◎ギリシャ神話 13 古代オリンピック 5
★マラソン伝説は創られたものである
・マラソンはオリュンピア競技祭の種目にはなかった
・マラソン伝説の直接の出典は、紀元2世紀のローマ時代の作家ルキアノスによる小論である。それによれば、伝令のフィリッピデスはマラトンから勝利の知らせをもってアテネ市街に走りつき「喜んでください。わが軍が勝ちました」と告げると同時に息絶えた、という。さらに時代をさかのぼって紀元後1-2世紀に活躍したプルタルコスの「倫理論集」には、これとほぼ同趣旨の話が、主人公の名前をエウクレスに替えて伝えられている(「古代オリンピック」桜井万里子 橋場 弦編、岩波新書)
○結論はマラソン伝説は後世の創作である(同上、岩波新書)
★同時代に近いヘロドトスの「歴史」の巻6の「マラトンの戦い」の記述
・「105」の部分に「アテナイの司令官たちはまだ市内にいる間に、先ずアテナイ人のピリッピデスなる者を伝令としてスパルタへ送った。なおこの男は飛脚を業とする健脚家であった…」
・「106」には「さてこのピリッピデスはこの時―というのは彼がパンに遭ったといっている正にその折のことであるが―、司令官たちの命を受けアテナイの町を発ってから二日目にスパルタへ着いたが、到着するとすぐに長官たちの許へゆき次のように述べた。
「スパルタの方々よ、アテナイ人は貴国に対し、アテナイを救援せられんことを乞い、かつギリシア最古の町の中に数えられるアテナイが、異国の民によって隷従の憂目に遭うのを傍観されることなきよう願っております…」」(ヘロドトス「歴史」(中) 松平千秋 訳、岩波文庫)とある
○すなわち、伝令のピリッピデスはマラトンの戦いの前に、援軍要請のためにアテネからスパルタまでの約260kmを2日間で走破したのであって、戦勝報告したのではない。
その後ろの「マラトンの戦い」の部分に、ピリッピデスが戦勝報告して息絶えたという記述はどこにもない
★マラソン伝説の「故事」は架空の話であり、史実ではない
★マラソン伝説は創られたものである
・マラソンはオリュンピア競技祭の種目にはなかった
・マラソン伝説の直接の出典は、紀元2世紀のローマ時代の作家ルキアノスによる小論である。それによれば、伝令のフィリッピデスはマラトンから勝利の知らせをもってアテネ市街に走りつき「喜んでください。わが軍が勝ちました」と告げると同時に息絶えた、という。さらに時代をさかのぼって紀元後1-2世紀に活躍したプルタルコスの「倫理論集」には、これとほぼ同趣旨の話が、主人公の名前をエウクレスに替えて伝えられている(「古代オリンピック」桜井万里子 橋場 弦編、岩波新書)
○結論はマラソン伝説は後世の創作である(同上、岩波新書)
★同時代に近いヘロドトスの「歴史」の巻6の「マラトンの戦い」の記述
・「105」の部分に「アテナイの司令官たちはまだ市内にいる間に、先ずアテナイ人のピリッピデスなる者を伝令としてスパルタへ送った。なおこの男は飛脚を業とする健脚家であった…」
・「106」には「さてこのピリッピデスはこの時―というのは彼がパンに遭ったといっている正にその折のことであるが―、司令官たちの命を受けアテナイの町を発ってから二日目にスパルタへ着いたが、到着するとすぐに長官たちの許へゆき次のように述べた。
「スパルタの方々よ、アテナイ人は貴国に対し、アテナイを救援せられんことを乞い、かつギリシア最古の町の中に数えられるアテナイが、異国の民によって隷従の憂目に遭うのを傍観されることなきよう願っております…」」(ヘロドトス「歴史」(中) 松平千秋 訳、岩波文庫)とある
○すなわち、伝令のピリッピデスはマラトンの戦いの前に、援軍要請のためにアテネからスパルタまでの約260kmを2日間で走破したのであって、戦勝報告したのではない。
その後ろの「マラトンの戦い」の部分に、ピリッピデスが戦勝報告して息絶えたという記述はどこにもない
★マラソン伝説の「故事」は架空の話であり、史実ではない