gooブログを始めて3年目に!

60歳の3年生ブロガーです。よろしくお願いします。

料理の凡人の引退も近い?

2021-10-31 18:00:00 | 日記

みなさん、こんばんは。hkです。

土日の私のルーチンは夕食づくり。結婚してから20年以上続いています。

実家では日曜日は外食の日でした。父が休みの日なら母も休みの日、ということです。また、小さい頃からチャーハンをいためたり、ルーを使ってカレーを作ったりすることがありました(なぜか母にやらされていたのです)。

そんなこともあったので独立後、休みの日は私が夕食の担当となっています。

それほど凝ったメニューにするわけではありません。しかし、生のアジを三枚におろしてたたきを作ったり、肉野菜炒めを作ったりするくらいはします。

新聞に掲載されたレシピを試したこともあります。たとえばアサリの中華風酒蒸し。みじん切りにしたニンニクと唐辛子をゴマ油で炒め、そこにアサリを入れて酒蒸しにします。それからキノコのマリネ。マッシュルームやしいたけ、しめじ、エリンギなど好みのキノコをゆでてから、酢とオリーブオイルのマリネ液に浸し、お好みでパセリのみじん切りを散らばせます。

料理が気分転換になったり、それなりにメニューを考えるのが楽しかったこともあります。ただ最近は、簡単なものが多くなりました。夏なら豚の冷しゃぶ、冬なら鍋物。両方ともゆでるだけで済んでしまいますね。

ちなみに今夜はアジの開き、すでに味付けされている牛肉とニンニクの芽の炒め物、スーパーのジャガイモサラダの3品です。やはり、焼くのと炒めるだけ。

下の子も独立したら、スーパーやコンビニで買った中食がメインになるかもしれません。その方が時間もお金もかからないような気もします。でも、手を動かさないと老けるのが早まるかな~。


即席ラーメンは必需品

2021-10-30 18:00:00 | 日記

みなさん、こんばんは。hkです。

休みの日の私の朝食は、たいがいが即席ラーメンです。今朝は和歌山ラーメンのカップ麺。木曜日のテレビ番組で紹介していたので昨夜、買って帰りました。

休日はまだ日曜だけだった子どものころ。いつもより少し遅く起きてくる父は、ブランチとして即席ラーメン2杯を食べるのが習慣でした。それをまねて、私もラーメンを。小学生のころは1杯、中学生になったら2杯、食べていました。だから、実家には必ず即席ラーメンの買い置きがありました。とうぜん、袋麺です。

出前一丁やチャルメラ、サッポロ一番(みそ・塩)などは、今でもよく買っています。出前一丁についているごまラー油、チャルメラについているスパイスは欠かせない。サッポロ一番にはマーガリン(バターといきたいところですが)を加えると味が引き立ちます。

一方、カップ麺。カップヌードルの登場は衝撃でした。「容器が縦長」「お湯を入れるだけで食べられる」「フォークで食べる」「お湯を入れて提供する自動販売機もある」「でも、高い!」

発売当時の価格は100円。袋麺の実勢価格が25円くらいだったそうなので、いまなら350円前後になりますね。たしかに高い。。。

それから50年。数えきれないほどの銘柄が登場したと思いますが、消えてしまったものも数多くあるでしょう。そんななか、カップヌードルのしょうゆ・カレー・シーフードはいまだに高い人気をほこっているようですので、大したものです。何年前だったか忘れましたが、シーフードは中国の料理人も太鼓判を押した、というテレビ番組もありました。

ただ残念なのは、最近、カップ麺の中には朝食として胃が受け付けなくなるものも出てきました。今年の人間ドックでも胃におかしいところはなかったのですが。。。

袋麺はだいじょうぶなので不思議なものですが、やはり年のせいなのでしょうか。ちなみに明日は、中華三昧・麻辣火鍋麺を食べる予定です。

 

 


言ったら、やんなきゃ!

2021-10-29 21:00:00 | 日記

みなさん、こんばんは。hkです。

8月は5000人を超えた東京のコロナ感染者も10月9日以降は2桁となり、今日は24人と発表されました。これほど減った理由は専門家でもわからないようですが、喜ばしいことは確かでしょう。

先週までは、不識布マスクの上に抗ウイルス加工された布製マスクを重ねた二重マスクをしていました。7月下旬から2000人を超え始めたころ、親会社の健康管理部門が感染しない方策にひとつとして二重マスクの着用を推奨。子会社である勤務先の管理部門も同様のアナウンスを社員にしていました。

私自身がその管理部門に所属していることもありますが、普通の方より肺機能が弱く(記憶にあるだけで、6回は肺炎にかかっています)、重症化する恐れがあったので二重マスクにしたわけです。布マスクは少しサイズが小さくて耳が痛くなりましたが、感染して苦しむよりはましです。

では親会社や勤務先の建物内(同居しています)はどうだったかというと、ほとんど二重マスクをした方とは出会いませんでした。すべての方と会っているわけではないので、廊下や社員食堂で見かけた人だけだったのかもしれません。しかし、親会社の管理部門に所属している方も二重マスクではありませんでした。

「二重マスクを推奨」といいながら自分では実行しない。なんか、説得力がありませんよね。二重マスクをせず不幸にも感染した社員がでたら、「会社は推奨したのにしなかった君が悪い」と言う。なんだかアリバイ作りをしているような感じです。

この手の「アリバイ作り」はときどき見られます。批判されないように対策をてんこ盛りにして社員に示す。でも、言っている方がやるわけではない。または、ありすぎて現実的でない。

やはり、言ったことは実行するのが何より肝心だと感じています。


今夜もこれから一杯

2021-10-28 21:00:00 | 日記

みなさん、こんばんは。hkです。

私が365日(正確に書けば、人間ドックの前日以外)欠かせないのがお酒です。外で飲むことはコロナ前から少ないのですが、帰宅してやるべきことを済ませたら、家飲みが始まります。夏でも冬でも焼酎のお湯割りが定番です。

いちばん最初に焼酎を飲んだのは、社会人になって2・3年目のころでしょうか。「下町のナポレオン」という愛称があった大分(おおいた)の麦焼酎「いいちこ」がはやっていて、寮で飲んでいたものです。

実家に帰って父に飲んでもらおうと思ったら、最初は渋っていました。大正生まれの父にとって、焼酎は臭くて悪酔いするものだったようです。しかし、ひとくち味にすると「うまいね~」。

それからかなりあとです。出張で大分にいき、取引先の人に行きつけの店に連れて行ってもらいました。その方がキープしていた一升瓶は「黒霧島」。宮崎に本社がある酒造メーカーが造っている芋焼酎です。どうやら「いいちこ」は歴史が浅く、地元の人にはあまり浸透していなかったようです。

また、熊本に出張し、取引先の人に飲みに連れて行ったもらったときに勧めてくれたのは、米焼酎。熊本の酒造メーカーが造っている「白岳」というものです。

「九州といったら芋焼酎じゃないんですか」と尋ねたら、「芋焼酎は使い物にならなくなった芋を原料にしている」との返事が。その真偽は確かめていませんので、好まれている方々は、気分を悪くしないでくださいね。

さて、これらの銘柄は伝統的な製法で造られた乙類焼酎といわれるものですが、それなりの値段がします。ですから私が飲んでいるのは、比較的安い甲類焼酎といわれるもの。明治の終わりに英国から導入された製法で造られているようです。

しかし、「甲類を飲んている」と熊本の方に話したら、「hkさんは、ただのノンベーなんじゃない? 甲類なんて、焼酎じゃないよ」と言われてしまいました。。。

さあ、そろそろブログは切り上げて、これから一杯してきます。


ブンコボン

2021-10-27 21:00:00 | 日記

みなさん、こんばんは。hkです。

きょうの10月27日から11月9日、11月3日をはさんだ2週間は「読書週間」です。第1回は戦後まもない1942年。現在の期間になったのは、2回目からだそうです。

私にとって身近な読書・本は、やはり文庫本です。

最初の出会いは小学6年生とき、1週間ほど入院した期間中に読んだ、新潮文庫の「どくとるマンボウ航海記」。私がお願いしたのか母の意志で買ってきたのかは覚えていません。小学生向けの本だったかどうかもわかりませんが、何となく面白く読めたことはかすかに覚えています。

中学生から大学生の10年間は、電車で通学していました。高校までは片道の乗車時間が30~40分くらい、大学からは60分くらい。行きは自分の小遣いの範囲で、自薦・他薦の文庫本を買っては読んでいました(帰りはクラブで疲れたり、コンパなどで酔っ払ったりしていて、読むどころではなかったのです)。

当時と今の大きな違いの一つは字の大きさ。よく、まあ、あんな小さい字を読めていたものです。しかも、当時利用していた私鉄は昼間、消灯していた記憶があります。中学に入学するまでの視力は1.5あったのに、中一が終わるころには1.0にも満たないようになり、いまでは両眼とも0.1になってしまったのは、小さい字を暗い電車の中で読んでいたせいだと確信しています。

岩波文庫のカバーがセルロイド紙で、値段も星マークで表示されていたのも、いまでは信じられないですね。★一つが70円、☆一つが100円のときでした。ずいぶん安直な決め方だと当時は思ったものです。

社会人になってからも、文庫本はほぼ毎日持ち運んでいました。冊数を正確に数えたことはありませんが、実家においてあるのと合わせれば、500冊は超えると思います。

ただ、いろいろと読んだからといって、それが私の人格形成に影響したとか、感受性を豊かにしたとか言えないのは残念です。どちらかといえば、想像力に欠ける人間です。それでも、まったく読まなかったよりは役にたっていると信じたいですね。

ところで中学に入学してからの6年間、自宅の最寄り駅から途中までいつも同じ女子生徒が同じ電車に乗っていました。その間はまったく声をかけあうこともなかったのですが、大学生になったある日、なぜか話をする機会にめぐり合いました。

そのとき教えてもらったのですが、彼女とその友達が私につけたあだ名が「ブンコボン」。「ブンコボンがこっちを見ている!」とかなんとか言っていたそうです。これでは青春の思い出にもなりませんね。。。