JR生瀬駅から歩きだした。
生瀬通りの看板があり早速この宿場町の名残を残す間口は狭く、奥行きの長い土地が並んでいる。
この歴史ある妻入りの町家は阪神淡路大震災以降かなり少なくなりました。
このような崩れかけのところもあり、もう建て替えられると新しい家になるのではないでしょうか。
こうして今でも改装して住んでいるお家や
こちらもかなり手を入れていて歴史を感じさせる。
まだ新しく見えるところから最近建ておされたのだろう。
その傍らでもう椿?が咲いていた。
昔の賑わいはどんなんだったのだろうか。ネットで調べたのだけれど・・・・
写真は出てこなかった。
そうだ、ひょっとして「くすのきさん」たちのアルバムにあるのではないだろうか。
サッシなどかなり今の建材を使っているのだろうがこうして再生してくれているのは嬉しい。
このような町屋が軒を連ねていたのは壮観だったのだろう。
生瀬皇太神社を見ただけで次の淨橋寺を目指した。
この旧有馬街道はJR福知山線が開通するまで健在であったとか。
この宿場町がどんな賑わいだったのか今では知るすべもないが。