因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

ミナモザ『彼らの敵』再演

2015-07-31 | 舞台

*瀬戸山美咲作・演出 公式サイトはこちら 8月4日まで こまばアゴラ劇場 前売は完売、当日券あり 4日18時追加公演決定  (1,2,3,4,5,6,7,8,9,10,11,12,13,14,15,16,17,18,19,20,21,22 ,23)

 瀬戸山美咲の作品と聞けば、いつも迷うことなく観劇を決めてチケットを取るのに、今回は自分でも不思議なほどアクションが起こせなかった。理由のひとつは本作が2年前に初演された「再演」であることだ。配役も劇場も変わらないのなら、「スル―してもいいかな」と。しかもその初演を自分はじゅうぶんに受けとめることができなかった。さらに同時上演されたリーディング作品『ファミリアー』(1,2)に大変な思い入れがあり、『彼らの敵』がしっくりこなかったのかを考えなかった。言いわけにもならないではないか。ここでも「好き過ぎる」ことのマイナス面が出たらしい。

 『彼らの敵』再演の舞台がはじまった。こまばアゴラの舞台を横長に使い、中央にメインの演技エリアを置く。俳優は上手と下手、舞台奥からも激しく出入りする。1991年に実際に起こった事件がベースになっており、早稲田大学の学生たちがパキスタンのインダス川下りをする途中で現地の武装集団に捕まり、44日間拘束ののち解放された。帰国した彼らを待っていたのはマスコミと世間からの猛バッシングだった。自分たちに会ってもいないのに、「彼らの無謀な計画を諌めたのに」という女性ジャーナリストの証言をもとに、週刊誌に掲載された批判的な記事が、火を吹くように彼らを襲ったのだ。
 パキスタンの日本大使館員の尽力で、かの女性ジャーナリスト、週刊誌の記者と話し合う場を設け、事実と異なる報道であると認めさせようとするが、百戦錬磨のマスコミ業界人には通用しない。傷つき、消耗した果てに、主人公の坂本はゴシップ記事のカメラマンの職を得る。

 驚いた。2時間の上演時間中、まったく気が緩むこともなく、眠気にも襲われず、前のめりになりそうなほど舞台に惹きつけられた。どうしてここまで集中できるのか、そして初演ではなぜこの魅力がわからなかったのか。舞台からたしかな手ごたえを得られたことに喜びつつ、2年前の自分に「何と不甲斐ない!」と歯ぎしりしつつの観劇であった。

 ★作品の求心力を強めたのは、初演から2年のあいだの世界情勢の激烈な変容であり、今年はじめに起こったイスラム国による日本人拘束・殺害事件の生々しい記憶であろう。しかし正直なところ、観劇中の自分に、かの事件は不思議なほど影を落とさなかった。劇中の武装勢力は、その目的は純粋に金であった。現在のイスラム国にくらべると、劇中の台詞には「村の産業なんすよ、誘拐が」とあり、かの国の武装集団を演じる俳優の造形も明確にひとりひとりの顔を示す作りにはなっていない。なのでインターネットに配信された人質拘束や処刑の模様を想起させることはなく、作品じたいも今日性を性急に喚起することが目的ではないのではなか。今年の事件を核にするなら、瀬戸山美咲はまったく新しい別の作品で勝負するはず。★

 武装集団に監禁されているとき、日本に帰国した直後、それから数年後の現在の3つの時間をそれぞれの場所がめまぐるしく行き来しながら物語が進む。坂本役の西尾友樹(劇団チョコレートケーキ)は全身からエネルギーを発するような熱い演技をみせ、西尾以外の俳優は複数の役柄をつぎつぎに演じ継ぐ。俳優の熱量やスピード、瞬発力を存分にみせるなかで、時間が止まったかのような場面がある。
 前述の学生ふたり(西尾、山森大輔/文学座)と日本大使館員(中田顕史郎)、捏造記事を書いた週刊誌記者(大原研二/DULL-COLORED POP)、ネタ元の女性ジャーナリスト(菊池佳南)が喫茶店で向き合うシーンだ。初演でもこのシーンは印象に残っているが、今回はまた新たな発見があった。

 めまぐるしい展開をみせる舞台のなかで、このシーンは異常なほどゆっくりと描かれる。大使館員と学生たちが先に喫茶店にやってくる。ウェイター(浅倉洋介)がお冷やを運ぶ。やがて記者とジャーナリストが加わり、全員がアイスコーヒーをオーダーする。重大な話がはじまる大事な場面だ。学生たちの必死の訴え、大使館員の誠意を記者は無表情に、女性ジャーナリストは詭弁にもならない態度でシャットアウトする。やがてちゃんと氷のはいったアイスコーヒーが5つ運ばれる。状況が状況だけに誰も口をつけるものがない中で、女性ジャーナリストだけがシロップもミルクも入れて、早々と飲み干す。緊張して喉が渇いたというより、飲まないと損だという意識なのか、攻撃をかわすためのエネルギー補給なのか、出まかせを語っておきながら虚偽と認めない厚顔なのか。
 結局まったく話し合いにならず、学生たちの完敗である。ウェイターは黙々とグラスを下げ、テーブルを片づける。
 ほんもののアイスコーヒーでなくても、グラスだけあればいいようにも思った。しかしこのシーンはそこで起こったことを時間通りに、じりじりするほど忠実にみせる。そして場の中心は話し合いのテーブルに着く5人であるが、そこに表情も変えず飲みものを運び、下げる役割を担うウェイター役の浅倉洋介が、もしかすると学生たちと対する人々の感覚のちがい、力のちがい、対決の虚しさを無言で体現していたのではないだろうか。

 どんどん筆があらぬほうへ向かいそうなので、このあたりでいったん置く。自分の課題は★の箇所である。そして最大の教訓は、再演だからといって同じようなものではないことだ。舞台は生きもの、自分もそうなのだから。

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