京都迎賓館・銀閣寺・哲学の道・無鄰菴
傘寿目前の中高の同級生8名で快晴の京都散策をした
地下鉄今出川から最終地の地下鉄東山三条まで歩き
JR京都駅経由JR大阪駅まで帰ってきた
散策ルートは
京都御所・京都迎賓館・銀閣寺・哲学の道・無鄰菴
24,000歩 よく頑張った
<京都迎賓館>
初めてで最後になるだろう京都迎賓館
伝統的西洋建築の迎賓館赤坂離宮に対して
ここは和の伝統工芸技能を堪能させている
<正門>
<正面玄関>
平成17年(2005)4月に開館
目的は海外からの賓客を心を込めて迎え 日本への理解と友好を深めてもらこと
<夕映えの間>
大臣会合などの会議や立礼式のお茶のもてなし、
晩餐会の待合として使用
壁面は箱崎睦昌氏の下絵を基に
綴織りの織物
比叡山を月が照らす様を描いた「比叡月英」
<藤の間>
最も大きな部屋で洋食晩餐会や歓迎式典に使用される
壁面は鹿見きよみち氏の下絵を基に作られた綴織り織物
<桐の間>
和食を提供する「和の晩餐室」 最大24名まで会食可能
<庭園>
深山幽谷から流れ出る水が注ぎこむ池が
周りの建物に溶け合うように配置されている
「庭屋一如」の思想の庭
<廊橋>
廊橋を境に池の深さが変わり北側の池には錦鯉が放たれている
<和舟>
来賓に日本の文化「舟遊び」を楽しんでもらう舟溜まり
<銀閣寺>
銀閣寺 哲学の道は何回も訪れておりますが 今回はいつもと違う角度から拝観しました
室町幕府八代将軍 足利義正公の隠栖生活の場として建てられたからかもしれないが、
宗教的雰囲気は薄く 庭園観光寺の様相を感じた
<無鄰菴(むりんあん)>
明治・大正の元老 山形有朋の別荘で昭和16年(1941)に京都市に譲渡
昭和26年(1951)に近代の名園として国の名勝に指定された
七代目 小川冶兵衛の作庭
京都岡崎・南禅寺界隈の別荘群の先駆けとなった
明治36年(1903)4月21日 元老・山形有朋、立憲政友会総裁・伊藤博文、総理大臣・桂太郎、外務大臣・小村寿太郎の
4人によって、日露開戦直前の外交方針を決める「無鄰菴会議」が開かれた場所です
ここに来たのは初めてでしたが、外国人が沢山訪れていました
外国人は事前によく調べてきているようです
我々も足元の勉強をもっとしなきゃならないですね