疑問だった、母は何故家庭の問題に前向きに対処しないのか。現実を突きつけても何故母の問題は解決されないのか?
子供の頃から不思議だった答えは多分、母は無知である事で自分を守っていたのだ。
誰かを悪者にして「至らぬ自分自身に直面する」を回避していたのだ。
受け止めきれない現実を回避して人は皆自分を守る。
私もまた「無知」でいることで、知らず知らずのうちに知る痛みを回避していたと思う。
幼心に母と同じところを通って絶対「違う道を生きる」と決めていた。
今現在「知る痛み」を越えて自分に立ち向かう私は、ふと周囲を見回してみて、母のように現実を回避している人間が多いことに気づいた。
同じような悩みだからとよく話題にしていた方に(母と娘のトラウマ現在進行形の娘との関係)先日「気にしないことにした」と言われた。
自分の正しさを人に押し付けていた自分に気づいた。良かれと思ってしていた話題は痛みを与えていたのかもしれない。
「間違っていたとしても、本人が生き辛さを感じていないならそれでいい」カウンセリングの先生の衝撃だった言葉を噛みしめている。
私はまた一つ現実の自分を知った、未熟で無知だった私を受け入れている。私は知る痛みを越えたいのだ、その先に行きたいから。
人との境界線を引く、距離を離すことを心掛けようと気持ちを新たにしている。
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