本願寺月光蟲です。
。
今の世の中もうサブカルなんて言葉は死語でそんな死語をいまだに使ってるのは「自分が勝手にサブカル女だと思ってる女を口説けそうにない」「サブカル女っぽいやつに振られた」「サブカル女っぽいヤツは自分が口説けないからむかつく」ってな連中だけサブカルという言葉を多用して攻撃している。
ノイズとアイドルが組むとか凶悪犯罪ネタの映画が大ヒットする時代にサブカルなんてもうあるわけがない。
全て同一線上に並んでいる。
モテなさすぎてプライドが高すぎる男女だけが「サブカルはむかつく」とかいまだに言ってたりする。
いや、だから・・・もう死語だよ死語。そんな言葉使ってるからこそうだつがあがらないわけで。
と、まあ攻撃してる連中を煽るわけではないけど、ネット上では表現活動してる一部の男女が「サブカルはむかつく」と言われてるのを見てゲンナリしていたりします。
少し前までは確かにサブカルは一部の人間のたしなみみたいなものだったが、文化がこれだけ細分化されどんな趣味でもメジャーにもなるしマイナーにもなるわけで。
ここでいちいち男女問題やら恋愛問題を絡める連中がいるからめんどくさい事になる。
いわゆる「サブカル男女むかつく」と言ってる人は過去に馬鹿にされたり振られたりしたことがあんだろう。
それは自分の知識の無さを恨んでおけと言える。
だけど、別に他人の趣味や感性なんだし無理にわかろうとしなかったらいいわけで。
そもそもこの手の恋愛話になると「サブカル女はサブカル男子にしか口説けず、サブカル男女はオタクを見下している」という点にいきつく。
これには思い当たる点がいくつかあって、確かにサブカル的な女の人は自分より知識が上で年齢も上な男子になびく傾向にあるように思ったりする。
いわゆる表現欲求や自己承認欲求はオタクの連中にもあると思うが、オタクが勝手に定義している「サブカル女の表現欲求」を勘違いしているように思います。
男女共に【外見】というものがある。
美人、不細工、イケメン、ブサメンと表現されるわけで。
何かを表現するにあたり外見は関係ないが「表現したものは認めてほしい」というのがある。
「君のはいいね」と来た場合、そりゃあ嬉しくなるだろう。
そこで何故か外見と恋愛、エロなどが絡むからいちいちめんどくさくなる。
外見で判断するな、と言うわけだがみんな多かれ少なかれ外見で判断したり差別してたりする。
表現をしている女性の場合、作品云々の結果よりも年齢や外見で作品の評価が上がる場合がある。
これが問題で、当事者の女性としては複雑な気分になるのが普通。
特に女性の場合は「自分の外見はどのあたりにいるのか?」を多少意識しているように思える。
作品の評価と外見の評価が合わさっているのに「君の作品はいいねえ」としか言われなかったりする。
ここでナルシストすぎるやつならうまくわたっていくわけだが、人間の表現欲求というのはまた別な位置にあったりするわけで。
かといって「私かわいーけど作品を正当に評価してくれ」なんていうわけがない。
作品を正当に糞だと言ったらそれはそれで凹むか怒るかなわけで。
表現している女性というのはココに【心の棘(とげ)】みたいなものがあるように思ったり。
この棘がチクチクと痛むんではないでしょうかね?
ネットでいまだに「サブカル女むかつく」とか言ってる男子と言うのはこの棘の存在がわからないのではないかなあ?と思ったりする。
いや、だからサブカル女とか言ってる時点でおかしいし、コンプレックスの塊。
サブカルなんてまじで死語だよ死語。
2ちゃんのサブカル板みてみなよ、メジャーな話題しかないやん。
そもそも2ちゃんで考えたらわかるだろ、昔はともかく今なんか誰もサブカルだなんて糞ほどにも思わないし。
「サブカル女死ね」とか言ってるうちはわからないかもだけど、多分なんだが表現している女子は外見の評価と作品や自分の感性の評価で板挟みになっていて大変なんだと思うゾ。
そもそも「サブカル女は単館系」だの「サブカル女はスタジオボイス」とか言って煽る連中が多すぎなんだがそこで「オレにゃーわからんけど仲良くしようぜ」とか素直にいえばいいやん。
わからない事を口説くためにとりあえず無理にわかろうとするからイライラするんだと思うゾ。
敵意には敵意しか返ってこない
と、言う話をしたかっただけです。
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今の世の中もうサブカルなんて言葉は死語でそんな死語をいまだに使ってるのは「自分が勝手にサブカル女だと思ってる女を口説けそうにない」「サブカル女っぽいやつに振られた」「サブカル女っぽいヤツは自分が口説けないからむかつく」ってな連中だけサブカルという言葉を多用して攻撃している。
ノイズとアイドルが組むとか凶悪犯罪ネタの映画が大ヒットする時代にサブカルなんてもうあるわけがない。
全て同一線上に並んでいる。
モテなさすぎてプライドが高すぎる男女だけが「サブカルはむかつく」とかいまだに言ってたりする。
いや、だから・・・もう死語だよ死語。そんな言葉使ってるからこそうだつがあがらないわけで。
と、まあ攻撃してる連中を煽るわけではないけど、ネット上では表現活動してる一部の男女が「サブカルはむかつく」と言われてるのを見てゲンナリしていたりします。
少し前までは確かにサブカルは一部の人間のたしなみみたいなものだったが、文化がこれだけ細分化されどんな趣味でもメジャーにもなるしマイナーにもなるわけで。
ここでいちいち男女問題やら恋愛問題を絡める連中がいるからめんどくさい事になる。
いわゆる「サブカル男女むかつく」と言ってる人は過去に馬鹿にされたり振られたりしたことがあんだろう。
それは自分の知識の無さを恨んでおけと言える。
だけど、別に他人の趣味や感性なんだし無理にわかろうとしなかったらいいわけで。
そもそもこの手の恋愛話になると「サブカル女はサブカル男子にしか口説けず、サブカル男女はオタクを見下している」という点にいきつく。
これには思い当たる点がいくつかあって、確かにサブカル的な女の人は自分より知識が上で年齢も上な男子になびく傾向にあるように思ったりする。
いわゆる表現欲求や自己承認欲求はオタクの連中にもあると思うが、オタクが勝手に定義している「サブカル女の表現欲求」を勘違いしているように思います。
男女共に【外見】というものがある。
美人、不細工、イケメン、ブサメンと表現されるわけで。
何かを表現するにあたり外見は関係ないが「表現したものは認めてほしい」というのがある。
「君のはいいね」と来た場合、そりゃあ嬉しくなるだろう。
そこで何故か外見と恋愛、エロなどが絡むからいちいちめんどくさくなる。
外見で判断するな、と言うわけだがみんな多かれ少なかれ外見で判断したり差別してたりする。
表現をしている女性の場合、作品云々の結果よりも年齢や外見で作品の評価が上がる場合がある。
これが問題で、当事者の女性としては複雑な気分になるのが普通。
特に女性の場合は「自分の外見はどのあたりにいるのか?」を多少意識しているように思える。
作品の評価と外見の評価が合わさっているのに「君の作品はいいねえ」としか言われなかったりする。
ここでナルシストすぎるやつならうまくわたっていくわけだが、人間の表現欲求というのはまた別な位置にあったりするわけで。
かといって「私かわいーけど作品を正当に評価してくれ」なんていうわけがない。
作品を正当に糞だと言ったらそれはそれで凹むか怒るかなわけで。
表現している女性というのはココに【心の棘(とげ)】みたいなものがあるように思ったり。
この棘がチクチクと痛むんではないでしょうかね?
ネットでいまだに「サブカル女むかつく」とか言ってる男子と言うのはこの棘の存在がわからないのではないかなあ?と思ったりする。
いや、だからサブカル女とか言ってる時点でおかしいし、コンプレックスの塊。
サブカルなんてまじで死語だよ死語。
2ちゃんのサブカル板みてみなよ、メジャーな話題しかないやん。
そもそも2ちゃんで考えたらわかるだろ、昔はともかく今なんか誰もサブカルだなんて糞ほどにも思わないし。
「サブカル女死ね」とか言ってるうちはわからないかもだけど、多分なんだが表現している女子は外見の評価と作品や自分の感性の評価で板挟みになっていて大変なんだと思うゾ。
そもそも「サブカル女は単館系」だの「サブカル女はスタジオボイス」とか言って煽る連中が多すぎなんだがそこで「オレにゃーわからんけど仲良くしようぜ」とか素直にいえばいいやん。
わからない事を口説くためにとりあえず無理にわかろうとするからイライラするんだと思うゾ。
敵意には敵意しか返ってこない
と、言う話をしたかっただけです。