万歩径

自分の行動記録と転居先である紀伊田辺近郊の町の
情報紹介をしております

京都散策 24,000歩

2017-05-31 20:42:45 | 日記

京都迎賓館・銀閣寺・哲学の道・無鄰菴

 

寿目前の中高の同級生8名で快晴の京都散策をした

地下鉄今出川から最終地の地下鉄東山三条まで歩き

JR京都駅経由JR大阪駅まで帰ってきた

 

散策ルートは

京都御所・京都迎賓館・銀閣寺・哲学の道・無鄰菴

24,000歩 よく頑張った


<京都迎賓館>

初めてで最後になるだろう京都迎賓館

伝統的西洋建築の迎賓館赤坂離宮に対して

ここは和の伝統工芸技能を堪能させている

 

<正門>

 

<正面玄関>

平成17年(2005)4月に開館

目的は海外からの賓客を心を込めて迎え 日本への理解と友好を深めてもらこと

 

<夕映えの間>

大臣会合などの会議や立礼式のお茶のもてなし、

晩餐会の待合として使用


壁面は箱崎睦昌氏の下絵を基に

綴織りの織物

比叡山を月が照らす様を描いた「比叡月英」

 

<藤の間>

最も大きな部屋で洋食晩餐会や歓迎式典に使用される

壁面は鹿見きよみち氏の下絵を基に作られた綴織り織物

 

<桐の間>

和食を提供する「和の晩餐室」 最大24名まで会食可能

 

<庭園>

深山幽谷から流れ出る水が注ぎこむ池が

周りの建物に溶け合うように配置されている

「庭屋一如」の思想の庭

 

<廊橋>

廊橋を境に池の深さが変わり北側の池には錦鯉が放たれている

 

<和舟>

来賓に日本の文化「舟遊び」を楽しんでもらう舟溜まり

 

<銀閣寺>

銀閣寺 哲学の道は何回も訪れておりますが 今回はいつもと違う角度から拝観しました

 

室町幕府八代将軍 足利義正公の隠栖生活の場として建てられたからかもしれないが、

宗教的雰囲気は薄く 庭園観光寺の様相を感じた


 

<無鄰菴(むりんあん)>

明治・大正の元老 山形有朋の別荘で昭和16年(1941)に京都市に譲渡

昭和26年(1951)に近代の名園として国の名勝に指定された


七代目 小川冶兵衛の作庭

京都岡崎・南禅寺界隈の別荘群の先駆けとなった

明治36年(1903)4月21日 元老・山形有朋、立憲政友会総裁・伊藤博文、総理大臣・桂太郎、外務大臣・小村寿太郎の

4人によって、日露開戦直前の外交方針を決める「無鄰菴会議」が開かれた場所です


ここに来たのは初めてでしたが、外国人が沢山訪れていました

外国人は事前によく調べてきているようです

我々も足元の勉強をもっとしなきゃならないですね



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


和の香珈琲

2017-05-25 16:48:26 | 日記

ウオーキングの途中

 

ほぼ毎日 体調管理を目標に一万歩ウオーキングをしている

 

過日 

田辺市内中心部からカメラ片手に田辺湾海沿いの道を

自宅まで約1万5千歩を歩いた

 

3分の2まで来たところで途中一休み

名前につられて「和の香珈琲」店に入った

 

 

落ち着いた和の雰囲気

一杯立てのサイフォンコーヒ(カップ1.5杯分)

上品なカップ

店内焼き上げの美味バウムコーヘン

一気に疲れも取れ 汗も引いた

 

中庭を囲んだ客席

 

場所はJRきのくに線 新庄駅(無人駅)前

 

コーヒの種類も多く

気分でセレクトできるのも良い

因みに価格は

和の香スペッシャルブレンド 430円+税

お気に入りに入れました

 

< こぼれ話>

こちらに来て目につくのは

路線バス街道沿いの

大型パチンコ店 おしゃれな美容室 自動車関連の店

焼肉、てんぷら、海鮮、とんかつなどの飲食店 

おしゃれなカフェ・洋食店など

 

物価も少し高め

裕福な人が多いのかな・・・・・・

 

 

 


緋色のサンセット

2017-05-20 09:52:48 | 日記

5月19日(金)のサンセット

 

転入後8か月

いまだに毎日のサンセットに感動している

特に昨夕は今までになかった色だった

 

ものの本によると

紅(くれない)と鬱金(うこん)との交染で生まれた色を

緋色(ひいろ)と言うらしい

夕べのいろは正にこれだった

 

<18:53>

 

<19:20>

写真ではうまく色が出ていないが海が真っ赤に染まり

感動だったが不気味さも感じる光景だった

 

写真では巧く表現できないが実景を直接感じてもらうしかない

皆さんの来訪を待っています

 


知の巨人 南方熊楠(その3)

2017-05-19 11:36:44 | 日記

5月18日は生誕150周年記念日でした

  

1916(大正5年)年から田辺・中屋敷の邸に住み

博物学、民俗学、植物学などの研究に励み

多くの分野で近代日本の先駆けとなった


庭内には大きな楠の木、みかんの木、顕花植物など多数あり、

その中に柿の生木から新種の粘菌を発見、

その庭は粘菌採取の貴重な場所だった

 

熊楠没後、長女 文江さんが書物、文献、標本などを保全

その後 田辺市に寄贈され2006(平成18年)年に熊楠存命時の姿に復元された

 

<熊楠邸正面門>


<書斎>


<楠の木>

自分の名にちなんだ自邸の大きな楠の木を大事にしていた


<柿の木>

粘菌は朽ち木に生息するが、邸内の柿の生木に粘菌(変形菌)を発見

新種の粘菌「ミナカテラ・ロンギフィラ」と命名

 


<安藤みかんの木>

田辺・上屋敷の旧藩士 安藤冶兵衛の邸内の大きなみかん「安藤みかん」が枯れてしまった為、

熊楠邸にあった同種のみかんの木(二番目に大きい)が天然記念物に指定された

熊楠はそのみかん汁を愛飲していた


<センダン(栴檀)>

フジの花に似たきれいな花を咲かす

1929(昭和4年)年に昭和天皇が南紀を訪れた時に熊楠が神島にお向かいえして、

御召艦で自生しているセンダンを熊楠がご進講した


神島は田辺市にある無人島

照葉樹林に神が住まうと信じられ、古くから神の島として崇められており

生物学上貴重な植物が繁茂し熊楠が保存運動に努め天然記念物に指定されている 


 

なお、5月18日に墓所がある田辺市の高山寺で名誉市民称号授与の報告会が開催されました

 

たまたま南方熊楠顕彰館(無料)と旧邸(有料)を訪れると

生誕記念日を祝い観覧料300円が無償でした


顕彰館に保存されている資料は2万5千点もあり、

まだ1割程度しか解明されていないそうです


南方熊楠に興味のある方は生誕150周年記念にあたる今年がチャンスです

田辺の南方熊楠顕彰館と旧邸、熊楠記念館新館(白浜町)を見学

お帰りに

熊楠の生家の酒造会社「世界一統」の

「南方熊楠生誕150年記念酒・純米 南方」で熊楠談義をして下さい







 

 

 

 


Ra Ra Locale(ララロカル)

2017-05-15 18:02:18 | 日記

田辺 上屋敷のレトロビル

 

朝の散歩の途中に


解体の危機にあったレトロビル旧田辺市警察署を

NPO法人「かたつむりの会」が改装した

天然酵母パンとパスタの店「カフェ ララカルル」で一服


朝食後だったのでパントパスタは次回にとっておき

おいしいコーヒで一休みした

 

<レトロビル外観>

 

 <一階カフェ>

 

<二階ホール>

グランドピアノもあるレトロ感あふれる貸ホール

 

町の有志が伝統を守る姿に感銘!


田辺に転入後半年 お気に入り所がいっぱい

阪神間のみなさん

時間距離は少し遠いがいいところですよ!

一度 遊びに来てください

待ってます

 


知の巨人 南方熊楠(その2)

2017-05-11 21:45:11 | 日記

南方熊楠 生誕150周年記念

 

経歴は慶応3年(1867)和歌山市生まれ

和歌山中学 東京の共立学校(現在の開成中学・高校の前身)を経て

東京大学予備門(教養学部)入学

夏目漱石 正岡子規 秋山真之などと同級生だった

 

田辺の3偉人 知の巨人と言われながら注目度は低かったようで

昭和16年(1941)に亡くなるまで長期間田辺中屋敷町に

居住していたにもかかわらず

今年やっと名誉市民を授与されることになった

 

南方熊楠 生誕150周年にあたる今年は

田辺では町を挙げてあっちこっちで

記念事業を催して盛り立てている

 

<扇が浜の南方熊楠顕彰碑>

<NTTビルの壁画>

 

「熊楠をもっと知ろう!」シリーズ> 

5月3日 「熊楠の神秘主義を読み解く」座談会を受講してきた

<南方熊楠顕彰館>

 

 

アメリカ イギリス留学(オカルティズム全盛期)後 

那智大門坂の旅館大阪屋に3年間滞在中

昼は粘菌採取、夜になると深層心理研究に没頭の結果

精神的危機状態(幽霊、幽体離脱)に苦しんでいた

「天才」と「てんかん」にはこのような現象が出ることがあるらしい

熊楠も「てんかん」だったようだ 

このような行動が変なおっさんと思われ

名誉市民憲章が遅れたという人もいた 

 

<那智 大門坂 旅館「大阪屋」跡>

現在は建て替えられて民間個人の住まいとなっている

 

 

<田辺市 多屋孫書店の熊楠コーナー>

 

 

田辺市立図書館(たなべる)にも熊楠コーナーが設置されている

(館内撮影禁止のため写真なし)

今後の催事は

・名誉市民授与式 ・第27回 南方熊楠賞授与式などがある

 

 

 

 

 

 

 


熊谷守一展 「書と絵と肖像」

2017-05-10 12:53:15 | 日記

田辺市立美術館

 

春の花いっぱいの新庄総合公園の一角にある市立美術館で

没後40年「書と絵と肖像」熊谷守一展と

画伯の晩年を撮影した写真家藤森武氏の講演を聴講した

(画伯は岐阜県中津川市出身だがご婦人が田辺旧家の出身)

 

<展覧会ポスター>

<田辺市立美術館>

 

画伯は97歳まで作品制作を続け

さまざまなモチーフを単純化した輪郭線と平塗りの色彩で

独特の熊谷スタイルを編み出している

書も味のある空間に感銘を受けた

 

藤森武氏による講演は

写真嫌いだった画伯の晩年3年間を撮影した画伯の

日常生活と対話など肖像写真スライドと体験談を熱演された

 

 

 

 


世界遺産 補陀洛山寺

2017-05-04 20:29:42 | 日記

平家物語 巻十 維盛入水

 

平家物語講座で平維盛が熊野三山の参詣を終え

和歌山県那智町の補陀洛山寺で出家(法名浄円)して

浜の宮から渡海(入水)したと聴講した。

 

以前から一度訪れたいと思っていたので

JRきのくに線 最寄りの紀伊新庄駅(無人駅)から7時54分に乗車して

那智駅に10時12分に着いた。

 

浜の宮、熊野参所大神社、補陀落山寺、青岸渡寺、熊野那智大社、

熊野古道大門坂を参拝した。

 

<紀伊新庄駅ホーム>

 

<那智駅前広場>

 

<熊野三所大神社>

那智駅から数分のところ

 

<補陀洛山寺>

熊野三所大神社の左横が同寺

 

世界遺産記念碑

 

本堂

 

曼荼羅

補陀洛山寺関連物語の全景

 

渡海舟

(上記曼荼羅絵最下部中央右の渡海舟を元に復元した)

渡海上人が浜の宮からこの船に乗って補陀洛浄土に旅立った

(補陀洛とは観音菩薩の住まう浄土)

 

平維盛供養塔

本堂の裏山中腹に補陀洛上人25名の供養塔群がある

 

浜の宮海岸

この海岸から渡海舟で旅立った

(生きながらの水葬)

 

青岸渡寺本堂

 

熊野那智大社本殿

 

青岸渡寺三重塔と那智の滝

 

熊野古道 大門坂

南方熊楠もイギリスから帰国後1901~1904年まで3年間

ここにあった旅館「大阪屋」離れで

粘菌採取のため滞在していました。

 

今日は平安衣装(貸衣装)で行脚していた外国人に出会いました。

 

紀伊勝浦駅前商店街

 

受講時は淋しい山寺だろうと想像していたが

町中にある立派な寺で

渡海舟も頑強な屋形(脱出できないように外から釘打ち)だと思っていたが

檜皮張りの上品な作りだった。

 

熊野古道ルートは外国人観光客が目立つ

「日本人もっと頑張れ!」