*椎名泉水作・演出 公式サイトはこちら 神奈川県青少年センター多目的プラザ 21日で終了
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2007年初夏に初演された『7』(6,6`)は、捕獲した野良犬や、飼えなくなったと持ち込まれた犬を、新しい飼い主に巡り会えるまで保護し、自治体の規定である7日目が来たら殺処分を行う施設で働く男たちの日常を描いた作品である。同劇団の代表作であり、自分にとっても特別な思い入れがある。その作品がマグカル劇場「青少年のための芝居塾公演」(公式サイト「マグカル」)として上演されることになった。これは「青少年のための芝居塾公演」(神奈川演劇連盟・神奈川県立青少年センター)が主催するもので、今年の「担当劇団」として神奈川県演劇連盟のスタジオソルトが選ばれた。プロの劇団、演出家や俳優とともに、演劇経験の浅い、あるいはまったく演劇経験のない若い受講生が4カ月に渡って稽古を行い、衣裳や大道具作りはじめ、演劇公演に至るプロセスをともに味わうというもの。出演者は総勢26名+生きた亀1匹である。
受け手にとっても、単に『7』が再演されるのではなく、大勢の若い人たちが加わった舞台を想像するのはむずかしいことであった。『7』は上記施設の休憩室が舞台になっており、そこでの日常がきっちりと描かれたリアリズムの芝居である。犬は出てこない。もしかして人間が犬になるのかな・・・と想像したとき、楽しみというよりも、何か情緒過多にベタついたものになるのではと懸念した。
結果的に懸念はすべて杞憂であり、9年前の初演された舞台の核を失うことなく、懐かしさとともに、新鮮な発見や驚きのある舞台に出会うことができた。芝居塾の塾生たちが犬役を演じるのは予想通りであったが、それだけではなく、若手の職員や飼い犬を持ち込んだり、見学に訪れる側にも配役されており、新しく加わった役柄も実に自然で、劇世界に膨らみを生んでいる。
痛感したのは、本作はまだまだ大いに変容する可能性を秘めているということである。たとえば今回は主に収容された犬に芝居塾の俳優が配された。ここに40代、50代あるいはもっと高齢の方々に加わっていただくこともできるのではないか。冒頭では新参で泣いてばかりいたモモが、日毎に強くなり、ボスになっていく過程をもっと描くこともできる。ただし、それもたった7日間だけなのだから、モモの悲哀はいっそう際立つわけで、むずかしい点ではある。見学者は犬を「可愛い」と言い、7日目が来た犬に対しても「がんばれ!」と明るく励ます。しかし殺されることがわかっている7日目の犬は「いやだ、助けて!」と泣き叫ぶ。絶望的なコミュニケーションの不成立があるわけで、このあたりもまだ書きこむ余地があると思われる。
餌を入れる容器や椅子、モップなどでリズムを刻みながら『7』の劇世界を構築した点がおもしろい。音楽・演奏指導は栗木健。
今回の公演には「ペットのいのちも輝く神奈川県」のミニパンフが折り込まれている。平成27年度、神奈川県動物保護センターに収容された犬と猫の殺処分は、昨年度に続いてゼロになったとのこと(神奈川県HP)。つまり舞台で描かれる状況はもう現実には行われていないということなのだ。動物たちの殺処分ゼロを達成した神奈川県は、人間と動物が良きパートナーとして生涯を幸せに暮らすことを目指して新しい動物保護センターの設立を呼びかけている。
物語後半、職員のひとりが可愛がっている亀がいなくなる。それがみつかったらしいところで幕を閉じ、初演では柔らかな音楽でカーテンコールになったと記憶する。それが今回は大勢に出演者がステージ前面に降り、音を鳴らす俳優、それに合わせて大きく手を振り、足踏みをする俳優が無言で客席を見据えるものであった。「僕らの7日目は、毎日やってくる」この劇のサブタイトルに込められた意味が、にわかに重々しく迫ってくる。飼い主に巡り合えず、殺処分される犬は毎日いる。その作業を行う職員にとっても逃げようのない現実だ。「僕ら」は人間でもあり、犬でもあるのだ。その事実を冷厳に突きつけるかのように。
今回はひとつの作品、ひとつの劇団に対する観客としてのあり方を振りかえる機会となった。『7』を愛する気持ち、スタジオソルトを応援する気持ちは変わらない。しかしそれは頑ななものではなく、変化を楽しみ、ともに喜ぶものでありたい。劇団のブログには、本公演を終えた安堵と準備期間を振りかえり、「打ち上げではじめて泣いた」との記述あり、ほんとうに言葉にし尽くせない苦労があったこと、しかしそれを上回る手ごたえと喜びがあったことがわかる。批評だの論考だのといったアタマの部分を振りはらって、客席からもおめでとう、ありがとうと心から伝えたい。
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