子どもは判ってくれない (文春文庫) | |
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文藝春秋 |
少し出版されたのは前になりますが内田 樹先生の本。今回のテーマは「大人の観察」そしてそれを子供たちにレポートすることです。内田先生自体は自身のことを大人だとは認めていない様子。そういった視点での敵情視察的な内容で各章は成り立っています。この本でまず指摘されているのがいわゆる具体性のない「正論」の問題点。北朝鮮の問題などは最たるものでいわゆる誰が聞いてもそうだよねという意見が多いのですがじゃあ具体的に何をするのかという点に関してはうまく説明されない場合が多く、そういった意見が世間には充満しているのが事実です。ただ実際には同じ意見の人ばかりではないわけでつまりはそういう他者も含めて共存しなければいけないということなのだと言うことなのです。内田さんはこれと同じ問題が世代間を通じても生じているとの指摘をしています。だからこそ若い人目線に立った大人の観察といった視点でこの本を書いたということは非常に長いまえがき(34ページまで続く)で記されています。
まとめてしまえば相手に伝わらないコミニケーションほど不毛な事はない、またそのコミニケーションそのものが不毛なものとして定着してしまって居るのが問題であるということ。「弱い敵と共存する事を市民の責務」という視点で対立するものを含んでの集団を代表する面倒を抱えることが、望ましい大人や公人なのではないかと。言う意見がこの本のポイントだと思います。
詳細な章の中ではイラク戦争、朝日新聞、大学、セックスワーカー、戦争など多岐にわたりますが内田さんとしての意見を述べているのみでやはりこの視点で強要するような書き方ではありません。ただ切り口はなるほどと思わせるものが多く自分の視点にななかったものが多いのでいつもながら参考になりました。その中でも、「呪いのコミニュケーション」は鋭い考察。沈黙を強いる呪いの言葉を発する者の欲望は、善意や愛情の発露と信じている恐ろしさ。具体的には「そんなことをしていたらダメになる」「あなたは何をやっても駄目ね」「思えは男・女運が悪いな」「そんなことじゃ誰も友達になってくれないよ」というような縛るような言葉なわけですがまさにハラスメントになっているというのを発した本人すら気づいていないことがあるわけです。似たもので良くあるのは「○○をなんだと思っているんだ?」という問い。答えのない問いかけなのですがよく使ってしまうのを聞きます。こういうのが「疲れさせる人」なわけですね・・・
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