◎ジャズ 史上初のレコーディングから100年
★ジャズ 史上初のレコーディング(1917年1月)から100年(ジャズの歴史の一端)
●ジャズの語源
○諸説あって確定できない
・イギリスの古語jass(「卑猥な意味をもつ」という)によるという説
・俗語のジャズjazzによるという説
性的意味や、熱狂、急速なテンポやリズムを意味する
・チャールズというドラム奏者の名が、Charles→Chas→Jass→Jazzとかわっていったとする説
など
●ジャズの誕生
・ジャズは20世紀の初めごろ、アメリカ ルイジアナ州の港町ニューオーリンズの黒人ブラスバンドから生まれた
南北戦争が1865年に終わり、敗れた南軍の軍楽隊の払い下げの楽器がニューオーリンズの古道具屋に大量にならんでいた
ニューオーリンズの黒人たちは、奴隷解放後、主に音楽に仕事を求めた
彼等は南軍払い下げの楽器を古道具屋で安く手に入れて、祝祭パレードや葬儀の行進などでブラスバンドとして演奏した
楽器の構成は、コルネット(のちにトランペット)、トロンボーン、チューバ、ドラム、バンジョーなどで、このニューオーリンズの黒人ブラスバンドがジャズの母体のひとつになった
●ディキシーランド
・17世紀後半にフランスの植民地になった一帯が、フランスのルイ14世の名にちなんでルイジアナと名づけられた
その後、1803年にナポレオンはこの地方一帯をアメリカ合衆国に1500万ドルで売却した
・ニューオーリンズがフランスの統治下にあった頃、ニューオーリンズの中央銀行が発行していた10ドル紙幣にDIX(ディス フランス語で10)と印刷してあったという
それでニューオーリンズをDIXIE(ディキシー)と呼ぶようになり、まもなくアメリカの南部一帯を、ディキシー、ディキシーランドと呼ぶようになったとのことである
●ジャズの伝統的な演奏法
○ニューオーリンズ・スタイルとディキシーランド・スタイルは同じもの
○かつて第2次大戦までは区別されていた
・ニューオーリンズ・スタイル(ニューオーリンズ・ジャズ)は黒人によって演奏されるもの
・ディキシーランド・スタイル(ディキシーランド・ジャズ)は黒人に触発された白人によって演奏されるもの
・やがて白人と黒人の人種的偏見はうすらぎその区別はなくなり、「ディキシーランド」と呼ばれるようになった
●オリジナル・ディキシーランド・ジャズ・バンド(Original Dixieland Jass Band)
・初期のニューオーリンズ・ジャズの演奏は残念ながら聴くことができない
録音されていないから
・1916年にシカゴで活動していた、白人グループ「ディキシーからきたスタインのバンド」がjassという言葉にヒントを得て「スタインのディキシーjassバンド」と改名し、これからジャズと称されるようになったという(ジャズという音楽がジャズと称されるようになった時期は明らかではない)
さらに「オリジナル・ディキシーランド・ジャズ・バンド」と改名し、1917年1月に史上初のジャズ・レコードを録音した
そのレコードのラベルには、「jass band」と印刷されており、2月録音のレコードのラベルには「jazz band」と印刷されており、当時はジャズのスペルは一定していなかった
・ニューオーリンズ・ジャズにはサックスはほとんど使われていなかった
●文献
「生きているジャズ史」(油井正一、立東舎)
「ジャズの歴史」(相倉久人、新潮新書)
「「アメリカ音楽」の誕生」(奥田恵二、河出書房新社)
など
ジャズのCDについては
「人生が変わる55のジャズ名盤入門」(鈴木良雄、竹書房新書)
など
★ジャズ 史上初のレコーディング(1917年1月)から100年(ジャズの歴史の一端)
●ジャズの語源
○諸説あって確定できない
・イギリスの古語jass(「卑猥な意味をもつ」という)によるという説
・俗語のジャズjazzによるという説
性的意味や、熱狂、急速なテンポやリズムを意味する
・チャールズというドラム奏者の名が、Charles→Chas→Jass→Jazzとかわっていったとする説
など
●ジャズの誕生
・ジャズは20世紀の初めごろ、アメリカ ルイジアナ州の港町ニューオーリンズの黒人ブラスバンドから生まれた
南北戦争が1865年に終わり、敗れた南軍の軍楽隊の払い下げの楽器がニューオーリンズの古道具屋に大量にならんでいた
ニューオーリンズの黒人たちは、奴隷解放後、主に音楽に仕事を求めた
彼等は南軍払い下げの楽器を古道具屋で安く手に入れて、祝祭パレードや葬儀の行進などでブラスバンドとして演奏した
楽器の構成は、コルネット(のちにトランペット)、トロンボーン、チューバ、ドラム、バンジョーなどで、このニューオーリンズの黒人ブラスバンドがジャズの母体のひとつになった
●ディキシーランド
・17世紀後半にフランスの植民地になった一帯が、フランスのルイ14世の名にちなんでルイジアナと名づけられた
その後、1803年にナポレオンはこの地方一帯をアメリカ合衆国に1500万ドルで売却した
・ニューオーリンズがフランスの統治下にあった頃、ニューオーリンズの中央銀行が発行していた10ドル紙幣にDIX(ディス フランス語で10)と印刷してあったという
それでニューオーリンズをDIXIE(ディキシー)と呼ぶようになり、まもなくアメリカの南部一帯を、ディキシー、ディキシーランドと呼ぶようになったとのことである
●ジャズの伝統的な演奏法
○ニューオーリンズ・スタイルとディキシーランド・スタイルは同じもの
○かつて第2次大戦までは区別されていた
・ニューオーリンズ・スタイル(ニューオーリンズ・ジャズ)は黒人によって演奏されるもの
・ディキシーランド・スタイル(ディキシーランド・ジャズ)は黒人に触発された白人によって演奏されるもの
・やがて白人と黒人の人種的偏見はうすらぎその区別はなくなり、「ディキシーランド」と呼ばれるようになった
●オリジナル・ディキシーランド・ジャズ・バンド(Original Dixieland Jass Band)
・初期のニューオーリンズ・ジャズの演奏は残念ながら聴くことができない
録音されていないから
・1916年にシカゴで活動していた、白人グループ「ディキシーからきたスタインのバンド」がjassという言葉にヒントを得て「スタインのディキシーjassバンド」と改名し、これからジャズと称されるようになったという(ジャズという音楽がジャズと称されるようになった時期は明らかではない)
さらに「オリジナル・ディキシーランド・ジャズ・バンド」と改名し、1917年1月に史上初のジャズ・レコードを録音した
そのレコードのラベルには、「jass band」と印刷されており、2月録音のレコードのラベルには「jazz band」と印刷されており、当時はジャズのスペルは一定していなかった
・ニューオーリンズ・ジャズにはサックスはほとんど使われていなかった
●文献
「生きているジャズ史」(油井正一、立東舎)
「ジャズの歴史」(相倉久人、新潮新書)
「「アメリカ音楽」の誕生」(奥田恵二、河出書房新社)
など
ジャズのCDについては
「人生が変わる55のジャズ名盤入門」(鈴木良雄、竹書房新書)
など