きょうから出勤しています。
お医者様からはマスクを今週いっぱいすることを条件に、
仕事復帰の許可をいただき、本日より仕事に戻りました。
「咳」だけゲホゲホと残りますが、熱はすっかり36度台
前半に落ち着いてます。大変ご心配とご迷惑をおかけしました。
それでもみなさんやさしくご心配してくださり、やさしい
言葉をかけてくださって、ありがとございました。
感謝です。
---
育英センターに来たら、噂の通りに「スーパーツチダ」が
無くなっていました。もう3日目ですが。
いや、正確に言えば建物はあるんだけど、破産したので
もう営業をしていません。潰れちゃった。もう3日目ですが。
子ども達にとっては、おやつの買い出しに行ったり、
お食事作りの材料の買い出しに行ったり、育英センターの
おつかいをしに行く、ちょっとしたお手伝いと修行の場で
あったのです。
また職員にとっては、土曜日のおやつ作りの材料や昼食を
買いに行ったり、センター内で使う日常の消耗品の買い物を
ほぼ全部ツチダでしていたので、いろいろなものの強力な
供給元として利用していたのでとても残念です。
セロテープがないとか、コーヒーがないとか、砂糖がないとか、
トイレの紙がないとか、きょうはおやつにホットケーキ作るから
材料買ってこようとか言っては、ひょいと買いに行けたのに。
段ボールを使って何か作ろうかという時にもいつも「ください」と
言っていただいていたのに。
近いからいつでもちょっと足りないものを買ってきてもらったり、
子ども達にも「ひとっ走り行ってきて!」と安心して言える距離
だったのに。
子ども達のお手伝いとツチダでの買い物は、渾然一体となって、
非常に強く結びついていただけに残念です。
それからツチダと言えば忘れられないのは、電話のこと。
かつて東京演奏旅行に行っていたころには、旅行の前に
「迷子の電話」をかける練習をした場所でもあったのです。
店内の公衆電話を使わせてもらって、10円玉を握りしめた
子どもの集団が代わる代わる行っては
「○班の○○です。今ツチダにいます。迷子になりました。
迎えに来てください。」
などと、電話口で言うのです。
ずいぶん奇異な集団と思われたかも知れないが、子ども達が
東京演奏旅行に行って1人はぐれて迷子になった時にも
落ち着いて行動できるようにツチダで電話の訓練を行ったのは
代々の伝統だったのです。
つまり、子ども達にとっては、学校でもない、家でもない、
育英センターでもない、
「最も身近な生(ナマ)の大人の会社&社会」だったと思うのです。
---
と、感傷に浸っているわけにもいかないですよね。
自由競争社会だし、それが資本主義社会なのです。
わかっちゃいるけど、残念なことです
---
閉まったお店の前には、だだっ広い駐車場だけが
どどんと拡がっていて、子ども達には丁度いい
遊び場になっているようです。
育英センターの子ども達は遊んでいませんが、よその
子ども達が夕方遊んでいる姿がありました。
大だるまさんが転んだ大会とかやると、すごく
楽しそうなんだけどなぁ。
あぁ、このまんま遊び場になってくれないかなぁと
ちょっと思ってみるけど、ダメですよね。
そりゃそうだ。
またすてきなスーパーがお店を出店してくれることを
祈ってます。早くオープンしないかな!
---
一番上の写真は、昨年2005年10月18日撮影。
夕日に映えるツチダ。
ツチダの灯りは、夕暮れの北山の街を明るく照らしていた。
地震の後も、1年以上変わらず元気に営業をしていた。
---
Step by step, IKUEI!!!
by 川上
お医者様からはマスクを今週いっぱいすることを条件に、
仕事復帰の許可をいただき、本日より仕事に戻りました。
「咳」だけゲホゲホと残りますが、熱はすっかり36度台
前半に落ち着いてます。大変ご心配とご迷惑をおかけしました。
それでもみなさんやさしくご心配してくださり、やさしい
言葉をかけてくださって、ありがとございました。
感謝です。
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育英センターに来たら、噂の通りに「スーパーツチダ」が
無くなっていました。もう3日目ですが。
いや、正確に言えば建物はあるんだけど、破産したので
もう営業をしていません。潰れちゃった。もう3日目ですが。
子ども達にとっては、おやつの買い出しに行ったり、
お食事作りの材料の買い出しに行ったり、育英センターの
おつかいをしに行く、ちょっとしたお手伝いと修行の場で
あったのです。
また職員にとっては、土曜日のおやつ作りの材料や昼食を
買いに行ったり、センター内で使う日常の消耗品の買い物を
ほぼ全部ツチダでしていたので、いろいろなものの強力な
供給元として利用していたのでとても残念です。
セロテープがないとか、コーヒーがないとか、砂糖がないとか、
トイレの紙がないとか、きょうはおやつにホットケーキ作るから
材料買ってこようとか言っては、ひょいと買いに行けたのに。
段ボールを使って何か作ろうかという時にもいつも「ください」と
言っていただいていたのに。
近いからいつでもちょっと足りないものを買ってきてもらったり、
子ども達にも「ひとっ走り行ってきて!」と安心して言える距離
だったのに。
子ども達のお手伝いとツチダでの買い物は、渾然一体となって、
非常に強く結びついていただけに残念です。
それからツチダと言えば忘れられないのは、電話のこと。
かつて東京演奏旅行に行っていたころには、旅行の前に
「迷子の電話」をかける練習をした場所でもあったのです。
店内の公衆電話を使わせてもらって、10円玉を握りしめた
子どもの集団が代わる代わる行っては
「○班の○○です。今ツチダにいます。迷子になりました。
迎えに来てください。」
などと、電話口で言うのです。
ずいぶん奇異な集団と思われたかも知れないが、子ども達が
東京演奏旅行に行って1人はぐれて迷子になった時にも
落ち着いて行動できるようにツチダで電話の訓練を行ったのは
代々の伝統だったのです。
つまり、子ども達にとっては、学校でもない、家でもない、
育英センターでもない、
「最も身近な生(ナマ)の大人の会社&社会」だったと思うのです。
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と、感傷に浸っているわけにもいかないですよね。
自由競争社会だし、それが資本主義社会なのです。
わかっちゃいるけど、残念なことです
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閉まったお店の前には、だだっ広い駐車場だけが
どどんと拡がっていて、子ども達には丁度いい
遊び場になっているようです。
育英センターの子ども達は遊んでいませんが、よその
子ども達が夕方遊んでいる姿がありました。
大だるまさんが転んだ大会とかやると、すごく
楽しそうなんだけどなぁ。
あぁ、このまんま遊び場になってくれないかなぁと
ちょっと思ってみるけど、ダメですよね。
そりゃそうだ。
またすてきなスーパーがお店を出店してくれることを
祈ってます。早くオープンしないかな!
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一番上の写真は、昨年2005年10月18日撮影。
夕日に映えるツチダ。
ツチダの灯りは、夕暮れの北山の街を明るく照らしていた。
地震の後も、1年以上変わらず元気に営業をしていた。
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Step by step, IKUEI!!!
by 川上