東日本大震災から7・8年以上経過して、人間ドッグで医師の面談時に言われた言葉。
危機はもう目の前にないのに、精神的に苦しく鬱屈していることを、福島の現状を交えて話した。
パソコンの置かれた机でなく、こちらに向き合って私の目を見て一言さらりと言った。
「一回泣いた方がいいね」
重すぎる多くの感情を飲み込んでいた自分に気付いた。
私は本当は泣きたかったんだと気付いた。
東日本大震災から7・8年以上経過して、人間ドッグで医師の面談時に言われた言葉。
危機はもう目の前にないのに、精神的に苦しく鬱屈していることを、福島の現状を交えて話した。
パソコンの置かれた机でなく、こちらに向き合って私の目を見て一言さらりと言った。
「一回泣いた方がいいね」
重すぎる多くの感情を飲み込んでいた自分に気付いた。
私は本当は泣きたかったんだと気付いた。
心に深く刺さっている言葉がある「あなたたちは逃げたんだよね」
地域に貢献し地域の為に努力する意義を私は知っている、親孝行をして親戚を大切にし助け合う素晴らしさを私は知っている。
逃げたんだよねと親戚の高齢の女性に言われ、それを「シッ」とたしなめる別の女性、戸惑う私とのやり取りを冷めた目で見る多くの親戚。
針の筵とはこういうことを言うのかと、険悪な雰囲気の共通認識はこれであったのかと腑に落ちた瞬間だった。
罪を罪と認識していた、そうなのだ、逃げたと言われたら逃げたのだ、何も言い返せない、だってその通りなのだから。
「直ちに影響はありません」と各局の報道が変化したタイミングで「これまで」を捨てる判断をした。
アルバムと貴重品、身の回りのもの、直ぐに食べられるもの、水、毛布。
帰れなくなったとしても致し方ない、積み重ねが徒労となっても、生きていれば生きていける、危機的判断だった。
東日本大震災を福島県浜通りで体験して、想像もしていなかった悔恨や絶望が生まれる様を目の当たりにした。
筆舌し難い混乱が育ち、人が人を傷つけ、絶望が絶望を刺激し合いながら、底なし沼のような底の見えない苦しみが蔓延した。
苦しみを感じないように自分たちを誤魔化し続けなければやってこれなかった。
健やかで素朴な人柄の人々が、苦しめられ続ける事で絶望に染まっていった。
震災が起こった結果、実家は家族の問題が浮かび上がった。
海をずっと見ることができなかった、悔しくて許せなくて、元凶のような気がして。