〈地図の歴史〉
1.古代の世界図
★バビロニアの世界図…現存する最古の世界図(前700年ごろ)
・アッカドのサルゴン大王の遠征物語を記した粘土板の一部に描かれている。
・バビロニア人によれば、大地は平たく、世界の陸地は円盤状をなしていて、それをとりまく世界の海の上に浮かんでいると考えた。
・世界の中心に首都バビロンが位置していると考えた。
★地球球体説の成立
・ピタゴラス学派(前5世紀ごろ)
物体の最も完全な形態が球体であるとすれば、宇宙の中心に位置する地球は球体であると主張した。(哲学的な宇宙観として唱えられた)
・ソクラテスやプラトンもピタゴラス学派にしたがって、地球は球体であると考えた。
・アリストテレスは観察という自然科学的な方法によって地球が球体であることを実証した。月蝕の際に月面に映る地球の影が円形をなすことなど。
★地球の大きさの測定
・アレクサンドリアの図書館長の職にあったエラトステネス(前3世紀)が地球の周囲の長さを44500km(25万スタディア)と測定した(1スタディウム=178mと換算して)
★エラトステネスの世界図
★プトレマイオスの世界図
・プトレマイオス(2世紀ごろ)はアレクサンドリアにおいて活躍した天文学者、地理学者だった。
・天文書「アルマゲスト(天文学大全)」はコペルニクスなどによって近代天文学が樹立されるまでは、天文学において唯一の権威ある書であった。
・プトレマイオスはできるだけ正しい世界図を作成するために「地理学」を著した。
・地球上の各地点の位置を決定するために、ヒッパルコスにしたがって地球の円周を360度に等分した経緯線網を設定した。
・地球を平面に合理的に描く方法として、はじめて投影図法の問題をとりあげ、球面に接する円錐面に経緯線網を投影する円錐図法を考案した。
・プトレマイオスが実際に世界図を作成したかは明らかではない。
・プトレマイオスの世界図は、経度で180度、また南緯20度までの範囲を表した半球図である。
・地球の周囲は3.2万kmとしている。
・緯度はわりに正確に測定し得たので、南北の位置関係はあまり大きな誤差は生じなかった。
・しかし、経度の測定はできなかったので東西の距離は正確ではない。(東西は長く見積もられている)
・経度の測定は海上でも正確に時を刻むクロノメーターの出現(18世紀 ジョン・ハリソンによって発明された)を待つことによる。
・経度15度は1時間に相当するので、正確な時計(クロノメーター)を用いてグリニッジ標準時との時差をもとめれば、その地点の経度を求めることができる。
・しかし不正確さがあったとしても、プトレマイオスの世界図はギリシア・ローマ時代の地理学の知識を集大成したものであり、近世の地図の基礎となったものであり、古代地理学の最も貴重な遺産である。
2. 中世の世界図
★中世のキリスト教地理学
・中世では、古代科学の衰退とともに、世界図もギリシア以前の段階にまで後退した。
・キリスト教の神学が発達するようになると、地球球体説は、異端の説として否定され、地球はふたたび、球体ではなく平たいものと考えられるようになった。
・一般の地理的知識も聖書によって解された。
★TO図
・OとTの文字を組み合わせた形態の図式
・中心にエルサレムが位置する。
・Oは世界の周辺をとりまくオケアノス(海)
・世界の陸地はアジア(Tの上)、アフリカ(Tの右下)、ヨーロッパ(Tの左下)に3分割される。
・Tの横線は、タナイス川とナイル川、たて線は地中海を表す。
★マッパ・ムンディ(Mappa mundi「世界の布」の意)
・聖書に記されている物語や事物などを世界図の形をかりて表した絵図。
・代表的なものは「ヘレフォード図」
イングランドのヘレフォード寺院に収蔵されている。
・英語のMapはこの言葉に由来する。
★イスラムの世界図
・「イドリーシーの世界図」(12世紀)
方位は南が上
・アフリカの東端に黄金の国「ワクワク」がある。
・ワクワクが日本(倭国)を指しているとすれば、西方の地図に最初に日本が記されたものである。
3.近世地図のはじまり
★ポルトラノ型の海図(13~16世紀)
・中国で発明された羅針盤は12世紀末ごろから、地中海でも利用されるようになる。
・中国では11世紀末には磁針が南北を指すことは知られていた。(「夢渓筆談」)
・現存する最古のポルトラノは「ピサ図」と呼ばれるもの(1300年ごろ)
・図上に描かれた方位盤から32本の方位線が放射状に交錯していて、これらの方位線を基準にして一つの港から他の港に向かうに必要な舵角(航路の方角)を読みとることができる。
・図上の諸地点の位置は経験的に推定された相対的な位置である。
★プトレマイオスの復活
・1406年プトレマイオスのギリシア語本地理書のラテン語訳が行われた(ヤコブス・アンゲルス)
・1445年活字印刷術が発明される(グーテンベルク)
★ベハイムの地球儀
・1492年マルチン・ベハイムが地球儀を作成(現存する最古の地球儀)
4.大航海時代の世界図
★ヴァルトゼーミューラの世界図(1507年)
・ヴァルトゼーミューラは1507年に「世界誌序説」を著し、アメリゴ・ヴェスプッチの「四航海」を載せ、その解説において、世界の第4の大陸がアメリゴ・ヴェスプッチによって発見され、大陸名は女性名を用いるならわしにしたがって、アメリゴの名にちなんでアメリカと称すべきことを提唱した。
・1507年、その付図として「プトレマイオスの伝統およびアメリゴ・ヴェスプッチの航海による世界図」と題する木版刷り世界図を刊行した。
南アメリカのところに「AMERICA」と記されている。
・アメリカの呼称は、はじめは南アメリカのみを指していたが、メルカトルの世界図(1538年)以後は北アメリカにも適用されることとなる。
・コロンブスの名は、南アメリカのコロンビアの国名ぐらいにしか伝わっていない。
5.メルカトルから近代・現代の世界図へ
★メルカトルの世界図(1569年)
・正角円筒図法(一般にメルカトル図法と呼ばれる)による世界図
・地図上の任意の方位線は直線で表され、方位線と経線とのなす角が常に正しい舵角を示す。海図に最適の図法。
★アトラス(地図帳)
・1595年、世界各地の地図を総合した世界地図帳(107図よりなる)がメルカトルの息子ルモルドによって出版された。
・ギリシア神話の天空を支える巨人の名にちなんで「アトラス」の表題がつけられた。
・これ以来、地図帳はアトラスと呼ばれるようになった。
★国際地図
・1891年ベルンで開催された国際地理学会議においてドイツの地理学者アルブレヒト・ペンクにより、世界の基本地図として国際地図を作成することが提案された。
・「国際100万分の1世界図」変更多円錐図法で各図幅は経度6度、緯度4度ごとに区画される。
・「100万分の1航空地形図(ONC)」アメリカ運輸省発行。世界を271枚でカバーしている。
1.古代の世界図
★バビロニアの世界図…現存する最古の世界図(前700年ごろ)
・アッカドのサルゴン大王の遠征物語を記した粘土板の一部に描かれている。
・バビロニア人によれば、大地は平たく、世界の陸地は円盤状をなしていて、それをとりまく世界の海の上に浮かんでいると考えた。
・世界の中心に首都バビロンが位置していると考えた。
★地球球体説の成立
・ピタゴラス学派(前5世紀ごろ)
物体の最も完全な形態が球体であるとすれば、宇宙の中心に位置する地球は球体であると主張した。(哲学的な宇宙観として唱えられた)
・ソクラテスやプラトンもピタゴラス学派にしたがって、地球は球体であると考えた。
・アリストテレスは観察という自然科学的な方法によって地球が球体であることを実証した。月蝕の際に月面に映る地球の影が円形をなすことなど。
★地球の大きさの測定
・アレクサンドリアの図書館長の職にあったエラトステネス(前3世紀)が地球の周囲の長さを44500km(25万スタディア)と測定した(1スタディウム=178mと換算して)
★エラトステネスの世界図
★プトレマイオスの世界図
・プトレマイオス(2世紀ごろ)はアレクサンドリアにおいて活躍した天文学者、地理学者だった。
・天文書「アルマゲスト(天文学大全)」はコペルニクスなどによって近代天文学が樹立されるまでは、天文学において唯一の権威ある書であった。
・プトレマイオスはできるだけ正しい世界図を作成するために「地理学」を著した。
・地球上の各地点の位置を決定するために、ヒッパルコスにしたがって地球の円周を360度に等分した経緯線網を設定した。
・地球を平面に合理的に描く方法として、はじめて投影図法の問題をとりあげ、球面に接する円錐面に経緯線網を投影する円錐図法を考案した。
・プトレマイオスが実際に世界図を作成したかは明らかではない。
・プトレマイオスの世界図は、経度で180度、また南緯20度までの範囲を表した半球図である。
・地球の周囲は3.2万kmとしている。
・緯度はわりに正確に測定し得たので、南北の位置関係はあまり大きな誤差は生じなかった。
・しかし、経度の測定はできなかったので東西の距離は正確ではない。(東西は長く見積もられている)
・経度の測定は海上でも正確に時を刻むクロノメーターの出現(18世紀 ジョン・ハリソンによって発明された)を待つことによる。
・経度15度は1時間に相当するので、正確な時計(クロノメーター)を用いてグリニッジ標準時との時差をもとめれば、その地点の経度を求めることができる。
・しかし不正確さがあったとしても、プトレマイオスの世界図はギリシア・ローマ時代の地理学の知識を集大成したものであり、近世の地図の基礎となったものであり、古代地理学の最も貴重な遺産である。
2. 中世の世界図
★中世のキリスト教地理学
・中世では、古代科学の衰退とともに、世界図もギリシア以前の段階にまで後退した。
・キリスト教の神学が発達するようになると、地球球体説は、異端の説として否定され、地球はふたたび、球体ではなく平たいものと考えられるようになった。
・一般の地理的知識も聖書によって解された。
★TO図
・OとTの文字を組み合わせた形態の図式
・中心にエルサレムが位置する。
・Oは世界の周辺をとりまくオケアノス(海)
・世界の陸地はアジア(Tの上)、アフリカ(Tの右下)、ヨーロッパ(Tの左下)に3分割される。
・Tの横線は、タナイス川とナイル川、たて線は地中海を表す。
★マッパ・ムンディ(Mappa mundi「世界の布」の意)
・聖書に記されている物語や事物などを世界図の形をかりて表した絵図。
・代表的なものは「ヘレフォード図」
イングランドのヘレフォード寺院に収蔵されている。
・英語のMapはこの言葉に由来する。
★イスラムの世界図
・「イドリーシーの世界図」(12世紀)
方位は南が上
・アフリカの東端に黄金の国「ワクワク」がある。
・ワクワクが日本(倭国)を指しているとすれば、西方の地図に最初に日本が記されたものである。
3.近世地図のはじまり
★ポルトラノ型の海図(13~16世紀)
・中国で発明された羅針盤は12世紀末ごろから、地中海でも利用されるようになる。
・中国では11世紀末には磁針が南北を指すことは知られていた。(「夢渓筆談」)
・現存する最古のポルトラノは「ピサ図」と呼ばれるもの(1300年ごろ)
・図上に描かれた方位盤から32本の方位線が放射状に交錯していて、これらの方位線を基準にして一つの港から他の港に向かうに必要な舵角(航路の方角)を読みとることができる。
・図上の諸地点の位置は経験的に推定された相対的な位置である。
★プトレマイオスの復活
・1406年プトレマイオスのギリシア語本地理書のラテン語訳が行われた(ヤコブス・アンゲルス)
・1445年活字印刷術が発明される(グーテンベルク)
★ベハイムの地球儀
・1492年マルチン・ベハイムが地球儀を作成(現存する最古の地球儀)
4.大航海時代の世界図
★ヴァルトゼーミューラの世界図(1507年)
・ヴァルトゼーミューラは1507年に「世界誌序説」を著し、アメリゴ・ヴェスプッチの「四航海」を載せ、その解説において、世界の第4の大陸がアメリゴ・ヴェスプッチによって発見され、大陸名は女性名を用いるならわしにしたがって、アメリゴの名にちなんでアメリカと称すべきことを提唱した。
・1507年、その付図として「プトレマイオスの伝統およびアメリゴ・ヴェスプッチの航海による世界図」と題する木版刷り世界図を刊行した。
南アメリカのところに「AMERICA」と記されている。
・アメリカの呼称は、はじめは南アメリカのみを指していたが、メルカトルの世界図(1538年)以後は北アメリカにも適用されることとなる。
・コロンブスの名は、南アメリカのコロンビアの国名ぐらいにしか伝わっていない。
5.メルカトルから近代・現代の世界図へ
★メルカトルの世界図(1569年)
・正角円筒図法(一般にメルカトル図法と呼ばれる)による世界図
・地図上の任意の方位線は直線で表され、方位線と経線とのなす角が常に正しい舵角を示す。海図に最適の図法。
★アトラス(地図帳)
・1595年、世界各地の地図を総合した世界地図帳(107図よりなる)がメルカトルの息子ルモルドによって出版された。
・ギリシア神話の天空を支える巨人の名にちなんで「アトラス」の表題がつけられた。
・これ以来、地図帳はアトラスと呼ばれるようになった。
★国際地図
・1891年ベルンで開催された国際地理学会議においてドイツの地理学者アルブレヒト・ペンクにより、世界の基本地図として国際地図を作成することが提案された。
・「国際100万分の1世界図」変更多円錐図法で各図幅は経度6度、緯度4度ごとに区画される。
・「100万分の1航空地形図(ONC)」アメリカ運輸省発行。世界を271枚でカバーしている。