みなさん、こんばんは。hkです。
今日の帰り、会社の最寄り駅に着くと、乗換駅から先の電車が遅れているとの情報が掲示されていました。スマホでその電鉄のHPを確かめたり、振替輸送を利用した場合の時刻表を調べたりしました。乗換駅に着くと、それほどの遅れが出ているわけではなかったので、そのままいつもの電車に乗りました。
いまはインターネットやスマホで簡単に、最短の経路と到着予定時刻などを調べることができます。しかし、それらがなかった時代に必須だったのは、時刻表でしたね。
旅行会社と旧国鉄(JR)の両方がそれぞれ発行していた記憶があります。月ごとに違った風景や観光地の写真が最初にあり、次は東海道・山陽新幹線。それから東北・上越新幹線。新幹線が終わると在来線の東海道本線、と続いていたはずです。
会社の管理部門や営業部門には、必ず1冊は置いてあったのではないでしょうか。出張や経費精算の確認のために利用していましたね。
自宅でも毎月ではありませんでしたが、旅行するときは購入して計画を立てたものでした。いまでも覚えているのは中一から中二になる春休み、母と二人で宮崎県へ旅行したときのことです。
なぜ宮崎だったかは覚えていませんが、高千穂でお神楽を見ることが第一の目的だったような気がします。そこへ夕方到着するにはどのように行くのがよいのか。ただ単に早いだけでなく、旅行を楽しめるようにすることも大切です。
結局選んだのは、夕方出発する寝台列車。西鹿児島行きの寝台特急富士に乗って延岡まで。そこから行きは、高千穂線を利用。単線をディーゼルカーが、五ヶ瀬川沿いを走っていきます。残念なことに、今は廃線となってしまいました。
高千穂で一泊し、帰りは乗り継ぎの関係だったのか覚えていないのですが、バスを利用。延岡からは普通列車で宮崎へ行きました。
宮崎では定期観光バスに乗ったこと、サファリ―パークへ行ったことは覚えています。どれが宮崎の初日でどれが2日目だったかは定かではありません。
東京への帰りは全日空を利用。飛行機に乗るのは2回目でした。どれもなつかしい思い出です。
これらの旅程はすべて時刻表で調べて決めました。実際に旅行しなくても、時刻表を見ながらいろいろと計画を立てるだけでも楽しかったものです。
「こんな時代もあったね」