室内楽の愉しみ

ピアニストで作曲・編曲家の中山育美の音楽活動&ジャンルを超えた音楽フォーラム

第237回東京道産酒の会

2013-10-20 23:05:22 | 日記
北海道に縁があり、北海道を愛する方々が、北海道産の日本酒と肴に舌鼓を打つ、『東京道産酒の会』が木曜日にありました。私は、お囃子役で参加させて頂いておりますが、今回は、いつもの広い個室ではなく、一般のスペースを区切っての使用でしたので、ポータトーンを運搬して馳せ参じました。


        乾杯は、寺本会員。

        

        こぢんまりとしたパーティながらも、元気な「ヤー!」でした。


        


        

    
        「向こう三軒、両隣、固い握手をどうぞ」と司会進行は、世話人・堀田さん。

        


        


        お料理

        

        先付け:菊花お浸し、柳葉魚(本物は美味しいですね)、絹かつぎ芋


        

        造り:鮭焼き霜造り、烏賊、芽物、山葵


        

        焼き物:鰆の森林焼き(感動!)、きの子、ポン酢


        

        揚げ物:茄子挟み揚げ(エビを挟んで)、鴨の竜田揚げ(鴨のは珍しい)


        

        石狩鍋:鮭、帆立、種々野菜(お鍋が嬉しい季節を実感)

        他に、きの子ご飯。


        
        お一人お一人のスピーチもアットホームな感じで。

        

        古屋会員が、岐阜県白川郷のどぶろくを持ってきて下さり、皆さん喜ばれました。

        


     
        功労賞の皆さん。(八の倍数回の参加者が表彰されます)

        


        バースデイ月の杯。

        

        今回は寺本さん、お一人でした。

        
        

        お楽しみの、”利き酒大会”

        


        


        お一人ずつ減って・・

        

        
        残られたのは、前回に引き続き、廣谷会員。

        
        
        
        おめでとうございました!

        


        「高度に発達した味覚と、稀に見る運の強さ・・」と表彰状にある通り・・。


        


        大変ハッピーな廣谷さんの”関東一本締め” で、お開きとなりました。


        


        運の強い方にあやかるように、皆さんもハッピーな気分になりました。



        年間予定表と日程がずれたために、参加者が少なめでしたが、会員の皆さんが

        とても協力的で、愉しい会となりました。
        
   
        







Bob は虹の彼方へ

2013-10-16 18:25:19 | 日記
ジェリーロール・モートン(「ジャズは俺が始めたんだ」と言い放った黎明期のジャズ・ピアニスト)の研究家として有名なボブ・グリーン(本名・Robert S. Greene )さんが、亡くなられたと、今朝連絡がありました。


        

        最後の来日だった2011年10月19日鳥居坂の国際文化会館


        全盛期のBob

        



私は2004年の11月28日に西荻窪のミントンハウスで行われたライヴで出会いました。メインゲストのBob Greene 登場の前に、私が梅雨祓いで弾いたショパンの《幻想即興曲》がBob の耳に留まり、

”What a lovely Chopin" と、握手を求められました。それがきっかけで横浜でランチをご一緒することに。


        

        十八番の《タイガー・ラグ》をミントンハウスで演奏するBob


Bob はお母様と、叔父様のBlum さんが横浜生まれということで、大変な親日家。
想い出のホテル・ニューグランドの2階ロビーで待ち合わせ、色々、音楽歴のことなどお話しました。
ランチを頂いてホテルを出る時に、ポロッとBob の口からフランス語が出たので「アメリカ人なのに、なぜフランス語を話すんですか?」というのがきっかけとなって、以来、二人では英語と仏語をちゃんぽんで話すようになりました。

その日は、横浜のヤマハでスタジオをお借りして、二人でそれぞれ得意技を披露しあいました。愉しいひと時でした。

それ以降、年に1~2回、来日される度に、横浜や麻布十番、銅鑼やミントンハウスをご一緒しました。


        

        新宿ジャズ・フェスティバルで。

初めてお会いした頃は、杖を持っていらして、ついたり、つかなかったり。その後は、杖が要らなかったり。ヒトって、下降線だけでなく、体力を取り戻したり、元気が復活したり、色々するんだ、という事を知りました。

「80歳までは、全然問題なかったのに、80過ぎてからだな、立ったり座ったりが面倒になったのは、クソッ!」
「キミの両親より僕は年上なのか・・。ショックだな。あと30歳若かったらプロポーズするのに」

ずっと一人暮らしで、その中でご自分の健康状態をキープする憲法のようなものを持っていらっしゃいました。
*ディナーは一日に一回
*午後はお昼寝タイムを作る
*高所恐怖症で長いエスカレーターに乗らないで済むルートを選ぶ。


「家を出てからずっと10日もピアノに触っていないよ」と、ピアノを弾かされる予感のライヴへ向かう乗り物内で両手の指を合わせて押し合い、指の中にエネルギーを貯めるポーズをして、備えていらっしゃいました。

たったそれだけで、ライヴでは生き生きと本物のジャズを聴かせて下さいました。


80代後半を過ぎても、日本ばかりでなく、パリやコペンハーゲンへ出掛けたり、カートレインでフロリダへ演奏に出掛けてたり、ロサンゼルスへ冬の寒さを凌ぎに遠征したり、悠々自適の人生の達人でした。

iPod-Touchが販売された時に、いち早く取り入れて嬉しそうだったなあ。
「ポケットにコンピュータがあるんだよ。これでいつでも繋がるよ」


9月1日に届いた最後のメールは、私がお教えした言葉でした。

"Oguenki-day, Ikumi."


        




        台風が吹き荒れた後に現れた、今朝の虹。

        


        虹のエスカレーターに乗って、行ってしまったのね・・。



        もう読まれることはない、最後のメールを送りました。

        Adieu, Bob.














水曜ランチタイム・コンサート&内田正泰・はり絵展《秋》

2013-10-09 18:24:03 | 日記
今日は『内田正泰・はり絵展』最終日ということもあって、小笠原伸子さんの《関内サロン》多くの来場者でした。


        

        小部屋コーナーで、作品集にサインとスペシャルプレゼント作業中の内田先生。


        

        思わずお茶目なポーズの伸子さんと、内田先生のご子息夫人。


        

        さて、今日は、内田先生の作品が《秋》らしいものが多めだったこともあり、演奏も《秋》に因んで

        ビバルディの四季から『秋』、私の”四季のぽぷり” から『秋』、それとモンティの『チャルダッシュ』


        

        

        

        


        演奏終了後は、内田先生の力強いご挨拶。

        「今日が人生最後の日でも良いように、一日一日一生懸命生きています!」


        


        作品に見入る方々。

        

        

        


        今年91歳におなりになって、まだまだ作品を生み出し続ける内田先生。

        お声も大きく迫力があるけれど、握手の力強さといったら凄いです。

        生命力があふれ、益々輝きを増すオーラに圧倒されました。






三善 晃 先生の想い出

2013-10-08 17:31:25 | 日記
三善 晃 先生がお亡くなりになった。


        

        ショックを受けた。



桐朋女子高等学校音楽科に入学して、必修科目であった《和声法》が、たまたま三善先生のクラスに振り分けられた。

三善先生にとっても、初めての高校生の授業で、高校生とはどんなレベルなのか、どんな人種なのか、全くお分かりになっておらず、90分の授業時間、私たちの反応には一切お構いなしで、お一人で講義をなさっていた。そして教科書は40ページ進み、宿題(バス課題や、ソプラノ課題)が、2ダースずつ出て、《和声法》の授業の前日は、ピアノの練習より、もっぱら五線紙に向かっていた。必死の思いで2ダース、なんとかこなして行くと、先生の手にかかると、5分もかからずに「はい、平行8度。ここは並達5度。ここの部分は綺麗ね」と、あっという間に片付いてしまう。そして、また次の章へ。

高校一年から大学一年までの四年間、何とか先生に食らいついてコンセールバトワールの課題、先生ご自身が留学中に「これが嫌いでね。すでにガロア・モンブランで、もっと進んだ課題をやっていたので、まともにやりたくなくてね」などとおっしゃりながら、シャランなどの課題もやらされた。

人間離れした宇宙人のように見えていた三善先生も、次第に人間らしく感じられるようになった。「僕も少し人間らしくなって、以前は8時に寝て2時に起きていたのだけれど、もう少し遅くまで起きている日がある」とおっしゃたのは、私たちが3年生の頃。先生は、急に学長におなりになることになった。それまで助教授だったのが、急いで教授に格上げになった。

ある日、私たちは桐朋学園名物『おさんぽ』を、初めて三善先生に試みた。授業をあまり進めたくない時、お天気の良い時、先生を『おさんぽ』に誘うのは桐朋学園の伝統だった。初めての私たちの申し出に、意外にも三善先生は「高校生を担当するようになったら、きっと『おさんぽ』って言われる、と聞かされていたけど、とうとうその日が来たかー。」と満更でもなさそうな笑顔だった。私たちはバレーボールを持って、第一生命のグラウンドへ行った。途中、三善先生は八百屋さんで蜜柑を買って下さった。

三善先生は、第一関節の先がヤモリの吸盤のように丸い、ハンマーのような指をしていらした。「天才は、指の形も変わっているのか・・」と思ったりしたものだが、そのお手で、先生とバレーボールをした。とっても楽しかった。低いボールをグーで受ける事をなさらず、ずっと指を開いてすくうように受けていらっしゃるので、突き指をおさせしないか、周りの私たちのほうがハラハラした。でも、皆でワーワー歓声を上げながら、とっても楽しいひと時を過ごした。土手でミカンをごちそうになりながら「パリから戻って、まだ体育の単位がとれてなくて、東大を卒業するのに、グラウンドを10周したら単位をくれるって言われて、米軍からの払い下げの軍靴でドタドタ走って、やっと卒業した。」なんて楽しいお話を伺っていたら、守衛さんが近づいて来た。「何してるんですか?」

私たちは、学長になられる三善先生を「守らなければいけない」ととっさに思って、「勝手に入ってはいけないのを知らずに入ってしまいました。ごめんなさい。」と謝って勘弁してもらった。三善先生も「申し訳ありません」と頭を下げられたけど、大学生と区別がつかないような雰囲気でいらしたので、バレないで済み、問題にもならなかった。ただ、私たちの良い思い出となった。

三善先生の文章はボキャブラリーが高レベルで、常にそのシチュエーションに一番合致した言葉をお選びになるので、とにかく難しかった。高校生当時は三回は読まないと、意味が掴めなかった。大学生になると一回でも意味が理解できるようになった。「それが大学生というものか・・」と思った事を覚えている。


私は、実技の先生・山岡優子先生が、パリ留学中、三善先生、矢代秋雄先生と大変親しい間柄でいらした、謂わば「同じ釜の飯」の修業時代のお友達だったので、ピアノ科の学生としては、三善先生と近距離にいる恩恵に与った。高校一年からの仲良しだったキーちゃんと、二台ピアノのユニットになり、三善先生に師事した。ドビュッシーの『白と黒で』をはじめ、ずいぶんレッスンして頂いた。大学四年の卒業試験では、『三善ソナタ』を弾くのは当然のように思った。お陰さまで、作曲者ご本人にレッスンをして頂けて、大変貴重なモノをいっぱい頂けたと思う。卒業時の勢いのまま、私はクラシック音楽に邁進したように思う。

卒業後も、個人レッスンをお願いしたり、先生に名付けて頂いた二台ピアノの定期コンサート・グループ『ポーロニア』を続けていたので、六年くらいは、お世話になっていた。先生のお側で、同じ空気を吸うだけで得難いモノを得られるような、有難味を感じる、世界一尊敬する先生だった。その後、私が出版したり、作品を世に出すような時に、特に先生に視て頂いたりという事は無かったが、でももし先生のお目に留まったりした時に、「先生に恥ずかしくないモノを・・」というのが、常に私の基準だ。

これからも、その基準をクリアできるように、ネジを巻き直すことにします。

三善先生、ありがとうございます。ご冥福をお祈り申し上げます。









『中山育美フレンズ』at 銅鑼

2013-10-01 08:53:35 | 日記
9月29日は、新宿三丁目のトラッド・ジャズの殿堂《銅鑼》でライヴ出演でした。


        この日は3バンド。

        

        (Vo)嶋田百々子(日ノ下慶二トリオ)


        

        腰痛手術から奇跡の生還を果たした大将のファンキー・バンド


        

        

        
  
        ブルースマンの宮堂さんがエレキで参加していました。


        さて、ワタシ達

        

        中山育美フレンズ


        

        しあわせ◎トリ(?)の菅野淳史さん。


        

        ベースは福岡太一さん。お友達のギタリストが途中から参加して下さいました。



        私にとってのサプライズ!

        

        巨匠・清水さんが「貴女に会いに来たのよ」ってホントですか~?

        他に、写真はありませんが、仙台からわざわざいらして下さったお客様もあり・・

        サッチモ祭りで、レギュラーの銅鑼ファンのお顔は少なかったのですが、私的には大ハッピーでした。


        ジャズももっとガンバローっと!