◎ディドロと百科全書 3
★ディドロ(1713~1784)
○翻訳家として
・1743年、イギリス人テンプル・スタンヤンの「ギリシア史」のフランス語訳3巻をブリヤソン書店から出版した
・次の翻訳の仕事は、シャフツベリ伯爵の作品の翻訳「道徳哲学原理、あるいは真価と徳に関するS★★★氏の試論」(1745年出版)
○ディドロ、トゥサン、エドゥ共訳「医学総合辞典」6巻をブリヤソン書店から出版(1746-48年)
○「哲学断想」
・1746年、ディドロは「哲学断想」を匿名で出版した
1746年7月7日、パリ高等法院は「哲学断想」を「重罪裁判所の執行官によって破棄、焼却されるべきこと」と命令した
これがかえって宣伝になり、発行部数を伸ばし、ドイツ語やイタリア語にも翻訳された
「哲学断想」の原稿料50ルイは、当時の愛人ド・ピュイジュー夫人に渡した
○「百科辞典、あるいは技芸・科学総合辞典」
・近代的百科全書の先駆的業績としてふさわしい著作はエフリアム・チェインバーズの「百科辞典、あるいは技芸・科学総合辞典」(1728年)である
諸項目を体系的に結びつけ、それぞれ参照項目を示す努力をした
しかし、地理・歴史・伝記に関する見出し語は立てていなかった
○1745年にゼリウスという名のドイツ人がチェインバーズの「百科辞典」のフランス語訳の出版計画をパリの出版業者アンドレ・フランソア・ル・ブルトンにもちかけた
1745年3月5日、本文4巻、図版120枚からなる翻訳の出版契約がル・ブルトンとゼリウス、イギリス人ミルズ2人との間に結ばれる
しかしその後、ル・ブルトンはゼリウス、ミルズと争いをおこし、出版特許が取り消され、契約が無効になった
ル・ブルトンは1745年10月、新たにパリの同業者ブリアソン、デュラン、ダヴィドを仲間に引き入れて政府に働きかけ、出版取り消し令は撤回され、特許が更新され、1746年1月21日に特許更新の件が正式に調印、公布された
○ル・ブルトンは1746年6月27日に科学アカデミー会員兼コレージュ・ド・フランス教授グワ・ド・マルヴに「百科全書」の編集を依頼した
ディドロとダランベールはグワが編集・翻訳した項目の校閲係として関係した
ル・ブルトンは信頼のおけないグワとの契約を破棄し、1747年10月16日からディドロとダランベールに編集責任者として依頼した
ダランベールは数学者でフランス科学アカデミーの会員だった
○「盲人書簡」
1749年6月9日、「盲人書簡」を匿名で出版
ディドロは盲人数学者ソンダーソンの口を借りて、宇宙の秩序から宇宙の創造者「神」の存在を証明する方法の無効を宣告した
神の存在は疑わしい
宇宙の秩序は器官と有機物の適者生存による自然選択の結果だと言った
「もしも私に神を信じさせたいとお思いなら、神に触らせて下さらなければいけません」
○投獄
「盲人書簡」の無神論に教会が抗議したためか、ディドロは逮捕された
1949年7月24日、警察署長は警視ジョゼフ・デムリを伴ってディドロの住居を訪れ、「宗教、国家、道徳に背く」原稿を見つけ出そうと室内を捜索した
「盲人書簡」2部と、31個のボール箱につまった「百科全書」関係の原稿が出てきた
ディドロは「封印令状」によって直ちに逮捕され、パリ東方のヴァンセンヌ城に連行され、小塔の3階にある独房に監禁された
ディドロは「失楽園」の所持だけを許された
7月31日、警視総監ベリエはディドロの尋問を開始した
8月13日、ついに屈服し恭順を誓う
8月21日、ベリエあての「誓約書」を書き、ディドロは独房から解放され、ヴァンセンヌ城内にある城塞司令官デュ・シャトレ侯爵の屋敷に軟禁される
執筆や訪問者との面会も許可される
11月3日、釈放された
ディドロは城塞司令官邸で軟禁されていた間に、プラトンの「ソクラテスの弁明」と「クリトン」の冒頭の一部をフランス語に翻訳している
○ディドロの入獄をきっかけに、同時代人は彼をソクラテス=ディドロというあだ名で呼ぶことになる