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おっちゃんの世界史の栞 14

2010-07-10 17:51:45 | HKT48 AKB48
(2)古代ギリシア世界 4 ペルシア戦争とペロポネソス戦争

〈ペルシア戦争
・前500~前448年(狭義には前492~前449年)にわたるアケメネス朝ペルシアとギリシア諸市の戦争。
・前499年、イオニアの諸ポリスは、ミレトスのアリスタゴラスを中心に、ダレイオス1世のペルシア支配に抵抗して反乱を起こした。(イオニアの反乱)
・アリスタゴラスはギリシア本土に援助を要請、スパルタは拒否するが、アテネとエレトリアはそれぞれ20隻と5隻の軍船を送った。
・前498年、ギリシア軍はサルディスを焼き払う。前497年になると、ペルシアは反抗を開始。前494年、イオニア側はラデ島沖の海戦で敗れ、前493年ミレトスが攻略されて反乱は失敗に終わった。

・イオニアの反乱を支持したアテネとエレトリアの討伐を目的に、ダレイオス1世はギリシアへの遠征を企てた。
・第1回遠征(前492年)は、遠征軍が海難にあい中止。
・第2回遠征(前490年)では、ペルシア軍はアッティカ北東岸のマラトンに上陸した。

★マラトンの戦い
・マラトン平野でミルティアデス率いるアテネ軍とプラタイア軍が、ペルシア軍と交戦し、ペルシア軍を撃退した。
・長い槍と重装のギリシア歩兵が、短い槍と軽装のペルシア歩兵を破った。
・ヘロドトスによれば、ギリシア軍死者192人に対し、ペルシア軍死者は6400人だった。
・スパルタの支援なしで、ペルシアの大軍を撃退したことで、ギリシア世界におけるアテネの評価は高まった。
・第3回遠征(前480年)では、ダレイオス1世はすでに亡く、息子のクセルクセス1世が遠征。

★テルモピュライの戦い(前480年)
・ギリシア軍はペルシア軍に挟み撃ちにされることになるが、スパルタ王レオニダスは、撤退を希望する者にはそれを勧め、レオニダス王と部下300人、それに彼らと運命をともにする決意をしたテスピアイ人がとどまり、ペルシア軍を迎え撃った。スパルタ兵たちは、槍や刀で戦い、最後には短剣や素手で戦い、歯でかみついて戦ったがついにはペルシア軍の矢の攻撃のまえに、全員が討ち死にした。
・ペルシア軍はアクロポリスまで到達し、攻略した。

★サラミスの海戦(前480年)
・テミストクレスの策により、ペルシア艦隊は狭いサラミス水道に誘い込まれ、機動力を発揮するギリシア艦隊にかき乱され、互いに衝突しあいギリシア艦隊に敗れた。

★プラタイアの戦い(前479年)
・プラタイアの平野で、ギリシア連合軍がマルドニオス率いるペルシア軍に勝利した。

★ミュカレ岬の戦い(前479年)
・小アジア沿岸のミュカレ岬でギリシア連合艦隊がペルシア艦隊に勝利した。

・プラタイアの戦い、ミュカレ岬の戦いでギリシアの勝利は確定し、ペルシア軍は再びギリシア本土に侵攻することはなくなった。
・前449年、カリアスの和約でペルシア戦争は終結した。

★デロス同盟
・前478年、ペルシア再来征に備えてアテネを盟主に対ペルシア攻守同盟が結成された。
・本部と金庫はデロス島に置かれ、同盟会議で参加諸国は平等に1票の投票権を行使できるとされた。
・しかし、軍船を提供する国と拠出金を提供する国の決定、拠出金の額の決定はアテネが行う。会計を担当する委員10名はアテネ人から選出された。
・前454年、同盟金庫がアテネに移され、以後デロス同盟は「アテネ帝国」と呼ばれる支配機構に変質する。
・同盟諸国の毎年の拠出金は、パルテノン神殿の建設費用に充当されたり、役職への手当に流用されたり、アテネの繁栄の資金源の一つになった。

★ペリクレス時代
・ペリクレスはパルテノン神殿の建設事業を行った。(前447~前438年)
 監督はフェイディアス。
・前451年、「市民権法」が成立し、アテネ市民権は両親ともアテネ人である者に限ると定められた。

〈ペロポネソス戦争〉
・前431~前404年、アテネを中心とするデロス同盟とスパルタを中心とするペロポネソス同盟の間に行われたギリシアの覇権をめぐる戦争。
・アテネはペリクレスの死後劣勢となり、ペルシアの援助を得たスパルタに敗北した。
・戦後、ギリシアのポリス社会は衰退していった。