“ 紅葉かつ散りて神さびたまいけり ”(清原枴童) ▼近郷の総鎮守 “神明宮社”の境内をぬけると、“高津戸峡”への小路である。 まだいくぶん緑色を残している榎、濃紅に色づいた楓、早くも散り始めた欅、木々の紅葉には遅速がアある。小路は、これらの間を曲がりくねりながら、渓合に向かってくだっている。ーー
鳥寄(とりよ)せの 口笛うまき 友ありて ほほじろ啼くを 聞きて憶(おも)ひし ー夢蔡ー
▲ 鳥の声 風の音 渓のせせらぎ 木漏れ日 心を開放して 静に散策してください。(←小路の入り口に立ててある看板)
鵯群(ひよむ)れは 声ごえ放ち 木々の間に 高津戸峡は 紅(あか)き彩(あや)なす ー夢蔡ー
▲ 足尾山系に源流をもつ “渡良瀬川”は、高津戸の狭く切りたった谷合をしばらく流れる。やがて、平野部に出る。数十キロ(桐生→足利→佐野・藤岡→)下り、“渡良瀬遊水地”(旧谷中村跡)に至る。
ーー<閑話 休題>ーーー
渡良瀬遊水地の建設は、日本の公害問題の「原点」とされる。問題の発端は、“足尾銅山”の「坑内から出て来る硫酸銅を含んだ水をそのまま、流し込んだ」ことにあった。(←当時の政府委員の説明) ▼ 他に、鉱山から出た数千万トンのいわば「排泄物」は、付近の谷間に捨てられていた。鉱山会社が造った「堆積場」は地形上、山の急斜面にあった。←▼ために、「豪雨ひとたび至り洪水氾濫すれば、鉱毒は排水溝や浄水装置を素通りしてしまう。」 時の政府は、鉱山の技術・諸設備の根本問題に迫らず、廃棄物の最終処分=「鉱毒問題を葬るため 谷中村を“遊水地”とした。」(←荒畑寒村「谷中村滅亡史」より)
ー美しい渓谷の裏側にあった「稗史」でありますが・・。ー カタイコト言い過ぎました。写真にモドリマ~ス。--
川波の 寄せる岩場に 降りたちて 這うごと進み 汗砂にしむ ー夢蔡ー
▲ 渓谷東岸は、整備された遊歩道である。約200段の階段を下りる。歩道をそれると、狭い砂地があり、その先は大岩石が幾つもあり、川波が白く砕けている。
波砕く 巌に川鵜 動かずに 病みておりしか 目のうつろいて ー夢蔡ー
▲ 川鵜の写真 PC入力時に失敗。川鵜の居た岩場を上から見る。
▲ 遊歩道に戻り、更に進む。今度は、100段ほどの上り階段である。陽は西に向かいつつある。カエデ紅葉が鮮やかに映える。
▲ 遊歩道は、渓谷の一部(約1キロ)を回周して、神明宮の反対側に出て終わる。
ーー脚に張りがきています。歩き具合からすると、500キロカロリーは、消費したかナ
~
谷道や 木漏れ日ぬくし 蔦もみじ ー夢蔡ー
手に手を坂道 *いい夫婦らし ー夫婦善哉ー
*注ー11月22日 「いい夫婦の日」ーー だってー
”マッチ擦るつかのまの海に霧ふかし身捨つほどの祖国はありや”*1970年代、寺山修司の歌であります。(←すこしニヒルではありますが、若さとは、このくらいの問いかけを持つことが許されるでしょう~!。) 「鳥寄せの口笛上手い友・・」を想ったように、頭をよぎりました。
--高津戸峡 散策ー<了> ーー
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