ジェリーロール・モートン(「ジャズは俺が始めたんだ」と言い放った黎明期のジャズ・ピアニスト)の研究家として有名なボブ・グリーン(本名・Robert S. Greene )さんが、亡くなられたと、今朝連絡がありました。
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最後の来日だった2011年10月19日鳥居坂の国際文化会館
全盛期のBob
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私は2004年の11月28日に西荻窪のミントンハウスで行われたライヴで出会いました。メインゲストのBob Greene 登場の前に、私が梅雨祓いで弾いたショパンの《幻想即興曲》がBob の耳に留まり、
”What a lovely Chopin" と、握手を求められました。それがきっかけで横浜でランチをご一緒することに。
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十八番の《タイガー・ラグ》をミントンハウスで演奏するBob
Bob はお母様と、叔父様のBlum さんが横浜生まれということで、大変な親日家。
想い出のホテル・ニューグランドの2階ロビーで待ち合わせ、色々、音楽歴のことなどお話しました。
ランチを頂いてホテルを出る時に、ポロッとBob の口からフランス語が出たので「アメリカ人なのに、なぜフランス語を話すんですか?」というのがきっかけとなって、以来、二人では英語と仏語をちゃんぽんで話すようになりました。
その日は、横浜のヤマハでスタジオをお借りして、二人でそれぞれ得意技を披露しあいました。愉しいひと時でした。
それ以降、年に1~2回、来日される度に、横浜や麻布十番、銅鑼やミントンハウスをご一緒しました。
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新宿ジャズ・フェスティバルで。
初めてお会いした頃は、杖を持っていらして、ついたり、つかなかったり。その後は、杖が要らなかったり。ヒトって、下降線だけでなく、体力を取り戻したり、元気が復活したり、色々するんだ、という事を知りました。
「80歳までは、全然問題なかったのに、80過ぎてからだな、立ったり座ったりが面倒になったのは、クソッ!」
「キミの両親より僕は年上なのか・・。ショックだな。あと30歳若かったらプロポーズするのに」
ずっと一人暮らしで、その中でご自分の健康状態をキープする憲法のようなものを持っていらっしゃいました。
*ディナーは一日に一回
*午後はお昼寝タイムを作る
*高所恐怖症で長いエスカレーターに乗らないで済むルートを選ぶ。
「家を出てからずっと10日もピアノに触っていないよ」と、ピアノを弾かされる予感のライヴへ向かう乗り物内で両手の指を合わせて押し合い、指の中にエネルギーを貯めるポーズをして、備えていらっしゃいました。
たったそれだけで、ライヴでは生き生きと本物のジャズを聴かせて下さいました。
80代後半を過ぎても、日本ばかりでなく、パリやコペンハーゲンへ出掛けたり、カートレインでフロリダへ演奏に出掛けてたり、ロサンゼルスへ冬の寒さを凌ぎに遠征したり、悠々自適の人生の達人でした。
iPod-Touchが販売された時に、いち早く取り入れて嬉しそうだったなあ。
「ポケットにコンピュータがあるんだよ。これでいつでも繋がるよ」
9月1日に届いた最後のメールは、私がお教えした言葉でした。
"Oguenki-day, Ikumi."
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台風が吹き荒れた後に現れた、今朝の虹。
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虹のエスカレーターに乗って、行ってしまったのね・・。
もう読まれることはない、最後のメールを送りました。
Adieu, Bob.
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最後の来日だった2011年10月19日鳥居坂の国際文化会館
全盛期のBob
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私は2004年の11月28日に西荻窪のミントンハウスで行われたライヴで出会いました。メインゲストのBob Greene 登場の前に、私が梅雨祓いで弾いたショパンの《幻想即興曲》がBob の耳に留まり、
”What a lovely Chopin" と、握手を求められました。それがきっかけで横浜でランチをご一緒することに。
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十八番の《タイガー・ラグ》をミントンハウスで演奏するBob
Bob はお母様と、叔父様のBlum さんが横浜生まれということで、大変な親日家。
想い出のホテル・ニューグランドの2階ロビーで待ち合わせ、色々、音楽歴のことなどお話しました。
ランチを頂いてホテルを出る時に、ポロッとBob の口からフランス語が出たので「アメリカ人なのに、なぜフランス語を話すんですか?」というのがきっかけとなって、以来、二人では英語と仏語をちゃんぽんで話すようになりました。
その日は、横浜のヤマハでスタジオをお借りして、二人でそれぞれ得意技を披露しあいました。愉しいひと時でした。
それ以降、年に1~2回、来日される度に、横浜や麻布十番、銅鑼やミントンハウスをご一緒しました。
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新宿ジャズ・フェスティバルで。
初めてお会いした頃は、杖を持っていらして、ついたり、つかなかったり。その後は、杖が要らなかったり。ヒトって、下降線だけでなく、体力を取り戻したり、元気が復活したり、色々するんだ、という事を知りました。
「80歳までは、全然問題なかったのに、80過ぎてからだな、立ったり座ったりが面倒になったのは、クソッ!」
「キミの両親より僕は年上なのか・・。ショックだな。あと30歳若かったらプロポーズするのに」
ずっと一人暮らしで、その中でご自分の健康状態をキープする憲法のようなものを持っていらっしゃいました。
*ディナーは一日に一回
*午後はお昼寝タイムを作る
*高所恐怖症で長いエスカレーターに乗らないで済むルートを選ぶ。
「家を出てからずっと10日もピアノに触っていないよ」と、ピアノを弾かされる予感のライヴへ向かう乗り物内で両手の指を合わせて押し合い、指の中にエネルギーを貯めるポーズをして、備えていらっしゃいました。
たったそれだけで、ライヴでは生き生きと本物のジャズを聴かせて下さいました。
80代後半を過ぎても、日本ばかりでなく、パリやコペンハーゲンへ出掛けたり、カートレインでフロリダへ演奏に出掛けてたり、ロサンゼルスへ冬の寒さを凌ぎに遠征したり、悠々自適の人生の達人でした。
iPod-Touchが販売された時に、いち早く取り入れて嬉しそうだったなあ。
「ポケットにコンピュータがあるんだよ。これでいつでも繋がるよ」
9月1日に届いた最後のメールは、私がお教えした言葉でした。
"Oguenki-day, Ikumi."
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台風が吹き荒れた後に現れた、今朝の虹。
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虹のエスカレーターに乗って、行ってしまったのね・・。
もう読まれることはない、最後のメールを送りました。
Adieu, Bob.
Bob Greene は生まれながらのピアニストでした。「気がついたら音楽大好きで、ラジオに合わせて指揮をしていた。けれど親に反対されてピアノを習わせてもらえず、独学で習得した」そうです。凄い才能をお持ちでした。
「80過ぎてからだな、立ったり座ったりが面倒になったのは、クソッ!」は、明日はわが身の教訓とします。
鍛えなくっちゃ!!。
年々、努力を増やさないといけなくて、しんどくなります。。
私も、ここが衰えたから鍛えなきゃ、、、、あそこが弱ったからなんとかしなきゃ、、、。
戦いが続くんだね、、、まったく、、、Shit !!!。