「強く自分を信じるんだ、可能なんだってずっと信じるんだ」サッカー選手ロナウドのインタビュー記事から得た言葉。
自分を信じたい、でも恐怖がある。
何故怖いの?それは怒られるから、自分でいると怒られるから。
自分を信じたって無駄だから、自分を信じて否定されてまた傷つくのが怖いから。
誰かの気分を損じたら、私が良いと思った出来事の価値は無になるから。
間違っていないと言ったところで信じてもらえないから。
だったら初めから自分を信じなければいい、自分は駄目な人間だと思っていれば安心だから。
「だけど自分を信じたいんだ、自分には価値があるんだって信じたいんだ」
勇気を振り絞って自分を信じる、罪悪感をグッとこらえて、これまでの自分を上書きする。
大丈夫、自分の感情を信じて大丈夫、自分の信念を信じて大丈夫。
悪口や嫌味を言われても大丈夫、あなたはあなたの為に生きていても大丈夫。
私は私を信じて大丈夫、努力して生きてきたこれまでが私の価値。
出来るだけ合理に寄せて、感情に支配され過ぎないこと。
私が感情的に納得できなくても、社会的常識に照らして合理的であるならそれが正解。
感情があるのは人として当たり前の事、それは人間社会で当たり前の事、間違っていても生きていていいのだ。
苦しんでいるのは「自分を信じる事」に罪悪感があるから、さらに掘り下げてみると防衛反応に気づく。自分を空にして誰かに決めてもらうほうが楽、だってそうすれば自分の責任じゃなくなる、自分は否応なしだった不可抗力だったと逃げられる、被害者になれるから。それが私のいつもの癖、間違った認知なのだ。モヤモヤと苦しみの根源なのだ。
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