谷賢一作・演出によるDULL-COLORED POP(以下ダルカラ)『福島三部作』の一挙上演は、昨年夏の一大ムーヴメントであった。母の故郷である福島に生まれ、幼い日々を過ごした谷にとって、2011年3月の東日本大震災と東京電力福島第一原発事故は、故郷を喪失したかのような衝撃と悲しみであった。旺盛な創造活動をしながら、「福島を演劇にしたい」という切実な願いを結実させたのが、『福島三部作』である。開幕するや瞬く間に観客の口コミが広がり、観客自身が空席状況をネットに掲載して「ぜひに!」と観劇を呼びかけるほどの熱さとなった。「おもしろいからよかったら観て」ではなく、「どうかあなたも」、「観ておくべきだ」等々、切実な訴えのごとく称賛の声が高まっていったのである。みるみるうちに「秒単位でお席が無くなっている」(出演者のサイト)状況になり、自分はキャンセル待ちでようやく第三部「2011年:語られたがる言葉たち」→第二部「1986年:メビウスの輪」の順に観劇することができた。
谷は今回の三作で第64回岸田國士戯曲賞、第二部で第23回鶴屋南北戯曲賞をダブル受賞した。三部作の最初の一歩である第一部「1961年:夜に昇る太陽」の観劇が叶わなかったのは残念だが、昨年秋、而立書房から刊行された戯曲『福島三部作』を読むことによって、観られなかった舞台に思いを馳せたい。
物語は「第0景」という不思議な場で幕を開ける。荒廃した部屋に古い段ボール箱が一つ。タイベックスーツにマスク、ゴーグルまでつけた男が登場し、箱に書かれた郵送札の文字を読む。「1961年…」。そして 東京大学で物理学を修めた穂積孝が双葉町の実家へ帰る常磐線の車中、先生と呼ばれる男とその連れの女性三上とのやりとりが始まり、町の青年団員として懸命に働く弟の忠、原発誘致のための土地売却を持ち掛ける東電、苦悩する祖父の正に、孝を慕う美弥も絡めて、双葉町が原発誘致を決定するまでの数日間の物語が展開する。
末の弟の真はこの当時まだ3歳なのだが、彼もその友だちについて「子ども達は人形で表現される。ひょっこりひょうたん島を思い出して欲しい。ちなみに私は本気でこのト書きを書いている」とのこと。おう!ならばわたしも本気で想像するぞと気合が入る。
貧しく何もない故郷に絶望し、この帰省を最後に東京で働くと決意する孝、町に踏みとどまり、兄を応援するという忠、孝についていくことをあきらめる美弥など、家族や友だち、淡い恋模様との訣別をひとつの軸とし、原発=悪という図式に収まらない複雑な背景と、人々の葛藤をもうひとつの軸にしている。三作すべてに膨大な注釈があり、これほどの情報を収集し、咀嚼し、戯曲へと昇華する過程の労苦は想像がつかない。
たとえば原爆を知る広島出身の東電社員が、原子力の恐怖を知っているからこそ勉強し、原子力発電の安全対策を行った、だから十分安全だと信じていると住民を説得する場面は、実際の記録を用いたとのこと。背筋が寒くなるような話であり、その社員の心象を深く知りたいと思う。谷の父は原発で働いたこともある技術者であり、この複雑な背景も劇作に対して少なからぬ影響があったのではないだろうか。注釈には上演時間を考慮してカットした台詞も記録されており、それを心の中で響かせながら舞台を想像することもできる。巻末には劇作家が実際に参照した数十点の書籍のなかで、特に印象に残ったもののみが列挙されており、それだけでも軽く10点を超え、なかには一般書籍ではない「双葉町史」などもある。自分がいかに無知無関心であったかを突きつけられる思いである。
『1961年:夜に昇る太陽』は、2018年5月こまばアゴラ劇場で初演されたのち、続く第二部、第三部を完成させての再演となった。場面転換に唱歌や歌謡曲、ジャズなどを流したり、字幕に原子力に関する歴史的事項や東電社員の回想を映すなど、抒情とドキュメンタリ―的要素、前述の人形劇などさまざまに趣向を凝らし、福島と原発が出会った最初の一歩から今のこの国を見据える作り手の鋭い視線にたじろぎながら、読了した。
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