因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

モナカ興業第8回公演『木をめぐる抽象』

2010-06-03 | 舞台

*フジノサツコ作 森新太郎演出 公式サイトはこちら こまばアゴラ劇場 8日まで (1,2,3)
 相変わらず意味のわからないタイトルだが、今回はチラシのデザインや色調がとても素敵で(グラフィックデザイン/やまねまい)、絵はがきサイズにして飾りたくなった。舞台上手奥に椅子が数脚並んでおり、天井から床にモザイクのようにさまざまな色の光が当てられているだけの抽象的な舞台美術である。木をめぐる抽象。抽象はともかく、「木をめぐる」とは何だろうか?
 当日リーフレットには、本作の「関係図らしきもの」とあって、登場人物の相関関係が図式が描かれている。ある会社の新卒者採用説明会が企画されており、そのセッティングや人員配置、当日進行のあれこれを請け負う会社があって、その2つの職場の社員たちが登場する。それぞれの職場の社員どうし、部下と上司、社員の私生活などが点描されながら進行する。

 さらにマジックで手書きされたらしき配役表のコピーも配られており、珍しいというかアナログというか。人物の名前と俳優名が順不同(だと思う)に記され、最後に「その他全部 酒井和哉」とある。「その他全部」の意味は、舞台をみているとわかってくる。そういうことだったのか・・・。

 ハラスメントとは言わないまでも、女性の部下を陰険に追い詰める嫌みな上司が、次の場では女性上司から手ひどく鍛えられ、土壇場で面接官のメインからサブに降格される部下になり、またあるときは妻の仕事の愚痴に付きあわされる夫になり、別居中の妻に金の無心をする亭主といった具合に、説明会イベントに関わる女性5名にそれぞれ個人的に関わる男たちを、酒井和哉がひとりで演じ継ぐのである。まさに「その他全部」。おもしろいのは、どの役も同じ衣装で声も話し方も変わらず、異なる人物を演じ分けるという作為が感じられない点だ。気分屋で意地悪、気弱なくせにすぐキレる、甲斐性なし、不実などなど「ダメンズ」ばかりであるが、女性たちもまた嫌な面をしっかり持っており、幸せとはいいがたい。

「木」とは、彼女たちにとっての「男」を指すのだろうか。不倫関係の男性の子どもを身ごもった女が、「自分はあの人にとって枝葉にすぎない」と(台詞は記憶によるもの)つぶやく場面に、わずかながら題名が意味するところが感じられるだけであった。

 男と女たちの中間に位置する人物として、ミッキーという名で赤いジャージの上下を着た男性(しかし口紅をつけている)が登場する。不倫相手の子どもをみごもった女の姉のような存在らしいが、その実態は最後までわからない。

 1時間25分のあいだ、随所に笑える場面があったにも関わらず客席は息をつめたように静かであった。生死があやういほどの不幸ではないのだ。しかし八方ふさがりで踏みとどまることも踏み出すことも容易にできない女たちの姿は胸に迫るものがあり、笑ったり楽しんだりすることができなかった。この気持ちをことばにすることはむずかしく、今夜も複雑な気持ちを抱えたまま、夜の通りを歩き、駅に向かった。劇作家フジノサツコは、みるたびに謎が深まる人である。どんな人なのか、これまでどのような人生を歩んできたのか、何が好きなのか、劇作にどんな傾向があるのか、まったく予測ができない。迷うこともまた楽しく、少し途切れていたモナカ通いが再開されたことに満足している。

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