(3)古代ローマ世界 6 帝政ローマ/3
〔初期の皇帝たち〕
◎ユリウス・クラウディウス朝 前31~68年
◎69年の内乱
◎フラウィウス朝 69~96年
◎69年の内乱
☆ガルバ帝 在位 68~69年
☆オト帝 在位 69年
☆ウィテリウス帝 在位 69年
〈ガルバ帝〉 在位 68~69年
・68年6月、ネロ帝の死後、タラコネンシス(スペインの主要部分)の属州総督ガルバが帝位を継いだ。
・ガルバ帝はネロ帝が人々に与えていた現金や不動産のうち、90パーセントを返還するよう命じた。
・親衛隊に対しても、即位時の下賜金の支給を拒否した
・69年1月、ルシタニア総督オトは親衛隊を味方につけて、ガルバ帝を殺害した
〈オト帝〉 在位 69年
・元老院はオトの帝位を承認し、オトとウィテリウスが対決した
・69年4月、オト帝はクレモナの戦いの緒戦で敗れ、自害した
〈ウィテリウス帝〉 在位 69年
・7月、ローマに入ったウィテリウスは元老院で帝位を認められた
・ウィテリウス帝はオト帝の側近の多くを従来の地位に留めおいた
・7月、東部属州の駐留軍が、ウェスパシアヌスを皇帝に擁立した
・10月、クレモナでの戦闘でウェスパシアヌス軍が勝利した
・ウェスパシアヌス軍は敗走するウィテリウス軍を追ってクレモナの街に入り、放火、殺戮、略奪に明け暮れた
・12月、ウェスパシアヌス軍はローマに入り、ウィテリウス帝は殺された
◎フラウィウス朝 69~96年
☆ウェスパシアヌス帝 在位 69~79年
☆ティトゥス帝 在位 79~81年
☆ドミティアヌス帝 在位 81~96年
〈ウェスパシアヌス帝〉 在位 69~79年
・フラウィウス家初代の皇帝ウェスパシアヌスは、ネロの黄金宮殿の庭園に造られた人造湖の跡地に、フラウィウス円形闘技場(コロセウム)の建設を開始した。
・かつてネロ帝の巨像(コロッスス)があった近くに建てられたため、後にコロセウムと呼ばれるようになったといわれる
・コロセウムは80年、ティトゥス帝の治世に完成し、落成記念の「百日競技会」が開かれ、模擬海戦や剣闘士の試合などが行われた。
・コロセウムの南側半分は、847年の地震で崩壊し、建築用石材の「採石場」になってしまった
・ウェスパシアヌス帝は公衆便所を発明し、公衆便所の尿に税金をかけた。
・この便所を使う者は料金を払い、使わない者は罰金を払わなければならなかった
・しかし、単に富を没収する目的で市民を処刑したことはなかったとされている
・ウェスパシアヌス帝は79年、サビーニ地方の鉱泉へ湯治にでかけた。
あまりにも大量の鉱泉水を飲み、下痢を起こした。嘔吐と下痢に悩まされ続け世を去った。
〈ティトゥス帝〉 在位 79~81年
・ウェスパシアヌス帝の2人の息子、ティトゥスとドミティアヌスは父の跡を継いで、どちらも皇帝となった。
・79年6月24日、ティトゥスが皇帝となり、2年3か月という短い治世の間、歴代ローマ皇帝の中でももっともよい評価を獲得した。
★ヴェスヴィオ(ウェスウィウス)火山の大噴火
・79年8月24日、ヴェスヴィオ火山が噴火し、ポンペイとヘルクラネウムの街が壊滅した
・ティトゥス帝は被災地に大量の救援物資を送り、自らそこを訪れた。
・81年、ティトゥス帝は42歳の若さで亡くなった。
疫病が蔓延したとき、みずから看護に当たり感染したという。
〈ドミティアヌス帝〉 在位 81~96年
・81年9月13日、ティトゥス帝が死去し、弟のドミティアヌスが帝位を継いだ
・ドミティアヌス帝は男性の去勢を禁じ、同性愛を行った元老院議員たちを罰した。
・ドミティアヌス帝の治世末期に恐怖政治がはじまった
・密告、告発、弾圧があいつぎ、ついには96年夏、ドミティアヌス帝は宮廷内でめった切りにされて暗殺された。
〔初期の皇帝たち〕
◎ユリウス・クラウディウス朝 前31~68年
◎69年の内乱
◎フラウィウス朝 69~96年
◎69年の内乱
☆ガルバ帝 在位 68~69年
☆オト帝 在位 69年
☆ウィテリウス帝 在位 69年
〈ガルバ帝〉 在位 68~69年
・68年6月、ネロ帝の死後、タラコネンシス(スペインの主要部分)の属州総督ガルバが帝位を継いだ。
・ガルバ帝はネロ帝が人々に与えていた現金や不動産のうち、90パーセントを返還するよう命じた。
・親衛隊に対しても、即位時の下賜金の支給を拒否した
・69年1月、ルシタニア総督オトは親衛隊を味方につけて、ガルバ帝を殺害した
〈オト帝〉 在位 69年
・元老院はオトの帝位を承認し、オトとウィテリウスが対決した
・69年4月、オト帝はクレモナの戦いの緒戦で敗れ、自害した
〈ウィテリウス帝〉 在位 69年
・7月、ローマに入ったウィテリウスは元老院で帝位を認められた
・ウィテリウス帝はオト帝の側近の多くを従来の地位に留めおいた
・7月、東部属州の駐留軍が、ウェスパシアヌスを皇帝に擁立した
・10月、クレモナでの戦闘でウェスパシアヌス軍が勝利した
・ウェスパシアヌス軍は敗走するウィテリウス軍を追ってクレモナの街に入り、放火、殺戮、略奪に明け暮れた
・12月、ウェスパシアヌス軍はローマに入り、ウィテリウス帝は殺された
◎フラウィウス朝 69~96年
☆ウェスパシアヌス帝 在位 69~79年
☆ティトゥス帝 在位 79~81年
☆ドミティアヌス帝 在位 81~96年
〈ウェスパシアヌス帝〉 在位 69~79年
・フラウィウス家初代の皇帝ウェスパシアヌスは、ネロの黄金宮殿の庭園に造られた人造湖の跡地に、フラウィウス円形闘技場(コロセウム)の建設を開始した。
・かつてネロ帝の巨像(コロッスス)があった近くに建てられたため、後にコロセウムと呼ばれるようになったといわれる
・コロセウムは80年、ティトゥス帝の治世に完成し、落成記念の「百日競技会」が開かれ、模擬海戦や剣闘士の試合などが行われた。
・コロセウムの南側半分は、847年の地震で崩壊し、建築用石材の「採石場」になってしまった
・ウェスパシアヌス帝は公衆便所を発明し、公衆便所の尿に税金をかけた。
・この便所を使う者は料金を払い、使わない者は罰金を払わなければならなかった
・しかし、単に富を没収する目的で市民を処刑したことはなかったとされている
・ウェスパシアヌス帝は79年、サビーニ地方の鉱泉へ湯治にでかけた。
あまりにも大量の鉱泉水を飲み、下痢を起こした。嘔吐と下痢に悩まされ続け世を去った。
〈ティトゥス帝〉 在位 79~81年
・ウェスパシアヌス帝の2人の息子、ティトゥスとドミティアヌスは父の跡を継いで、どちらも皇帝となった。
・79年6月24日、ティトゥスが皇帝となり、2年3か月という短い治世の間、歴代ローマ皇帝の中でももっともよい評価を獲得した。
★ヴェスヴィオ(ウェスウィウス)火山の大噴火
・79年8月24日、ヴェスヴィオ火山が噴火し、ポンペイとヘルクラネウムの街が壊滅した
・ティトゥス帝は被災地に大量の救援物資を送り、自らそこを訪れた。
・81年、ティトゥス帝は42歳の若さで亡くなった。
疫病が蔓延したとき、みずから看護に当たり感染したという。
〈ドミティアヌス帝〉 在位 81~96年
・81年9月13日、ティトゥス帝が死去し、弟のドミティアヌスが帝位を継いだ
・ドミティアヌス帝は男性の去勢を禁じ、同性愛を行った元老院議員たちを罰した。
・ドミティアヌス帝の治世末期に恐怖政治がはじまった
・密告、告発、弾圧があいつぎ、ついには96年夏、ドミティアヌス帝は宮廷内でめった切りにされて暗殺された。