NHKテレビを見ていた。
にんげんドキュメント
「天突く龍を作れ
~長野 須坂高校文化祭~」
須坂高校の学園祭「りんどう祭」では、
40年間も続く伝統となっている張り子の
巨大な龍を生徒達が作るという。
その完成までの様子を、カメラが静かに
淡々と追い続けるという秀逸なドキュメント。
---
受験校でもあるそうだが、大学受験を控えた
3年生までもが、毎日早朝から、放課後の部活動の
時間を終えるまで、空き時間を作っては、
グランドに張ったテントの下で、
張り子の巨大な龍の製作に励む。
仲間との気持ちのすれ違い。
勉強との両立での悩み。
作業の遅れに対する焦りといら立ち。
高校生なら必ず抱くであろう心理的な葛藤や
やるせなさ、焦燥感、ぶつかり合いなどを
カメラは淡々と映し出す。
しかし、同時に驚かされたのは、
時になりふり構わず泥だらけになり、
時に絵の具まみれになり、糊だらけになり、
汗だくになりながらも、友人との軋轢もありながらも、
それらを乗り越えて笑顔を見せ、また
熱い涙を流し、ひたすらに龍を作り続ける高校生の姿だ。
高校生って、こんなにも熱くて、一途で
ひたむきになれるものなんだろうか。
熱い。熱すぎるのだ。
それは、もうなんというか羨ましいくらいだ。
自分の高校生時代もそうだったかもしれないが、
そうじゃなかったかもしれない。
---
文化祭の準備で、クラスの友達が我が家に7~8人も
集まって、結局朝まで時間をかけてワイワイと
準備なのか、ダベっていたのか、眠っていたのか
わからないが、そういうことは確かにあった。
また、毎日部活動の弓道部に行って
シビアに、真剣に弓道と後輩指導、そして
自分自身と向き合う時間があった。
そして、勉強もそこそこはしただろう。
でも、こんなに熱い時間を過ごしただろうか。
---
番組のクライマックス。
アタマ、胴体、脚などに分かれてパーツを作った
ものを、文化祭当日にグランドに生徒が総出で
組み立て上げるのだ。
それぞれのパーツを立てていくことを生徒達は
「建立(こんりゅう)」と呼んでいるのだが、
この「建立」は生徒達のたくさんの思いと青春が
詰まった龍が命を吹き込まれる瞬間であった。
材木」や「丸太」で骨組みができているのだ。
おそらく相当な重さだろう。その龍を数百人の
生徒が集まって持ち上げるのだ。
過去には鎹(かすがい)などが足りなくて、
建立の際に壊れたこともあるという。
生徒達みんなが真顔で慎重に作業をする。
各パートの「パート長」と呼ばれる責任者が
メガホンで「建立!」と叫ぶと、一斉に生徒達が
動き出す。
作業に当たるのは男子達。女子はというと
「りんどう祭賛歌」なる歌を歌いながら踊り、
作業を見守るのだ。
そうして、ついにグランドに堂々とした龍が
姿を表す。
こうして学園祭はスタートでありながら一種の
クライマックスを迎えるのだ。
---
最後。本当の学園祭の最後は、この龍を倒し、
解体して燃やすのだ。
一枚一枚龍の張り子となるべく新聞紙を切り
のり付けして張っていって、それを幾重にも重ねて
いって作り上げたものだ。
もはやその龍は、彼らにとっては単なる
張りぼてではなくなっていたのではないだろうか。
彼らの作り上げた龍は、貼り重ねられた一枚一枚の
新聞紙に込められた高校生達の祈りや重いを背負って、
もはや「生きた龍」となって存在していた、
眼前に生きていたのではないだろうか。
しかし、無情にもそれを壊すのだ。
龍を解体する高校生達が、ことごとく号泣している。
男の子も女の子も声を上げて泣いている。
赤いうろこや新聞紙を剥がす手を、体を震わせて
泣きながら解体している。
否、解体さえできないくらいに嗚咽している者もいる。
そして、張り子の新聞紙が剥がされて解体されて
骨組みだけになった龍は、積み上げられ、弓道部の
人と思しき生徒達の放った「火矢」で点火され、燃やされる。
赤々と燃える龍の炎。泣く高校生。
見ている自分も涙こそ出ないが、なんとも言えず熱いものが
体の中にこみ上げる。忘れていた高校生の頃の気持ち。
なんとも表現できないが、熱くギラギラしていた頃の気持ち。
画面には、最後には清々しく笑う高校生達の姿。
あぁ、これが青春なんだなと思った。
---
形あるものはいつか壊れるし、どんなに時間をかけて
作ったものでもいつか壊す運命にあるだろう。
また、いつまでも続くかに見える時間も、必ず終わりが来る。
それが、運命であり、ある意味人生の真理なのかもしれない。
でも、だからといって何もしないのではない。
終わるとわかっていながらも、必ず壊すとわかっていながらも、
がむしゃらになって突っ走るのが高校生であり、若さなのだ。
そして、仲間同士でぶつかり合いながらも、
お互いの妥協点を探りながら、自分を見つめ直しながら、
より良い自分を目指していく高校生の姿も羨ましい。
彼ら須坂高校の高校生達は、濃密な龍作りの時間を通して、
どんなにお金を積んでも買えない、どんなに机に向かっても
身に付けることのできない、本当に生きていく上で
大切なことを学んでいるのではないだろうか。
そして、その高校生の持つ熱いエネルギーを忘れずに、
育英センターにいる小学生のみんなとも、熱い濃密な
時間を過ごしつつも、学校や家では学びえない、
仲間同士だからこそ学べることを身に付けていける
場にしていきたいと思うのだった。
といって、作品展に龍は作らないけど。
作れません。本当に。
---
Change!! IKUEI!!
by 川上
にんげんドキュメント
「天突く龍を作れ
~長野 須坂高校文化祭~」
須坂高校の学園祭「りんどう祭」では、
40年間も続く伝統となっている張り子の
巨大な龍を生徒達が作るという。
その完成までの様子を、カメラが静かに
淡々と追い続けるという秀逸なドキュメント。
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受験校でもあるそうだが、大学受験を控えた
3年生までもが、毎日早朝から、放課後の部活動の
時間を終えるまで、空き時間を作っては、
グランドに張ったテントの下で、
張り子の巨大な龍の製作に励む。
仲間との気持ちのすれ違い。
勉強との両立での悩み。
作業の遅れに対する焦りといら立ち。
高校生なら必ず抱くであろう心理的な葛藤や
やるせなさ、焦燥感、ぶつかり合いなどを
カメラは淡々と映し出す。
しかし、同時に驚かされたのは、
時になりふり構わず泥だらけになり、
時に絵の具まみれになり、糊だらけになり、
汗だくになりながらも、友人との軋轢もありながらも、
それらを乗り越えて笑顔を見せ、また
熱い涙を流し、ひたすらに龍を作り続ける高校生の姿だ。
高校生って、こんなにも熱くて、一途で
ひたむきになれるものなんだろうか。
熱い。熱すぎるのだ。
それは、もうなんというか羨ましいくらいだ。
自分の高校生時代もそうだったかもしれないが、
そうじゃなかったかもしれない。
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文化祭の準備で、クラスの友達が我が家に7~8人も
集まって、結局朝まで時間をかけてワイワイと
準備なのか、ダベっていたのか、眠っていたのか
わからないが、そういうことは確かにあった。
また、毎日部活動の弓道部に行って
シビアに、真剣に弓道と後輩指導、そして
自分自身と向き合う時間があった。
そして、勉強もそこそこはしただろう。
でも、こんなに熱い時間を過ごしただろうか。
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番組のクライマックス。
アタマ、胴体、脚などに分かれてパーツを作った
ものを、文化祭当日にグランドに生徒が総出で
組み立て上げるのだ。
それぞれのパーツを立てていくことを生徒達は
「建立(こんりゅう)」と呼んでいるのだが、
この「建立」は生徒達のたくさんの思いと青春が
詰まった龍が命を吹き込まれる瞬間であった。
材木」や「丸太」で骨組みができているのだ。
おそらく相当な重さだろう。その龍を数百人の
生徒が集まって持ち上げるのだ。
過去には鎹(かすがい)などが足りなくて、
建立の際に壊れたこともあるという。
生徒達みんなが真顔で慎重に作業をする。
各パートの「パート長」と呼ばれる責任者が
メガホンで「建立!」と叫ぶと、一斉に生徒達が
動き出す。
作業に当たるのは男子達。女子はというと
「りんどう祭賛歌」なる歌を歌いながら踊り、
作業を見守るのだ。
そうして、ついにグランドに堂々とした龍が
姿を表す。
こうして学園祭はスタートでありながら一種の
クライマックスを迎えるのだ。
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最後。本当の学園祭の最後は、この龍を倒し、
解体して燃やすのだ。
一枚一枚龍の張り子となるべく新聞紙を切り
のり付けして張っていって、それを幾重にも重ねて
いって作り上げたものだ。
もはやその龍は、彼らにとっては単なる
張りぼてではなくなっていたのではないだろうか。
彼らの作り上げた龍は、貼り重ねられた一枚一枚の
新聞紙に込められた高校生達の祈りや重いを背負って、
もはや「生きた龍」となって存在していた、
眼前に生きていたのではないだろうか。
しかし、無情にもそれを壊すのだ。
龍を解体する高校生達が、ことごとく号泣している。
男の子も女の子も声を上げて泣いている。
赤いうろこや新聞紙を剥がす手を、体を震わせて
泣きながら解体している。
否、解体さえできないくらいに嗚咽している者もいる。
そして、張り子の新聞紙が剥がされて解体されて
骨組みだけになった龍は、積み上げられ、弓道部の
人と思しき生徒達の放った「火矢」で点火され、燃やされる。
赤々と燃える龍の炎。泣く高校生。
見ている自分も涙こそ出ないが、なんとも言えず熱いものが
体の中にこみ上げる。忘れていた高校生の頃の気持ち。
なんとも表現できないが、熱くギラギラしていた頃の気持ち。
画面には、最後には清々しく笑う高校生達の姿。
あぁ、これが青春なんだなと思った。
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形あるものはいつか壊れるし、どんなに時間をかけて
作ったものでもいつか壊す運命にあるだろう。
また、いつまでも続くかに見える時間も、必ず終わりが来る。
それが、運命であり、ある意味人生の真理なのかもしれない。
でも、だからといって何もしないのではない。
終わるとわかっていながらも、必ず壊すとわかっていながらも、
がむしゃらになって突っ走るのが高校生であり、若さなのだ。
そして、仲間同士でぶつかり合いながらも、
お互いの妥協点を探りながら、自分を見つめ直しながら、
より良い自分を目指していく高校生の姿も羨ましい。
彼ら須坂高校の高校生達は、濃密な龍作りの時間を通して、
どんなにお金を積んでも買えない、どんなに机に向かっても
身に付けることのできない、本当に生きていく上で
大切なことを学んでいるのではないだろうか。
そして、その高校生の持つ熱いエネルギーを忘れずに、
育英センターにいる小学生のみんなとも、熱い濃密な
時間を過ごしつつも、学校や家では学びえない、
仲間同士だからこそ学べることを身に付けていける
場にしていきたいと思うのだった。
といって、作品展に龍は作らないけど。
作れません。本当に。
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Change!! IKUEI!!
by 川上