[史料1]『越佐史料』三巻、587頁、
就連々わひこと候て、一筆いたし候、屋しき一けんいたし候、この以後にをいて、ほうこうかんよう候、
永正9年 (署名欠)
十一月十八日
いまい弥九郎方へ
[史料1]は『越佐史料』において「姓名欠ク、黒川カ」とされる文書である。今井氏に対して屋敷一軒を宛がったものである。姓名を欠いているが、花押は残っている。
その花押は、黒川盛実のものである。『越佐史料』に載せられた花押型と、大永6年起請文(*1)と一致する。よって、この文書は黒川盛実発給の文書であるといえる。
注目すべきはその伝来である。『越佐史料』によれば、「菅与吉氏所蔵文書」だという。これは私が黒川竹福丸が後に政実を名乗ると推測した際に、根拠として用いた文書群である。このように他の所蔵文書も黒川氏関連文書であることから、政実発給文書(*2)が黒川氏の発給であり、黒川竹福丸が後に黒川政実を名乗ったことはより補強されると考える。
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*1)『新潟県史』資料編3付録、花押印章一覧236号
*2)『越佐史料』三巻、324頁
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