私が感じている真実、私が判断の基盤にしている本能的な感覚は「実は極端な思考」らしい。私の感覚は大多数とは違うものらしい。気づきによって根底から変わる私の世界への認識「真実は一つじゃない」
人間は多重で多層だから、いろいろな思考があるという事、自分を妥協して生きていくことも正しいことの一つ。私の思う「たった一つの真実」の正体は「白黒思考」だったのかもしれない。だから私は苦しかったのかもしれない。「たった一つの真実のはずなのに」「これが正しい事なのに」と、上手くいかない度に悔しい思いをしてきた、多分そういう思い込みを抱えていたから苦しかったのだろうと思う。
真実は人それぞれであり、それが正解であり現実だなんて知らなかった。ずっと「たった一つの真実=私が認識する世界観=皆が求める正義」だと考えてきた、皆がそのたった一つの真実を目指して生きているんだと思っていた。だから上手くできない私を皆が責めているんだと思っていた、至らないから糾弾されるんだろうと考えてきた、努力してもできない私は駄目な人間なんだろうと考えてきた。
思い込みを手放して楽になりたい、今は他者からも押し付けられて苦しいけれども。人はそんな間違いを間違いと知らず生きているのだろう、これまでの私のように。今回の私の失敗は済んだことであり変えようがないから、脇の甘さが招いた敵意を受け入れることにする。嫌われた事実を受け入れる、彼女にとって私が信頼できない人になったように、私にとっても同義となったということだ。
至らぬ自分を受け入れることにする。怒りも衝動性もひらめきもいったん保留して、本能に従わないこと俯瞰的に考えること。その上で楽観的な気持ちを大切にして人生に挑むこと。きっと変われると自分を信じてみることにする。