因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

加藤健一事務所『詩人の恋』

2006-09-06 | 舞台
加藤健一事務所 vol.64 ジョン・マランス作 小田島恒志訳 岩谷時子訳詞 久世龍之介演出 下北沢 本多劇場
 3年前初演され、多くの演劇賞を受賞した作品が再演された。1986年のウィーンが舞台。年老いた声楽教師マシュカン教授(加藤健一)のもとに、アメリカ人ピアニストのスティーブン(畠中洋)がやってくる。彼はかつて神童ともてはやされたがスランプに陥り、伴奏者への転向を考えていた。ところが頼りにしていた高名な教授が、まずマシュカンから声楽のレッスンを受けるようにと指示してきたのである。やる気のないスティーブンと、ピアノの下手なマシュカンの奇妙なレッスンが始まった。課題はシューマンの連作歌曲『詩人の恋』。

 教えるものと教わるものの関係をお芝居にしたものは珍しくない。『リタの教育』、『マスタークラス』しかり。はじめは反発しあっていた両者が次第に歩み寄って打ち解けあい、教師と生徒という立場を越えて理解しあえるようになる。教えるものと教わるものが、互いに影響を与えつつ変化し、成長していく姿が魅力的なのは、そこに相手に対する畏敬や音楽や文学等、教わる対象への真摯な姿勢、濃厚に交わる人間関係の温かさが感じられるからであろう。

 本作もまぎれもなくそのひとつなのだが、戦争が色濃く影を落としていることが舞台に深みを与えている。劇の後半、マシュカンとスティーブンが実は二人ともユダヤ人で、しかもマシュカンは強制収容所の生き残りであったことが示される。ダッハウの収容所を訪ねたスティーブンはナチスへの怒りに満ちて、「あのときの話をしてほしい」とマシュカンにしつこく懇願するが、彼は受け流す。それが『詩人の恋』の第一曲「すばらしい五月に」が歌われる中、マシュカンは収容所に連行されたときのことを話し始める。劇のはじめでもこの歌が流れ、そのときは単純に「きれいなメロディだな」としか思わなかった。それが癒されることのない傷の痛みとともに歌われるとき、同じ歌なのにこれほど悲しい響きが感じられるとは。

 第二次大戦でユダヤ人が受けた迫害については、書籍や映像からいろいろなことを知っているつもりでいた。しかし今回のマシュカン告白の場面は、他では表現できない悲痛さに溢れていた。マシュカンが語るのはほんの少しなのである。語る言葉は「すばらしい五月に」の歌にかき消され、観客はそれでも語り続けるマシュカンの苦しみに満ちた表情と、それを聞くスティーブンのうちひしがれた様子を見る。どんなことがあった、こんな体験をしたという内容ではなく、その人がいかに苦しんでいるかが、みるものの心を揺さぶるのである。

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1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
因幡屋さん、こんにちは。TBありがとうございます。 (Anne)
2006-09-07 08:21:10
因幡屋さん、こんにちは。TBありがとうございます。
こちらからも送らせていただきますね。

この舞台は本当に素敵な作品ですね。初めて見たときは、
幕が下りた後に立ち上がることができませんでした。
因幡屋さんがおっしゃる通り、最後に同じ歌が「ドイツ語」で
歌われたときに、しみじみと涙が込み上げてきました。
わたしは舞台は加藤さんの事務所のもの一筋なのですが、
因幡屋さんはいろいろ見ていらっしゃるようですね。
またいろいろ、お話を聞かせてください。
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