「まぁ~可哀想に」
東日本大震災で避難先である東北を転々とし、震災に振り回されたくない、受動的ではなく能動的に人生を生きたいと転居した先で、散歩中の老婆に身の上話をする流れになってしまい、話した結果開口一番に言われた言葉だ。
そんな言葉をかけられるとは想像していなかった、老婆に気まずさは無く、自分は娘が呼び寄せてくれた、自分は長く勤めあげた、子供や孫もエリート街道を生きている、人生のご褒美の残り少ない時間をこれからは楽しんでいきたいと言った。
立ち位置が違うことで見えるものは全く違うのだと感じた、私は阪神淡路大震災の被災者に心から寄り添えていたのだろうか、戦争経験のある祖父母世代の苦しみに寄り添えていたのだろうか、経験者と未経験者ではこんなにも隔絶しているということに愕然とした出来事だった。