステネスの改革によってアテネの民主制の基礎が築かれた。
・従来の4部族制を改めて、地域別による10部族制を導入した。
・各部族の下部組織であるデーモス(村落)がポリスの最小行政単位となった。
・市民は改革時に居住していたデーモスに戸籍を持つ。
・市民の男子は18歳時に父と同じデーモスでの資格審査を受け、市民登録を受ける。
・各デーモスはデーモス員総会を持つ自治体である。
・各市民は、公式には名前の後に所属区名を添えて呼ばれた。
・改革以後、住所を変えても所属デーモスは代々変わることはなかった。
・500人からなる評議会を新設して、主要な行政を担当した。(500人評議会)
★500人評議会
・評議会員の任期は1年で重任は禁じられ、再任も一生に1度だけ可能だった。
★陶片追放
・僭主出現防止のため行われた秘密投票
・僭主となるおそれのある人物の名前を市民が陶器のかけらに書いて投票し、1人で6000票以上を得たなかで最多数票の者(全投票数6000以上のなかで最多数票の者という説もある)が10年間国外追放される。
・財産や市民権は保持されるので裁判や刑罰の類ではない。
・現実に適用された例は、前488年から前416年までの10例ほどで、それ以降は制度のみ存続した。