因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

こまつ座&ホリプロ公演 『日の浦姫物語』

2012-11-15 | 舞台

*井上ひさし作 蜷川幸雄演出 公式サイトはこちら シアターコクーン 12月2日まで (1,2,3,4,5,6,7,8,9,10,11,12
 井上ひさし生誕77フェスティバル2012の第7弾。1978年に女優杉村春子と文学座にあてて書きおろされた戯曲が30年以上の歳月を経て蜷川幸雄の演出、大竹しのぶ、藤原竜也の共演で蘇った。カトリックの修道会が経営する孤児院で聞かされたグレゴリウス一世の驚愕の人生に発想を得て、江戸後期の『今昔説話抄』はじめ、古事記や今昔物語、宝物集などに記されたさまざまな物語に、「日本と言う国が持つ近親相姦的な根本思想を読み取った劇作家が、「己の心の底にあった、というよりここ数年間で心の底に発見した近親相姦的感情のもろもろを懺悔したくて、この芝居を書いた」(1978年7月文学座公演プログラムより)とのこと。

 

 抜群の安定感で舞台を牽引したのは、説教聖を演じた木場勝己である。聞きとりにくいところや耳ざわりなところがまったくなく、すべての台詞がはっきりと届く。舞台用の発声であるから決して小さな声ではない。しかし「大声を聴かされている」感覚ではなく、聞くものの耳を自然に開かせ、「この人につかまって泳げば、岸にたどり着ける」と確信させてくれるのだ。
 物語の内容はどろどろした近親相姦にからめとられた日の浦姫と稲若の宿命が延々と続く。それらすべてが許され、浄化されたかと思いきや、想像を越えた陰惨で痛々しい様相をみせて幕となる。木場の説教聖はしぼり出すように自分たちの境遇を告白し、客席をぞっとさせて一転、下卑た口調で客に媚を売り、銭をねだる。いったいこの男の話はどこまでほんとうなのか。劇作家はなぜここまで後味の悪い終幕にしたのか。

 残念だったのは告白し懺悔する説教聖とその女房(だが実は・・・。立石涼子もすばらしかった)に人々が罵声を浴びせ、石を投げつける場面だ。物語の人物が現代の服装をして登場するのである。近親相姦の罪を犯した者を容赦なく責め立てるのは現代も同じ、客席のあなたがたも同じだ・・・という演出意図なのだろうか。劇世界の吸引力があっという間に弱まり、かんたんに言うと激しくしらけた。同じ救いのない終幕であるならそれを貫いた『薮原検校』のほうがよほど潔く、清々しい。

 戯曲と演出の力関係は、作品によって人によって変わるものであると思う。がっぷり四つの組み合い、相手を立てるとみせてまんまと自分がいいところを取るもの、そのつもりだったのかもしれないが、結果的に負けいくさになること・・・。俳優の存在に魅了されることの多い蜷川演出の舞台だが、戯曲と演出の相関関係は冷静に見極めたい。

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