本日の読売新聞(朝刊)で、和泉高校に関する記事が掲載されましたので、この記事につき、コメントさせていただきます。記事の内容は、今年行われた和泉高校の卒業式で国歌「斉唱」をしなかった教員に関する内容です。
昨年、大阪府では、公立高校の卒業式などの式典の際に、教職員は起立して国歌を斉唱する旨の条例が制定され、今年の卒業式に際しては、大阪府の教育長から、すべての教職員に対し、起立・斉唱をするように文書による職務命令が出されました。教育委員会からは、複数回にわたって、全校長に対し、この職務命令を各学校で徹底するよう指示がありました。
私は、この職務命令が出された際に、起立は容易に確認できますが、斉唱(歌うこと)については、確認が難しいと思いました。確実に確認しようとすれば、誰かが起立しているすべての教職員の口元まで近寄って歌っているかを確かめないといけなくなりますが、これでは、せっかくの卒業式の雰囲気が台無しになり、生徒や保護者のための学校の卒業式としては相応しくないと考え、「どのようにして『斉唱』を確認すればよいか」につき教育委員会に相談しました。
その結果、教育委員会からは、「遠目でよいので起立を確認しつつ、上を向いたり、下を向いたりなど、明らかに歌っていない教職員をチェックしてくれればよい」との指示を得ました。
~中略~
私は民間で弁護士をしていましたが、基本的に教職員は、純粋な人が多く、生徒のためによかれと思って仕事をしている人がほとんどです。ですから、必要以上に教職員(公務員)を叩いてはいけないと思います。ただ、上記の”因習”は絶対に是正する必要があります。生意気なことを言えば、「因習を憎んで、人を憎まず」です。この因習を是正するために、条例ができたのだと考えています。それを執行する教育委員会が、職務命令を出し、かつ、「斉唱」の確認方法についても指示を出しながら、肝心なところで「ちょっとやり過ぎだ」と梯子を外すようなことを言うのであれば、現場の人間としては「やりようがない」というのが偽らざるところです。
| ~省略~ 実際には、私(校長)は先頭で歌っているので後ろは見えませんでした。教頭と首席教諭が斉唱の際に、約60人の教職員を一瞥し、起立と斉唱の有無を確認しました(距離にして10~30mほど離れています)。その間、時間にして約5秒です(教頭からの報告です)。要は、さっと眺めて起立していない人、あるいは起立しているけれどもずっとうつむくなど、目立つ人を確認する作業でした。教頭からの報告では、今回歌っていなかった先生は、うつむいて歌っていなかったことが5秒の間に分かるような状態だったわけです。ですから、学校に、いかにも教職員らを凝視して監視し、一人でも多く不斉唱を探し出してやろうという姿勢があったわけではありません。
泥仕合になるのでメディアを批判することは好みませんが、昨日の報道ステーションの報道は酷いものでした。古館さんは昔から尊敬する大好きなアナウンサーなのですが、その横にいたアナウンサーが「口元より生徒を見て」というようなコメントをしたときは怒りを覚えました。大阪の条例・職務命令に基づき、教頭が数秒間は起立・斉唱を確認しなければならないのです。これは絶対に行わねばなりません。しかも校長は最前列で歌っていますので、生徒の顔は見れません。その代わりに、卒業生353人の名前が読み上げられる際に、ひとりひとりの顔を壇上から見て、別れを惜しみました。その後、式辞において伝えたいことを精一杯、約15分間、生徒に伝えました。
この2年間、私は平日の早朝や土曜日に英語を教えたりしましたので、卒業生にも英語を教えた生徒もたくさんいました。クラブの試合や練習を見に行って話をした生徒もいました。懲戒処分を下したけれど、その分愛着を覚えた生徒もいました。私のしてきたことが卒業生すべてに歓迎されているとは思いませんが、その思い出の一部はこのブログでも綴られています。あの無責任なアナウンサーはこのブログぐらい見ることは出来たはずですし、電話1本よこしてくれれば当然取材に応じました。テレビ朝日からはあのアナウンサーのみならず、いかなる記者からの取材もありません。卒業式の実態の調査もせずに、無責任な報道をする報道ステーションには大いに改善の余地があります。
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