◎究極の鍛錬
★「究極の鍛錬」ジョフ・コルヴァン、サンマーク出版 を読んで
◎生まれつきの才能は過大評価されている
生まれつきの才能など存在しないと言い切るわけではないが、もし仮に「生まれつきの才能」が存在するとしても、それは重要なものではない
達人になる人たちは、子どものころは、ほとんど「天才児」ではなかった
世界的な業績を上げる人は「生まれつきの才能」に頼っているのではない
○音楽学校の生徒を対象にした楽器演奏の調査によると、最高レベルの演奏をする者に、早熟の兆し(生まれつきの才能の証し)はまったくみられなかった
演奏能力の違いを示す要因は「どれほど多く練習するか」ということであった
等級試験の合格に必要な練習量(時間)はどの生徒も同じで、一定の累積時間をつぎ込まないかぎり、等級レベルに合格することはできない
早い年齢で等級試験に合格した生徒は、音楽的才能に恵まれていたためではなく、1日の練習量が多かったためである
◎上達をするのに最も重要なことは、個人レッスンやクラスでの授業ではなく、自分一人で練習することである
1人での練習はつらくて、おもしろくないものであるが、1人での練習量が最も多い者が最もすぐれた奏者となる
●モーツァルトの場合
・モーツァルトの父親レーオポルトは作曲家で、音楽理論家で(「ヴァイオリン教程」を出版している)、教育家でもあった
・モーツァルトは音楽家の父レーオポルトから3歳の時から作曲と演奏のトレーニングを受けていた
子ども時代のモーツァルトの作品については、父レーオポルトの指導があり、父が手を加えた可能性がある
モーツァルトのピアノソナタの最初期の6曲の作品は1775年、モーツァルトが19歳の時に書かれたが、このときまでに、常時ではないとしても、10年以上の訓練を積んでいたことになる
◎モーツァルトは頭の中だけで作曲し完成した作品を何の修正もせず単に楽譜に落としていただけだと思われていたが、それは全面的に真実とは言えない
「モーツァルト大事典」(ロビンズ・ランドン、平凡社)の口絵の部分に、モーツァルトの自筆譜(写真)が14点(図17~図30)のっています
図20「3台のピアノとオーケストラのための協奏曲ヘ長調」K.242(1776年、20歳)では、下半分の部分にいくつも斜線を引いて取り消されている
図24「ピアノ協奏曲ハ短調」K.491(1786年、30歳)では、「輪郭」しか書いていない箇所があり、そこに斜線を引いて、その上の段に「肉付けされた」楽譜が書かれている
このように、自筆譜の中には、書き直したり、カットしたりして手を入れている部分があり、モーツァルトがどんな曲も修正なしに一気呵成に作曲していたとは言えない
◎10年ルール
・どのような分野でも最高の業績を上げるためには、少なくとも10年の訓練、準備、努力を必要とする
何か価値あるものを生み出すには、それに先立つ長くきびしい学び、準備期間がある
ある日突然、奇跡のようにひらめいたものではない
・トップランクになるには1万時間の練習をする必要があり、そのためなるべく早く訓練を始めることが有利になる
◎限界に達したように思われても、「究極の鍛錬」によって、人はその後も年齢とともに、さらに自己の能力を高めつづけることができる
トップ水準の能力を維持できなくなるのは、自身が限界に挑戦することをやめたときである
◎頭脳も高齢になっても鍛えられる
訓練により、新しいニューロンを増やすことができる
★「究極の鍛錬」の要素
①しばしば教師、指導者の助けが必要で、実績向上のために特別に「考案されている」
現状の能力の限界に挑戦するように設計されている
もうすでにできることを練習しても進歩はない
②何度も繰り返すことができる
ただ単に繰り返すこととは異なり、適度に困難な特定の課題や弱点に集中して練習することと、相当な回数繰り返すこと
③訓練の成果に関し、継続的なフィードバックがあること
フィードバックを得なければ、上達せず注意深く練習しなくなる
④精神的にはとてもつらい
対象を絞り込み、苦手なことに集中して努力することが求められるから長時間の練習は続かない
1回のセッションは1時間~1時間半で、1日の練習時間は4~5時間が上限である
⑤あまりおもしろくない
うまくできないことを繰り返し練習することを求められるのだから、本質的に楽しいものではない
できることよりも、できないことを克服することに多くの時間を費やす
つらく難しいことを練習することで技が向上する
つらい練習は多くの人がやりたがらない
だからこそ、「究極の鍛錬」をすればそれだけ人よりも際立った達人になれる
◎「究極の鍛錬」は人をどのように変化させるか
・普通の人より多くのものを認識する
・ひと足さきに次に何が起こるか予測できる
・普通の人が気づかない重要な情報を見つけることができる
・何が重要で何が重要でない情報か見分けることができる
・普通の人より先が見えていて将来に備えることができる
・より少ない情報から多くを知る
・微妙な違いがわかる
・より多くの知識をもっている
・より多くを記憶できるようになる
・常に自分の限界に挑戦する
◎もっとも傑出した業績を上げた人は、全身全霊でその分野に打ち込み、大きな投資を行い、人生をささげ、膨大な知識を蓄積し、常に自分の限界に挑戦し、その分野の最先端に置くよう努力した人たちである
◎傑出した業績を上げるための「情熱」はどこからやってくるのか
・ちょっとした成功、優位性、称賛されることが動機づけとなる
・競争者が少ないところで学びはじめること
★「究極の鍛錬」ジョフ・コルヴァン、サンマーク出版 を読んで
◎生まれつきの才能は過大評価されている
生まれつきの才能など存在しないと言い切るわけではないが、もし仮に「生まれつきの才能」が存在するとしても、それは重要なものではない
達人になる人たちは、子どものころは、ほとんど「天才児」ではなかった
世界的な業績を上げる人は「生まれつきの才能」に頼っているのではない
○音楽学校の生徒を対象にした楽器演奏の調査によると、最高レベルの演奏をする者に、早熟の兆し(生まれつきの才能の証し)はまったくみられなかった
演奏能力の違いを示す要因は「どれほど多く練習するか」ということであった
等級試験の合格に必要な練習量(時間)はどの生徒も同じで、一定の累積時間をつぎ込まないかぎり、等級レベルに合格することはできない
早い年齢で等級試験に合格した生徒は、音楽的才能に恵まれていたためではなく、1日の練習量が多かったためである
◎上達をするのに最も重要なことは、個人レッスンやクラスでの授業ではなく、自分一人で練習することである
1人での練習はつらくて、おもしろくないものであるが、1人での練習量が最も多い者が最もすぐれた奏者となる
●モーツァルトの場合
・モーツァルトの父親レーオポルトは作曲家で、音楽理論家で(「ヴァイオリン教程」を出版している)、教育家でもあった
・モーツァルトは音楽家の父レーオポルトから3歳の時から作曲と演奏のトレーニングを受けていた
子ども時代のモーツァルトの作品については、父レーオポルトの指導があり、父が手を加えた可能性がある
モーツァルトのピアノソナタの最初期の6曲の作品は1775年、モーツァルトが19歳の時に書かれたが、このときまでに、常時ではないとしても、10年以上の訓練を積んでいたことになる
◎モーツァルトは頭の中だけで作曲し完成した作品を何の修正もせず単に楽譜に落としていただけだと思われていたが、それは全面的に真実とは言えない
「モーツァルト大事典」(ロビンズ・ランドン、平凡社)の口絵の部分に、モーツァルトの自筆譜(写真)が14点(図17~図30)のっています
図20「3台のピアノとオーケストラのための協奏曲ヘ長調」K.242(1776年、20歳)では、下半分の部分にいくつも斜線を引いて取り消されている
図24「ピアノ協奏曲ハ短調」K.491(1786年、30歳)では、「輪郭」しか書いていない箇所があり、そこに斜線を引いて、その上の段に「肉付けされた」楽譜が書かれている
このように、自筆譜の中には、書き直したり、カットしたりして手を入れている部分があり、モーツァルトがどんな曲も修正なしに一気呵成に作曲していたとは言えない
◎10年ルール
・どのような分野でも最高の業績を上げるためには、少なくとも10年の訓練、準備、努力を必要とする
何か価値あるものを生み出すには、それに先立つ長くきびしい学び、準備期間がある
ある日突然、奇跡のようにひらめいたものではない
・トップランクになるには1万時間の練習をする必要があり、そのためなるべく早く訓練を始めることが有利になる
◎限界に達したように思われても、「究極の鍛錬」によって、人はその後も年齢とともに、さらに自己の能力を高めつづけることができる
トップ水準の能力を維持できなくなるのは、自身が限界に挑戦することをやめたときである
◎頭脳も高齢になっても鍛えられる
訓練により、新しいニューロンを増やすことができる
★「究極の鍛錬」の要素
①しばしば教師、指導者の助けが必要で、実績向上のために特別に「考案されている」
現状の能力の限界に挑戦するように設計されている
もうすでにできることを練習しても進歩はない
②何度も繰り返すことができる
ただ単に繰り返すこととは異なり、適度に困難な特定の課題や弱点に集中して練習することと、相当な回数繰り返すこと
③訓練の成果に関し、継続的なフィードバックがあること
フィードバックを得なければ、上達せず注意深く練習しなくなる
④精神的にはとてもつらい
対象を絞り込み、苦手なことに集中して努力することが求められるから長時間の練習は続かない
1回のセッションは1時間~1時間半で、1日の練習時間は4~5時間が上限である
⑤あまりおもしろくない
うまくできないことを繰り返し練習することを求められるのだから、本質的に楽しいものではない
できることよりも、できないことを克服することに多くの時間を費やす
つらく難しいことを練習することで技が向上する
つらい練習は多くの人がやりたがらない
だからこそ、「究極の鍛錬」をすればそれだけ人よりも際立った達人になれる
◎「究極の鍛錬」は人をどのように変化させるか
・普通の人より多くのものを認識する
・ひと足さきに次に何が起こるか予測できる
・普通の人が気づかない重要な情報を見つけることができる
・何が重要で何が重要でない情報か見分けることができる
・普通の人より先が見えていて将来に備えることができる
・より少ない情報から多くを知る
・微妙な違いがわかる
・より多くの知識をもっている
・より多くを記憶できるようになる
・常に自分の限界に挑戦する
◎もっとも傑出した業績を上げた人は、全身全霊でその分野に打ち込み、大きな投資を行い、人生をささげ、膨大な知識を蓄積し、常に自分の限界に挑戦し、その分野の最先端に置くよう努力した人たちである
◎傑出した業績を上げるための「情熱」はどこからやってくるのか
・ちょっとした成功、優位性、称賛されることが動機づけとなる
・競争者が少ないところで学びはじめること